第107話 今日で終わり

「応急処置が終わりました、佐東さん・・・・


 つばさが声を掛ける。普段と喋り方が違うのは、西村にしむらの背後に隠れている民間人を意識してのことだろう。

 西村は、全身を黒いバンテージでミイラのようにぐるぐる巻きにされていた。肌は露出していないものの、身体の華奢さが強調されてしまっている。

(……バレるよなぁ、これ)

 腕組みをして考え込んだあと、しゅうは自分が着ていた戦闘服を脱いだ。

 小柄な女子に着せても、肩も袖も着丈もまったく合わないだろうが、今回に限っては身体が隠せて都合がいい。

 思惑通り、ヘッドギアとひざ下以外を隠したので、「小学生の男の子」みたいだ。

 翼へ顔を向けると、ゴーサインを出すように強く頷く。

 西村の身体を退けると、半壊した金網が見えた。西村の鮮血に濡れた金網は、彼女が命懸けで守った最後の砦だ。

 西村を翼へ預け、ヘッドギアを被り直す。筋力補助セカンド・ギアを入れ、ぐいっと金網をこじ開ける。そうして、排煙口の奥へ声を掛けた。


「巨大生物対策本部・第一小隊、現場指揮官の佐東さとうと申します。安否確認のため、顔を見せていただけますか?」


 すると、灯りのない暗闇から何かが飛び出してきた。


「――っ!」

「わぁああああああああんっ」


 柊へ跳びついたのは、ベージュ色の制服を着た少女だった。

 てっきり、空調設備の管理職を務める中年が出てくるとばかり思っていたため、咄嗟に声が出てこない。

 小柄な少女は、柊の腰の辺りへ抱き着くと、ぎゅっとしがみついた。


「え、えずかったばい怖かったよ

「えず? えずって、あの」

「お兄しゃん、もうネズミはおらんと?」

「あ、ああ、うん。鼠はもう全部倒したよ」

「ううう、助けてくれてありがとうごじゃいました」


(シェルター管理部以外は、他のシェルターの人と話さないから方言が強く出る傾向がある、って聞くけど、何言ってるのか半分も分からないぞ……)

 ふと、少女の身体や制服のあちこちが血で汚れているのに気づく。

 ヘッドギアを脱いで目で直接確認すると、どうやら怪我はしていないようだ。どうやら、金網越しに西村の血が飛んだだけらしい。

(この状況で、よく無傷でいたな)

 安心したのか、少女は柊の顔を見てにこにこ笑っている。カウンセリングは必要だろうが、致命的なPTSDを負ったわけでもなさそうだ。

(というか……なんでこんな場所に小学生がいるのか、って問題なんだけど)

 排気ダクトが詰まってシェルター全体が酸欠になりかねない、とかなら、職員が決死隊を組んで修理に向かうこともある。だが、彼女は職業訓練前の小学生だ。逃げる以外にできることなどない。

 表情も豊かで、イジメで追い出されたようにも見えない。

(……自警団の索敵中にシェルターから追い出された俺が、特別なだけか。というか、出現警戒日に子どもが外に出る方法なんてないはずだけど)

 自嘲しながら、そっと少女の頭を撫でてやる。

 ちらりと視線をやると、翼は西村へ肩を貸して立たせようとしていた。柊が少女の気を引いている間に、西村を移動させる算段だ。

 西村は、翼に肩を貸してもらいながら、そっと足を止めた。自分が守った少女の顔を見ておきたかったのだろう。苦しそうに肩で息をしながら、振り返る。

 可愛らしい編み込みヘアの少女が、ヘッドギアを外した柊に話しかけている。年の頃は、十歳かそこらだろう。

 それに満足したのか、西村は前を指さした。翼も同意して歩き出す。

 柊が少女へ話しかけた。


「たぶん、色々逃げてるうちにここまで来たんだと思うんだけどさ。そもそも、どうして小学生の君がシェルターの外にいたの?」


 少女は、あっけらかんとした笑みのまま答えた。


「外におったらダブルギアが見るーかも、って思うたけん」


 想定しなかった反応に、心臓へ氷の杭が打ち込まれたような心地がした。

 さぁっと血の気が引いていく感覚。しかし、少女は柊の表情が変わったことに気づいていない。


「青森自警団のおじしゃんたちが、テレビに出とったやろ。それば見て、先生たちが言うとったばい。『ダブルギアば見たら、お父しゃんやお母しゃんとか親戚ん人が、話ば聞かしぇて! って、いっぱい来るやろうね』って」


