第68話 いつもと違う朝

 しゅう西村にしむらのサボりの共犯にされている頃、訓練場では十三名の隊員が二人一組になって準備体操をしていた。

 準備体操は体格の近い者同士で組んでいるため、班は関係ない。つばさの開脚を手伝いながら、宇佐うさが耳元に囁いた。


「何かあったんか? 小隊長さん、おらんけど」

「西村さんと柊を探しているんじゃないかな」


 体調不良で訓練を休む場合、内線で衛生班へ連絡することになっている。

 単なる寝坊なら、遅刻が確定した時点で教官室へ連絡。ギリギリ間に合いそうなら死ぬ気で走れ、と決められている。

 もちろん、教官室に内線電話をした時点で説教コースなのは、決まっているが。


「教育係だから西村の作業着のチェックをしてあげて、と柊には言ってある。だから、二人は一緒にいるんだと思うけど」

「訓練に行きとねえ、って西村さんが、駄々こねちょんのか?」

「何かあれば内線で呼ぶように言ったんだ。ギリギリまで待っても連絡はなかったから、そうではないと思いたいけれど」


 開脚したままぺたりと上体を床に付けた翼の背を押しながら、宇佐も首を捻る。


「謎じゃなぁ。柊さん、でけんこたぁでけん、って素直に言うタイプんごたるし」

「何か柊とそういう話をする場面でもあったのか?」

「ほら、私ん大分訛りやら」

「それは……私も半分くらいしか分からないよ」

「ええっ!?」


 顔を真っ赤にした宇佐へ、大事な部分は分かるよ、と翼は軽く笑った。

 位置を交代して、今度は宇佐が板張りの床に座る。手は付くものの、翼のようにはいかない。女子であっても、身体の柔らかさには個人差がある。


「ゆっくり息を吐きながら。そう、そのまま五秒キープしよう」

「うう、せちい苦しいよぉ」

「身体の柔軟性はダメージ軽減に関わるから、やっておいて損はないよ」

「班替えしち、やっと死神黒木くろきさんから逃げらるるち思うたにぃ」


 翼でさえ聞き取るのがやっとの囁き声に、離れたところで柔軟をしていた年長の隊員が、ガバッと上体を起こした。


「ちょっと! 死神、って言ったの、誰!?」


 ウェーブがかかった黒髪を一つにまとめているのは、臨時三班班長の黒木だ。普段は四班の班長で、宇佐は臨時班だけでなく普段から黒木の副班長をしている。

 右側の前髪を長く垂らした黒木は、鋭い目つきで周囲を見渡して言った。


「宇佐、おまえでしょ。あたしの悪口言ったの」

「ち、ちがっ」

「聞こえたわよ、死神黒木ですって?」

「すまん、すまんです」


 柔軟相手を振りほどき、黒木はツカツカと大股でやってきた。

 宇佐を庇うように立ち上がった翼を、仁王立ちで睨みつける。翼も女子としては背が高いほうだが、黒木は更に高く、170㎝を優に超えていた。


「……ねぇさかき。おまえもあたしの悪口、一緒になって言ってたの?」

「いや。だけど、宇佐の軽口を止められなかった以上、私も同罪だ」

「ふんっ おまえだって、どうせあたしのこと、腹の中じゃそうやって馬鹿にしてるんだろうに」


 そう言って、厚めのくちびるを突き出してみせる。

 ぱっと見は派手な面立ちの美人なのだが、わざとらしく眉を吊り上げて翼を詰る姿は、あまり褒められたものではない。

 翼は、そんな黒木をまっすぐ見つめていた。


「馬鹿になどしていない。だが、黒木に不快な想いをさせてしまったことは謝る。すまなかった」

「あらぁ、それが他人に謝る態度? さっすが、小隊長の妹君は、プライドが高くていらっしゃるわぁ~」


 黒木はねちっこく言いながら、翼の胸元へ人差し指を突きつけた。


「だ・け・ど。せっかくお姉さんにおねだりして指揮官にしてもらったのに、実力不足で降ろされたんじゃ、立つ瀬がないわよね~」

「小隊長は、公私混同など絶対になさらない。勿論、私もだ」

「うふん。そんな話、信じるバカがいるとでも?」


 険悪な雰囲気になりかけたそのとき、勢いよく訓練場のドアが開かれた。

 真っ青な顔をした柊が、大声で挨拶する。


「おはようございます! 寝坊して、間に合うと思ったけど、やっぱり間に合いませんでした!」


 シャツの襟だけでなく、背中まで冷や汗で色を変えている。肩で息をしながら叫ぶ柊の姿に、一瞬、訓練場は静まり返った。

 一拍遅れて、残っていた教官たちが駆け寄る。


「佐東一尉! 間に合わないと判断したら、すぐ教官室へ内線するはずだろう!」

「すみません! 途中で忘れ物に気づいて戻ったため、間に合いませんでした!」

「それじゃ、まるで忘れ物がなければ間に合っていたような口ぶりだな」

「間に合わせました!」


 普段は褒められてばかりの柊が、教官たちに絞られている光景に毒気が抜かれたのだろうか。黒木は舌打ちすると、翼と宇佐の傍から離れていった。

 他の隊員も、それを見て、ほっとしたようにため息を吐く。

 しかし、翼だけは柊を見つめたまま小首を傾げていた。


「柊が一人で来たとすると、西村はどこにいるんだ?」


 当然、その疑問はすぐに教官たちにも気づくことになる。

 柊の冷や汗が止まるのは、まだまだ先のことだった。

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