第44話 靄《もや》のような不安

 緊急出動のサイレンが鳴り響いたのは、翌日の十六時過ぎ。出現予定時刻から、既に三十五時間が経過していた。

 現地へ向かう“地下鉄”の車内で、しゅうは割り当てられた席についていた。窓からは、灰色の壁と配管しか見えない。


つばさ、聞きたいことがあるんだけど」


 揃いの戦闘服を身に着けた翼が、こちらへ顔を向ける。


「いいよ、何?」

「どうして出撃先が京都なの?」


 気のないふりをしている伊織いおりも、ちらっと視線を送ってくる。

 目撃情報が寄せられた地名の中に、京都はなかった。ならば、昨日の六ヶ所の目撃情報は全て見間違いで、本物はどこか深い森や山に隠れていたというのだろうか。

 昨夜の結衣ゆいの予想通りになったわけだが、彼女でさえ、本気で口にしたわけではない。一つ二つならともかく、六ヶ所全てが誤認だったなど、あってはならないことだ。

【D】の発見と通報は、自警団偵察部隊の仕事だ。だから、数ヶ月前までそこにいた柊は、今回が極めて異様な状況である、とすぐに理解できた。


「今日の午後になって、急に確定情報が入ったそうだ」

「京都シェルターの自警団は、一日半も何していたの?」

「分からない。ただ、これだけ遅れたということは、ダブルギアへの通報前に、京都シェルターの自警団が壊滅していた可能性もある」


 翼の返答に、柊は息を飲む。


「偵察班は、どこのシェルターも百人以上いるんだよ。しかも索敵位置は、バラバラに割り振られる。それなのに、誰一人逃げ出せずに殺されたってこと?」


 聞き耳を立てていた伊織が、舌打ちした。


「それが本当なら、危険度は“大”に訂正されるかもしれないな」

「え? でも、神獣クラスだった前回だって、危険度は“中”だったじゃないか。それより上、ってあり得るの?」


 柊の問いかけに、すぐには答えが返ってこない。

 いつしか他の班の隊員たちまでもが、柊たちの会話に耳を傾けていた。何かしらの返答を求める重苦しい雰囲気に、翼の細い眉がひそめられる。


「危険度大、という戦いは、小隊長の現役時代に一度だけ記録されている」


 柊は、隣に座る翼の横顔へ視線をスライドさせた。

 今はヘッドギアを被っていないので、表情がよく見える。緊張しているのだろう、翼の顔は酷く青ざめていた。


「どんな戦いだったの?」

「神獣クラスの【D】が、同時に二体、出現したらしい」


 翼の言葉に、柊は首を捻った。


「前回だって、八咫烏は二体いたでしょ」

「一体目と二体目で、大きさが著しく違っただろう? あれは、一体目が単独で出現した後、増殖しただけだ」


 増殖するのは、神降ろしダウンロードされた時点で、その媒体となった生物が妊娠していた場合のみだという。


「増殖した個体は、“劣化コピー”とでも言えばいいのかな。見た目は二体目も八咫烏型だったけど、パワー自体は通常の【D】と変わらないよ」


 理解が追いつかず、助けを求めて周囲を見る。すると、二つ結びにした髪をくるくる指で弄りながら、結衣が答えてくれた。


「よーするに。危険度“大”ってのは、八咫烏の親鳥が最初から二体いて、しかも同時攻撃してくる、ってパターンのことだよ」

「……榊小隊長、よく生きて帰ってきたね」

「だよね。ボクだったら、ソッコー逃げるよ」


 結衣は、どこか自棄になったような笑い声を洩らした後、口を尖らせて座席に身体を預ける。彼女もまた、不透明な状況に苛立っているのだろう。

 柊は、元自警団だったときのことを思い出して、再び質問した。


「【D】の監視は、誰がしてるの? 普段は自警団の仕事だけど、京都シェルターの自警団は、全滅した可能性があるんでしょ」

「航空自衛隊が所有する無人航空機ドローンを使って、監視しているそうだ」

「じゃあ今回の確定情報は、自衛隊経由で来たってこと? 珍しいね」


 翼も、何か引っ掛かりを憶えた様子で眉根を寄せる。


「……確かに、前例がないな」


 もやのように掴みどころのない不安を孕んだまま、“地下鉄”はノンストップで走り続けた。

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