第30話 蜘蛛の巣のような思惑

 建物には、既に会見を前に大勢の人が集まっている。

 人々の注目を集めるわけにはいかず、しゅうは前を走るつばさへ小声で呼びかけながら廊下を走った。


「翼、待って」


 それには振り返らず、翼は勢いよく階段フロアへ飛び込んでいく。

 今はヘッドギアを使っていないので、無茶苦茶な走り方はしていないが、迷うことなく先へ進んでいく。日本中のシェルターの構造を記憶している、という翼の発言は、どうやら本当のことらしい。


「こんなところまで来たら、俺一人だと戻れなさそう……」


 柊のぼやきに、ようやく翼が声を発した。


「地下五階まで戻ったら、右へ曲がって直進。三つ目の扉を左へ曲がれば、さっきの控え室だ」

「なんだ、聞こえてるんじゃないか」


 しかし翼はそれには答えず、更に加速した。

 このままでは、まかれてしまう――そう感じた瞬間、柊は踊り場から勢いよく飛び降りた。十三段、全ての段を跳び越え、次の踊り場へ。着地の音が階段フロア全体を揺るがすほど激しく響く。

 柊は翼の正面に立ち、逃がさない、というように両手を広げた。

 通せんぼされた形の翼は、呆れた様子でため息を零すしかない。


「幾ら運動神経に自信があるからって……ヘッドギアもなしに、君はいったい何をしているんだ」

「いや、追いつくにはショートカットしかないかな、って」


 言いながら、柊は着地の衝撃で痺れた脚を擦っている。

 そんな彼を眺める翼のまなざしは、いつもと違って険がある。


「何の用だ。時間までには控え室へ戻る」

「あ、うん……それは別に、心配してないけど」


 足首を軽く回し、捻っていないか確認する。痺れてはいるが、問題なさそうだ。


「翼が会見を放りだすような無責任な人じゃないことくらい、小隊長も俺も、分かってるよ」

「だったら、なぜ。私は今、君と話したくないんだ」

「それは、その――」


 細い眉を吊り上げ、荒い口調でまくし立てる彼女を前に、柊は後頭部を掻いた。

(追いかけてきてみたものの……こういうとき、何を言えばいいんだ?)

 他人と深く付き合ったことがないから、どうすればいいか、見当もつかない。追いかけたところで傷つけるだけだ、と長谷部が言った通り、今の翼は些細なきっかけで涙を零しそうに見えた。

 誰かに傷つけられてその場を離れたことは、柊にも経験がある。

 独りにしてくれ、と思う反面、こちらのことなど気にも留めず、楽しそうにしているのを知るたび、胸が張り裂けるような心地がした。

 放っておいてほしいけど、放置してほしいわけじゃない――矛盾する気持ちは、柊にとって馴染み深いものだった。あるいは翼も、そんな心境なのかもしれない。


「なんていうか……俺も独りになりたくて」


 下手糞な言い訳に、翼も疑いの目を向けてくる。


「私の後を追ったら、独りになれないよ」

「それは、そうなんだけど。霞ヶ関支部に来たのは初めてだから、どこへ行けばいいか分からないんだ」


 そう言って、どこまでも続く階段の底を見おろした。

 高速エレベーターが配備されている地下都市において、彼らがいる階段は、非常時にしか使われない。打ちっぱなしのコンクリートの壁と、最低限度の灯りがあるだけで、後は二つの影が見つめ合うばかり。

(あれ……もしかして俺、真面目に迷子になってない?)

 説得するのも忘れて視線を彷徨わせている柊を眺めるうち、それまで吊り上がっていた翼の細い眉が下がっていく。


「そういうことにしておくよ」

「あの、ごめん……本当に迷子になったみたいなので、後で一緒に控え室まで戻ってください、お願いします」

「何をしに来たんだ、君は」


 肩を竦めると、翼は黒革の手袋を外し、階段に厚く降り積もった埃を払いのけた。段差を椅子代わりにして腰を下ろし、立ったままでいる柊を見上げる。


「ほら、君も座りなよ」

「あ、隣にいてもいいんだ?」


 そう返しながら、柊は勧められるまま翼の隣へ腰を下ろす。

 同じ戦闘服を身に着けて、同じ段に座ると、二人の体格の差がよく分かる。男の柊と比べて、隣に座る翼は手も足も小さく、細く長い脚は折れてしまいそうな儚ささえ感じさせる。

 柊と隣に立って比べられたとき、翼のほうが上官だ、と聞いて違和感を覚える人は多いだろう。長谷部や榊の言葉は厳しいものだったが、残念ながら、それは真実を突いていた。


「邪魔だったら、一つ下の階にいるけど」


 ためらいがちな返答に、翼は膝小僧を抱きかかえた。


「もういいよ。君に追いつかれまい、と必死に走っていたら、何もかもどうでもよくなってきた」


(やっぱり、落ち込んでる、ってレベルじゃないよな。とりあえず、外見のことから意識を逸らさせないと……)