 ぶるぶると震える手を抑えつけようと、必死に握りしめた。

 怒りか、恐怖か、それとも理解できない存在への憤りなのか。自分でも言葉にできない強烈な感情が、背筋を走る。


「やけん、昨日のうちに外に出ていたと」

「……担任の先生たちは、昨日からずっと君を探してたかも、とは考えなかった?」

「ばってん、それしか外に出る方法がなかばい」

「それで本当に【D】が来たら、俺たちが到着する前に、君が食べられるだけだよ。っていうか、今生きてるのは奇跡みたいなものなのに……」


 非難混じりの柊の声に、気を悪くしたのだろう。

 少女は、しがみつくのをやめて短く細い腕を組んでみせた。


「戦いはいつもシェルターん外で市街地や、って聞くけん、こうしてシェルター近くの建物におったと」

「青森シェルターのときだって、第二シャッターまで入り込まれたんだよ。外だけで戦えるのは、全体の八割くらいだ。今回みたいに、ガッツリ内部へ入られることだって、珍しいって程じゃない」

「むぅ……わたしだってたまがったビックリしたと」


(なんで……どうしてこんな強情なんだよ。知り合いに自慢できたら死んでもいいとか、どうしてそんなバカなことが考えられるんだ?)

 叱っていいのか。

 それとも、ここは穏便に話を収めて大人たちへ委ねたほうがいいのか――。

 握った拳のやり場に困って、じっと見つめるしかできない。

 そのとき、柊の隣を黒い影がすれ違った。

 無言で近づいてきた人影――全身をミイラのようにしてサイズの合わない戦闘服を着せられた西村が、指の足らない掌を振りかぶる。


「――っ」

「え? え、え、ええっ!?」


 パチンッ と、小さな音。

 あれだけ振りかぶっても、何の上昇バフも受けていない西村の平手打ちなど、子どもが叩くのと変わらない威力だ。

 少女は、叩かれた頬を抑えたまま、自分を叩いた西村のヘッドギアを見つめている。大きく見開かれた瞳が滲み、ぼろぼろと大粒の涙が次から次へと流れた。


「…………なん、で?」


 西村は、それに答えることができない。

 女性としても高い声の西村が口を利けば、「少年のみで構成された特殊部隊」というダブルギアの体裁が嘘とバレてしまう。

 怒りと恐れと不安と疑いの視線が、柊と西村の間を彷徨う。

(腹が立つのは分かる。俺だって、抑えなきゃ殴ってた。けど、西村さんがわざわざ引き返してくるリスクを冒す理由って……)

 黙って少女を不安にさせたまま帰すべきか。それとも、間違うことを恐れず自分が西村の心を代弁すべきか――。


「……君のことが、心配だからだよ」

「そげんわけなかばい。ムカついたけん、叩いただけばい!」


(それだけのために、姿を見られてまで西村さんが戻ってくるわけがない)

