第6話 黙っているのと、嘘を吐くのは違う
「
一拍置いて、内側からドアが開かれた。
秘書らしき二十代の女性が、深々とお辞儀をする。部屋の一番奥へ視線を向けると、アンティークな造りのデスクの傍らに立ち、資料へ目を落とす軍服姿の青年が目に入った。
秘書に促され、柊だけが入室する。
デスクの前へ歩み寄る間、柊は軍帽を被った人物から視線が外せなかった。着ているものは、戦闘中に翼が着ていた服と基本の造りは同じだ。しかし、襟章や肩章が派手になっていて、一目で立場ある人物と分かる。
まっすぐな鼻梁から細い顎のラインは一分の隙もなく整い、切れ長の瞳は強固な意志を感じさせる。身長は柊とさほど変わらなかったが、声をかけるのも躊躇われるような堂々たる佇まいの青年は、手にしたファイルを閉じ、デスクへ置いた。
「長時間の移動、ご苦労であった」
「は、はい」
落ち着いたハスキーボイスを響かせ、青年は距離を一歩詰める。
「特定巨大生物災害対策本部・第一小隊、小隊長の
「
凛々しい小隊長を前に、思わず背後に立つ秘書へ振り返る。
ヘッドギアをしている翼を見ても、少年と信じて疑わなかった。声を聴いた後は、成長期前の子どもだろうと考えた。顔を見た後も、あどけなさの残る年下の少年と思い込んでいた――それは、ダブルギアには未成年の男しかなれない、と刷り込まれていたせいもある。
しかし、小隊全員が女性だ、と聞かされた後なのに、目の前に立つ軍帽を被った人物は青年にしか見えない。それも、とびきり端正な面立ちの美青年だ。
新人がこういった反応をみせるのは、いつものことなのだろう。榊の秘書は、含み笑いを堪えている。小隊長の榊も、顔色一つ変えない。
「何か気になるか」
「あ、いえ……その、少しだけ」
あの化け物と戦う一個小隊を率いる、叩き上げの女戦士だ。小隊長は、ゴリラのような筋肉達磨の女傑だろう、と予想していたのだ。そこへ、すらりとした細身で映画スターさながらの美男子が出迎えたものだから、面食らってしまうのも仕方がない。
「小隊長だけは、国から派遣された男、とかそういうのですか?」
「私も十代の頃はヘッドギアを被って前線に立っていた。つまり、そういうことだ」
「ということは、やっぱり女……」
(これが本物の男装の麗人か!)
不躾なまなざしも、榊にとっては慣れたものなのだろう。特に気を悪くした様子もない。
「私は、小隊を代表して政治家や記者等、外部の人間と接する機会がある。こうでなければ務まらんよ。で、他に聞きたいことは?」
榊は見た目よりフランクな性格なのかもしれない。更なる発言を許された柊は、次の質問を口にした。
「榊、ってことは、榊翼さんの親戚ですか?」
「私と翼は、年の離れた姉妹になる。そして我々は、初代隊長、
「国会襲撃事件の、
榊孝――その名は、勉強が苦手な柊でさえ、当然のように知っている。
十七年前、敵性知的生命体【D】が世界各地で暴れだしたとき、榊孝は、僅か五名の隊員を率いて、内閣総理大臣を守り抜いた英雄だ。
榊孝はその戦闘で命を落としたものの、死の間際に全てを総理へ託し、ダブルギアの正式な発足の足掛かりとなった人物である。そう、小学校で習った。
もっとも、
「じゃあ小隊長は、榊閣下に戦闘を教わったことも?」
英雄の子孫を前に、思わず声が高くなる。だが、それもおきまりの反応らしい。湯気を立てる茶碗を置きながら、くすくすと秘書が笑い声をあげた。
「教わるも何も、榊小隊長はその国会襲撃事件へ、最年少の戦闘員として出陣していますのよ。いわば、ダブルギアの第一期生ですもの」
「うそだろ……」
教科書にカラーイラスト入りで紹介される人物と、こんな至近距離で話すことになるとは――。柊の素直な反応に、榊は少し表情を緩めた。
「ここへ来るまで、自衛官から多少は聞いているだろうが、彼らは、あくまでも協力関係にある外部の人間だ。少し、正確な情報を話しておこう」
勧められるがまま、柊は応接セットのソファに腰を下ろした。スプリングの心地よさに、ため息が零れそうになる。彼が落ち着くのを待ち、榊は説明を始めた。
一般に【D】と呼ばれる化け物の世界的な正式名称は、敵性知的生命体という。
神や精霊、悪魔といった目に見えない存在の力を
寿命は最長で一週間。死ぬと塵となり、崩れ去る。しかし二十八日周期で次の個体が現われるため、十七年の間に幾つもの国と地域がその名を消した。
「最大の問題は、人間側の武器が効かないことだ」
「それは、自分の身をもって実感しました。あんな化け物、銃や弓矢で倒せるレベルじゃないです」
「襲撃が始まった頃、ある国が、自国の保有する核を使用したことがある。それでさえ、ほんの半日、足止めしただけだ。その代償として、投下地点の都市は壊滅状態となったが」
そんな絶望的な災厄と、唯一、対等に渡り合える部隊。それが、特定巨大生物災害対策本部・第一小隊――通称ダブルギアだ。
彼ら(本当は彼女たち)は、日本の神話で中心的存在として語られる、
「我々は、天照大神の
「は、はい。学校でもそう習いました」
目には目を、歯には歯を、神の使徒には神の使徒を――当然だろう、というように榊は目を細めてみせる。
「理論上、戦士を生み出せる神は、天照大神以外にも存在する。例えば佐東……君に
「その頼光って人に倒された酒呑童子は、【D】なんですか?」
「そうだ。とはいえ、月読命のダブルギアは、百年に一人以下の覚醒率とされる。世界の神々にも可能性はあるが、望みはあまり高くない」