 柊は側面の壁に体重を預けつつ、手すり側に座る彼女を眺めた。

 互いの静かな呼吸音を背景音楽に、二人はしばらく言葉を発しようとしなかった。

 踊り場の灯りに、どこからか迷い込んだ蛾がまとわりつくように飛んでいる。その動きを眺めながら、柊は沈黙を破った。


「あのさ。どうして上層部は、今になって、ダブルギアの秘密を公開しようとしているんだと思う?」


 翼は、軽く首を傾げてみせる。

 先を促されて、柊は続けた。


「こういう会見って、普通は何年も前から準備して、万全の体制を整えてからするものじゃないの?」

「戦闘員の国営放送への出演計画は、三年前からあったようだよ。私も、配属された直後に小隊長から聞かされた記憶がある」

「じゃあ上層部は、本物の・・・戦闘員を・・・・国民に見せる予定があったのか……」


 壁に寄りかかりながら、簡素な造りの灯りを見上げた。

(こういうとき、妹がいたら、どんな風に言ったかな)

 ほんの二ヶ月前には当たり前だった、問いかけに対する返答は、どこにもない。

 そのことに、胸の奥をキリで突き刺されるような痛みを感じながらも、仕方のないことだ、と受け止めつつある自分に、柊は気がついた。

 慣れというのは、なんと哀しく、恐ろしいものなのだろう。妹を喪失したことに、いつの間にか慣れ始めているなんて――。


「本物の戦闘員って?」

「ヘッドギアを被って演習を見せるわけじゃないし、【D】との戦闘を生中継するわけでもないんでしょ。それなのに、わざわざ本物のダブルギアを出演させる意味って、何かあるのかな、って」


 その言葉に、翼も身体ごと柊のほうへ向き直した。

 根が真面目な性格なのだろう。いつしか翼も、一緒になって柊の疑問について考えていた。


「できる限り真実を伝えよう、という上層部の誠意・・だ、と私は考えていたけれど」

「誠意? あの長谷部司令が、そんな言葉を理由に行動するとは、思えないよ」

「……それについては、反論しかねるけど」

「俺が基地へ来た日、榊小隊長が言ったんだ――嘘を吐くのと黙っているのは違う、って」


 そう返す柊の視線の先では、相変わらず小さな蛾が灯りにまとわりついている。

 すぐ傍らに張られた、蜘蛛の巣に気づくこともなく。


「国民が、ダブルギアを見たがってるのは本当だと思う。俺が覚醒してなかったら、今頃は食堂の大型テレビに張りついて、本物のダブルギアが出演するんだって! って大騒ぎしてただろうし」


 黙って耳を傾けながら、翼も灯りに群がる蛾を眺めていた。


「翼と違って、俺は少し前まで民間人だったから、思うんだけど。ダブルギアがこんなに支持されてるのって、秘密特殊部隊だから、ってのもあるんじゃないかな」

「……ミステリアス、ということ?」


 じゃなくて、と柊は軽く笑う。


「正直、昔の俺が想像してたダブルギアは、もっと人数が少なくて、一瞬で【D】を倒す超人戦隊スーパーヒーローみたいな感じだったんだ」

「最初の戦いとなった『国会襲撃事件』は、まさにそういう戦法だったし、似たような印象を持つ国民は多いだろうね」

「それなのに、本当は毎回命懸けで、負傷者もたくさん出してどうにか【D】を倒している、と知ったら、不安になる人も多いと思うんだ」

「だからといって、嘘を吐くわけには……」


 反論する翼の声も弱々しい。

 柊は、踊り場の灯りから翼へ視線を移した。それを口にするのを、ほんの数秒、ためらいかけた。でも、伝えなきゃならない。


「俺さ、さっきの長谷部司令の言い分も、少し分かる気がするんだ」


 さぁっと翼の顔が青ざめる。


「私が中途半端だと、君まで言うのか」

「翼だけじゃなくて俺も・・だよ」


 発作的に身構える翼から視線を外し、柊は自分の両手を眺めた。皮手袋を取ると、古傷がいくつも残るガサガサの掌が現われた。

 ダブルギアに覚醒してからの傷は、驚異的な速度で治っていくが、何年も前につけた傷は変化がない。弦が触れる左手親指の皮膚はひび割れ、弓を握る左の掌には硬くなったタコが並ぶ。その部分だけ見れば、元自警団・偵察班の名に恥じない、若き戦士の手と言えるだろう。

 だが、それとは対照的に、柊はいわゆる地下世代特有の中性顔だった。

 初日こそ、柳沢やなぎさわをはじめとして、疑いの目を向ける隊員も多くいたが、誰にもバレることなく一ヶ月が過ぎてしまっている。

 つまり、誰も柊の性別を疑っていない、ということだ。


「圧倒的戦力で【D】を殲滅する超人戦隊スーパーヒーロー、ってイメージからしたら、俺だって力不足だ。納得させたいなら、戦闘服がはちきれそうなくらいの筋肉達磨とか、いかついゴリラ野郎を連れてこないと」