 柊は片膝を突き、泣きながら言い返す少女と目を合わせる。小刻みに震える肩へ、そっと手を置いた。


「死ぬんなんてえずうなか怖くない。うちゃもう、子どもやなかもん」

「死ぬのは簡単だ。だけど、死ぬよりもっとつらい思いをしてまで、君を助けようとした人がいたでしょ」

「あ……」

「君がそうまでして会いたかった人って、誰? お父さん、お母さん、おばあちゃんおじいちゃん? それとも兄弟かな」


 口を尖らせていた少女が、ぽつりと呟く。


「……お父しゃんと、お母しゃん」

「けど、死んだら会えないんだよ。二度と、絶対」

「――っ!」


 柊は、そっと少女を抱き寄せた。

 咄嗟に目を閉じて身構えた少女は、ややあって、恐る恐る目を開けた。

 戦闘服のジャケットを西村に貸してしまったから、柊は黒いタンクトップ姿だ。腕も肩も、無数の噛み傷に覆われている。皮膚が破れ、筋組織が露出した部分も多い。じゅくじゅくと血小板が滲む傷を至近距離で見ながら、少女は嗚咽を洩らした。


「あ、うぅ」

「そこまで思いつめるくらいなら、お父さんたちと会えない理由があるんだろ?」

「……ばってん」

「お父さんたちは、生きてるんだよね?」

「うん……」


 ふらつく足にどうにか力を籠めて、西村は立っている。

 柊は、その西村の視線と想いを背負い、少女の肩へ訴えた。


「死んでもいい、って覚悟があるなら、直接会いに行こう」


 少女の肩を掴む指に力が入る。華奢な鎖骨が指先に感じられた。けれども、少女は顔を背けない。背けられない、のかもしれない。


「恥ずかしいとか、自分から言いたくないとか――そんな子どもっぽい考えは、今日で終わりだ」

「ば、ばってん」

「まずは手紙を書こう。お父さんがダメなら、宛先をお母さんにして出そう。何回も何回も出そう。お父さんやお母さんと同じ職場の人が同情して、会ってやれ、って言ってくれるまで送ろう」


 嫌々をするように首を振る少女の肩を掴み、逃げることを許さない。

 自分が嫌われるのと、この子が誤った成功体験で自分の命を軽んじるようになるのと、どちらが嫌か――考えるまでもない。


「それでもダメなら、国が支給するお小遣いを貯めて、自分から会いに行こう。担任の先生が良い人なら、公休日に引率してくれるよ。担任の先生がダメなら、知ってる大人に頼もう」

「そこまでやったっちゃやっても、会うてくれんかったら……」

「うん。どれだけ頑張っても、会ってくれない人もいる」


 一拍おいて、柊はじっと少女の目を見つめた。

 もう、涙は止まっている。


「そしたら、俺に手紙を送って」

「……お兄しゃんに?」

「君がそこまで頑張っても会えないなら、何か事情があって、周りの大人が遮断している可能性もあるから」

「どげん?」

「本当は死んでるとか。大きな罪で投獄されているとか。他国に拉致されて行方不明になってるとか――小学生の君に聞かせるべきじゃない、って大人が勝手に決めつけて守ってるつもりなのかもしれない」

「うちゃ、子どもじゃなか!」


 そう言って鼻をすする仕草は、まだ幼さの残る子どもそのものだ。

 叫ぶ少女に合わせるうち、二人の会話は自然と声が高くなっていく。


「君はまだ子どもだよ」

「違う!」

「じゃあ、子どもじゃない、って証明して。俺がさっき言ったこと、全部やって。それでもダメだったら、君が本気だってこと認める。俺ができる限りで調べて、君に必ず伝える――どんな酷い結果でも、つらい現実でも、絶対」

「あげんこと、全部しきるわけ……」

「できるよ」


 ふと、柊の表情が冷たく曇る。

 少女の背後、何もない空虚な暗闇を見つめ、柊は呟いた。


「……俺も昔・・・同じこと・・・・したから・・・・


 その言葉に、西村へ肩を貸していた翼が一瞬、振り返った。

 けれども少女は声色の変化には気づかず、目を輝かせている。


「約束ばい、絶対」


 少女を守るように担ぎ上げると、柊はあらかじめ翼に聞いていたドアへ向かった。その先には、非常時の点検通路があるらしい。そこから教育シェルター内部へ入れる手筈になっている。

 西村へ手を振る少女と、軽く頷いて応える西村と。

 二人の様子を見ているはずの柊のまなざしは、どこか違うところを眺めているようだった。

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