第106話 皇帝と反逆者
高らかに宣言したあと、
ヘッドギアのフェイスを下ろし、左こめかみに指を這わせる。中指と薬指に、歯車を模した二つのボタンの感触。それを同時に三連打。
キィイイイイイイイインッ と、脳髄を揺るがす駆動音。この一ヶ月、幾度となく聞かされた
全身の血液が沸騰するような感覚。広場で戦ったときの疲労は消え、戦うことへの恐怖が、快楽にも似た高揚感に塗り替えられていく。
起動時の衝動が収まるのを待って、柊は隣に立つ
「翼が予想した通り、
「ああ。ここへ来る途中に約束した通りだ」
柊は配管の淵に立ち、片膝を突いた。両手を組んだところへ、翼が足を掛ける。柊が
他の隊員の半分以下の治癒力と防御力しかない翼が、無限に湧く敵を相手に戦う方法――それは、ひと息で距離を詰め、
同時に、雑魚は柊が一手に引き受ける。何百という雑魚に襲われることになるが、
どちらにも命の危険がある。しかし、
「柊、大丈夫かい?」
「俺は死なないよ。翼こそ、ノーミス・ノーダメージでよろしく」
一体を十人前後で相手をするのも厳しいとされる【D】相手に、一騎打ち。ほぼ、決死の特攻だ。しかし、柊が翼へ要求したのは、一騎打ちだけではない。
――
普通なら、気が狂ってる、と激怒されて当然の言葉だ。ところが翼は、今日一番、張りのある声で応じた。
「全身全霊でもって、君の期待に応えてみせよう!」
三、二、一。
翼の身体が、勢いよく宙へ舞い上がる。
天井すれすれまで達すると、すぐ近くを走る細い配管を掴む。手すりほどの細さだ。ぶら下がった新たな餌に、灰色の闇から歓喜の声があがる。
反動をつけて、
移動を開始した翼を見送ると、柊は西村の居場所を再度確認した。
無助走で跳躍。西村が掴んだのと同じポール状の手すりへ、手を掛け足を置く。ぐいっと身体を引き寄せ、手すりの上に立った。
(――高い)
下へ落ちれば、這いあがるのは至難の業だ。襲いかかる鼠の群れに急かされ、飛び降りなくて良かった。
助走代わりに手すりの上を走り、大きく宙へ跳び上がる。天井から吊るされたコンテナ移動用のチェーンを掴むと、振り子の要領で更に前へ。
暗灰色の鼠の群れを、大きな影が鳥のように飛んでいく。ひらりと身を翻し、影は床へ降り立った。
着地の衝撃に、鉄板が激しく音をたてる。さながら、映画の
排煙口の蓋を覆う西村は、ぐったりと壁へもたれたまま、薄目を開いた。
突如現れた闖入者に、鼠たちは威嚇の声をあげている。蠢く暗灰色の闇を前に、黒尽くめの戦闘服に身を包んだ少年が太刀を構えていた。
「キィイイイイッ」
「キィキィッ」
「ギィイイイイィイイイ」
少年は、跳びかかる数匹の鼠を一振りで斬り捨てる。
返す刃で、背中へ圧し掛かろうとした二匹を半分にした。光の粒子を浴びながら、挑発するように声を張る。
「来いよ、俺が相手してやる!」
斬りかかる刃の隙を突いて、別の雑魚が腕に食らいつく。西村と違い、柊は過剰治癒力があるわけではない。
多少のダメージは覚悟の上。腕の一本や足の一本くらい、くれてやる。
翼と
「それで俺を食い殺すつもりかっ もっと来いよ!」
「ギィイイイイッ」
「まだまだまだまだまだぁあああああっ」
鼠たちは、柊の柔らかな皮膚を切り裂き、肉を引き千切り、鮮血の匂いに狂喜の叫びをあげる。だが、それ以上のスピードで、次々と光の粒子は部屋へ満ちていく。
恐怖に足を止めるくらいなら、その足で踏み殺せ。
痛みで手が止まるくらいなら、その手で
黒尽くめの戦闘服に背負う三人の命のため、ヘッドギアの少年兵は、鬼神のごとく刃を振るい続ける。
一方、配管を伝って空調室の奥へ向かった翼は、
明らかに、相手はこちらに気づいている。
にやにやと下品な笑みを浮かべ、涎を垂らし、翼を見上げている。身体の大きさの割に短く不格好な両手を、おいでおいで、と伸ばそうとした。
「
柊が雑魚を引き受けることで、翼は一騎打ちへ持ち込める。
翼が
二人はそこに活路を見出したのだ。
「柊は、不甲斐ない体質の私を理解した上で、私に役割を与えてくれた。私を信じ、私に期待し、私を頼ってくれた」
太刀の束に手を当て、下界を見おろす。ここから床まで約六メートル。
ヘッドギアの補正があっても、勇気のいる高さだ。だが、雑魚を回避して特攻を仕掛けるなら、このルートしかあり得ない。
「いざ参らん。君の信じる『
すぅっと細く息を吸い込み、宙へ身を預ける。
空気抵抗で、ひらひらと戦闘服の裾がはためく。胸を反らしつつ、着地に備えて両手を開く。
翼が着地に選んだのは、床ではなく、
ぐにゃりと揺れる不安定な肉の上を、器用に前転していく。着地の衝撃を逃がしつつ、振り回される鋭い爪を回避。
「ギィ、ギィイイイイイ……」
苛立たしさを表す低い啼き声をあげ、
傍らの壁を使って三角跳びの要領で鋭い爪を躱し、無防備に伸ばされた腕へ斬りかかる。暗灰色の腕が宙を舞い、噴き出した鮮血が降り注ぐ。
右から左へ、上から下へ。突き刺し、切り裂き、バック転で距離をとる。
「“勇気とは、愛のようなものである。育てるには希望が必要だ”」
ナポレオンの名言を口にしながら、血に塗れた
自らの腕から噴き出す鮮血に塗れた巨大鼠は、さながら赤い毛皮のコートをまとう皇帝のようだ。
「君の言葉は、私の希望だ。君が私を信じてくれる限り、この心が勇気の炎を絶やすことはないだろう」
一気に距離を詰め、懐へ入り込む。
深く深く太刀を突き刺すと、束から手を離した。引き抜くことは諦め、すぐに距離をとる。ノーミス・ノーダメージの約束を、翼は忠実に守っている。
「怖気づいた雑魚が戻ってくる前に、
「ギィイイイッ」
噛みつこうとする頭を蹴り飛ばし、更に踏み台にして跳躍。
くるりと身体を翻し、回転の力を利用して首へ斬りかかる。一拍遅れて、噴き出す鮮血が互いの全身を赤く染めていく。
ヘッドギアから滴る血を拭おうともせず、トドメとばかりに刃を構える。
「できることをするのが人間ならば、私はおまえを殺す。それだけだ」
耳を塞ぎたくなるような甲高い叫び声をあげ、巨大な鼠の首が床を転がる。その途端、ほんの数秒だが、雑魚たちの動きが止まった。
きらきらと光の粒子になって消えていく赤い大鼠を、広場にいた雑魚たちは呆然と見つめている。
玉座から引きずり降ろされ処刑された、哀れな元英雄の死を悼むかのように。
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