「私たちは、未成年の少年部隊、という触れ込みだぞ」

「そんなの関係ない。【D】と戦ったことのない『一般人の理想像』なんだから」


 翼は、遠くを眺めながら小さく頷いた。


「国民を安心させるためだけならば、本物のダブルギアの出演に拘る必要はない、ということか……」

「別に、女です、って認めるわけじゃないんだよ? 真実もなにも、前提からして誤魔化したままなんだ。そんなもので真実を伝えたことになるなら、口の堅い筋肉達磨を適当に見繕って、カメラの前に並べておけばいいじゃないか」


 翼の視線の先では、先ほどの蛾が、蜘蛛の巣にかかっていた。

 もがけばもがくほど自分の位置を知らせていることにも気づけず、蛾は必死に暴れている。


「だとすれば、この国営放送計画には、もっと裏の思惑があることになる」

「この計画って、誰が言い出したものなの?」

「三年前、長谷部司令が着任した直後に、私は聞かされた」


 二人して考えを巡らせたが、これといった明確な回答は出てこなかった。あまりにも、判断材料が少なすぎる。考えるのをやめた翼は、大きく背伸びをした。


「私のことを追いかけてきてくれて、ありがとう」

「別に、何もしてないよ」

「君のおかげで、落ち込んでいる暇はない、と分かったよ」


 そう言って微笑む彼女の表情は、いつもより弱々しかった。触れたら雪のように融けてしまいそうな笑みに、彼女の力になってやりたい、という気持ちが湧いてくる。

 しかし、その笑顔は同時に「翼らしくない」という印象を柊に抱かせた。


「翼はさ、もっと自分に自信を持ったほうがいいよ」

「さすがに今の状況では、自信なんて持ちようがないさ」


 軍帽のつばを引く翼へ、柊はわざと明るい口調で続ける。


「確かに、翼は俺より背が低いし、声変わりもしてないけどさ」

「……分かってるよ」

「だけど、翼は誰より勇敢じゃないか」

「えっ」


 思わず、翼は軍帽から手を放していた。

 大きな瞳は、哀しみの色を湛えている。そんな彼女を励ましたくて、自然と口調に熱がこもる。


「俺を助けるために、たった一人で山犬型【D】と戦ってくれただろう。もしかしたら俺は他国のスパイか何かで、ダブルギアを捕まえようとしている可能性だってあった。それなのに、俺に手を貸してくれたじゃないか」

「でも、私は……」


 弱気な言葉なんて、英雄ヒーローには似合わない。

 言葉を遮り、柊は笑った。


「それとも、身体がゴツかったら男なの? 髭面の強面なら、男らしいってこと?」

「それは違うけれど」

「だよね、俺も違うと思うよ」


 何かに気づいたのだろうか。翼の瞳は、きらきらと揺らめいている。

 そんな彼女と目が合うと、自然と柊も目を細めた。


「翼はいつも通り、『凛々しい榊一尉』でいればいいんだよ。翼が誰より勇敢なダブルギアなんだ、って、俺は知ってるから」


 翼は潤んだ瞳をそっと伏せ、微笑んだ。


「ありがとう、柊」


 いつもと同じ、爽やかで自信に満ちた笑顔だ。それを見た柊も、心の奥にこびり付いていたモヤモヤが、少し晴れた気がした。

 だからだろうか、いつもは言わないような軽口が、口をついて出る。


「それよりさ。翼は規則通りの『男装』かもしれないけど、俺は『男装少女の女装をした男』なんだよ。会見中の俺は、どういう演技すればいいわけ?」

「男装少女の女装をした男……?」


 次の瞬間、翼は腹を抱えて笑っていた。


「あはは、本当だ。こうして聞くと、とんでもないね」

「そうなんだよ。男のふりをした女のふりをしている男、って、ムチャぶりにも程があるでしょ」


 珍しいことに、翼まで目を細め、からかうような口調で返す。


「放送だからといって、あまり男らしくやりすぎると、また隊員たちから疑いの目を向けられてしまうぞ」

「じゃあ間を取って、オネエキャラで行くとか……」

「それだと、女のふりをした男のふりをする男、じゃないか」


 くだらない話に、二人は笑い合った。

 そうしてじゃれ合いながら、ふと、視線を灯りのほうへ向ける。

 知らぬ間に、蛾は蜘蛛の巣から逃れていた。危険を冒してでももがき続けたのは、無駄ではなかったのかもしれない。

 ひとしきり笑った後、翼は目じりに滲んだ涙をそっと拭った。


「ああ、おかしかった。確かに柊と比べたら、私の男装は、とてもシンプルだ」

「俺なんて、基地へ戻っても女のふりを続けなきゃいけないんだよ」

「残念だけど、もう少し馴染むまでは黙っていたほうが良さそうだ」


 立ち上がった翼が差し出す手を握り、柊も隣に並ぶ。

 階段を上る二人は、もう雑談に花を咲かせることはなかった。胸を張り、力強いリズムで一段、また一段と上っていく。

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