覚醒の可能性だけなら、日本人に限らず、誰にでもあり得るものらしい。
だが、実質的には日本人の少女しか見込めないとすれば、国が少女たちの保護を優先するのも当然だ。
「だから、ダブルギアが女子っていうことは秘密なんですね?」
一つ頷き、榊は考え込むように細い顎へそっと指をあてた。
「それもある。だが、戦闘員が全員少年である、と誤情報を流す最大の理由は、日本の神話に書かれているのだ」
「?」
「天照大神は戦場へ赴く際、
初めて聞く話に、柊は目を白黒させた。子どもの頃から厳しい訓練に明け暮れてきた彼は、『古事記』や『日本書紀』など、読んだこともない。
しかし榊は、座学で使う教本にあるから読んでおくように、とだけ告げた。
「他にも、一般の国民には公開できない秘密は多い。しかし、我々が国民のために戦い、いつの日か地上を取り戻さんと願っていることは、紛れもない事実だ。どうか、誇りと信念をもって職務に当たってもらいたい」
責任の重さに、胸が苦しくなる。だが、それと同時に思い出したのは、できるものなら自分を覚醒させてほしい、と目元を赤くして語る自衛官の男の姿だった。
肩を強張らせていた柊は、やがて小さな吐息を洩らした。
「やってみます」
「宜しい。私の話は以上だ」
榊の声は少し明るくなったように感じられたが、柊の緊張は続いていた。
「あの……確認なんですけど。俺以外のダブルギアは、本当に、全員が女子なんですか?」
「そうだ。現役の戦闘員、二十三名はもちろん、小隊発足以降に覚醒したダブルギアは、その全てが天照大神の加護を受けていた。つまり、女性隊員しか存在したことがない」
「で、俺だけが月読命のダブルギアと」
「おまえより前の男性覚醒者は、明治時代にまで
嫌な予感に、冷たい汗が背中を伝う。
「みんなとは力を借りてる神様が違う、なんて言ったら、俺、村八分ですよね?」
「だろうな」
真顔で答える榊に、柊は両手で頭を抱えた。
「やっぱりそうですよね。小隊長たちは、仕事だから納得してくれただけで、俺だけ神様が違うなんて、普通は宗教戦争まったなしですよね……」
「閉鎖空間で命懸けの戦闘訓練に明け暮れる日々だ。些細なことから喧嘩に発展することは、ままある。まして、はっきりと他の隊員と違う点があれば、難癖をつける者も、少なからず出てくるだろう」
「じゃあ、どうすればいいんですか!」
すると、榊は表情を変えることなく、さらりと答えた。
「黙っていれば宜しい」
何を言われたか、一瞬、理解できなかった。
「は?」
「これまで、天照大神のダブルギアしか入隊したことがないのだ。わざわざ言わなければ、佐東も天照大神の加護を受けている、と誰もが思い込むだろう。それに、黙っているのと嘘を吐くのは違う」
ただでさえ新入りは目をつけられやすいのに、後ろ盾となる神が違うなんて、あまりにもデリケートな問題だ。榊の提案は、非常に現実的といえるだろう。
しかし、そこに付随する難問に気づいた柊の頬が引き
「いや、あの、それだと俺……
「天照大神のダブルギアは女性しかなれないのだ、致し方あるまい」
淡々とした榊の返答に、堪えきれなくなった秘書が書類棚にしがみついて笑い始めた。理解不能な展開に、柊の開いた口は塞がらない。
「俺のどこが女子に見えるんですか!」
「刷り込みとはそういうものだ。それに、誰しも鏡の前では、無意識に自分の理想とする面構えになるらしい。おまえが覗く鏡には、実物よりも精悍な若者が映っているのだろう」
「顔がいいとか悪いとかじゃなくて、
「
言葉に詰まって秘書へ視線を送ったが、笑いながら榊に同意するばかりだ。
「性別を疑われたことなんて、一度もなかったのに……」
「現代の子どもは、小学生から女子校・男子校に分かれて暮らす。十六歳の就職まで約九年間、異性を見ずに生活するのだ。同じ学校に通うということは男だろう、と消去法で断定されていたに過ぎない」
対面のソファから立ち上がると、榊は手を腰に当て、柊を見下ろした。
すらりとした体躯は、どこからどう見ても、凛々しい青年のそれだ。
「おまえは、確かに背丈はあるようだが、それとて私とそう変わらない。ここまで伸びる女は滅多にいないが、現役の隊員には、佐東より大柄な者もいる」
(もっとデカいのがいるんですか……)
「加護を受けた神の
ムチャクチャな、と言いかけたが、口を
たった一人の異性で、しかも後ろ盾の神も違う――と、正直に話せばどうなるか。ここへ来る前と同じ日々が再現されるだけだ。遠巻きにされ、陰口をたたかれ、無理やり危険な任務に押し込まれるかもしれない。
自分より大柄な女子がいるなら、訓練にかこつけて暴力を振るわれる可能性だって、絶対にないとは言い切れないだろう。
黙っているのと嘘を吐くのは違う――榊の言葉を屁理屈と一蹴するには、これまで柊が生きて来た環境は過酷すぎた。それに、万が一バレたとしても、「黙っているように」という榊の命令に従っただけ、という事実もある。
僅かな罪悪感さえ飲み込んでしまえば、静かに生きていけるのだ。それに反論するだけの理由など、柊は持ち合わせていなかった。
「分かりました。そうします」
「そうか。ちょうど翼も来たところだ。今日は出撃があったから、消灯時間まで非番となる。小隊の仲間たちにも挨拶してくるといい」
柊は荷物を掴むと一礼し、小隊長室を出た。
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