第29話 覚悟
東京シェルターは、旧都営地下鉄沿線を中心に膨大な数の製造工場や居住用シェルターを有する、日本最大の地下都市だ。
その心臓部と呼ばれるのが、全国シェルター管理部が設置されている、霞ヶ関支部だった。これまでにも、大きな体制や法律を改革するときは、霞ヶ関支部へ各シェルターの知事が召集されている。今回は、これまで十七年の長きに渡って日本を守ってきたダブルギアの実戦闘員が、国営放送に出演するとあって、会見会場には各知事だけでなく、中央の政治家たちまでもが大挙して押し寄せていた。
会見会場とは別の階に設けられた控え室には、これから始まる国営放送に出演予定の、
いつもに増して険しい表情の榊を前に、柊は唖然とした顔で立ち尽くしていた。原稿をまとめた紙が彼の手から滑り落ち、床へ散らばる。
「……どういうことですか? 俺、初陣を終えたばかりの新人ですけど」
柊の問いかけに、榊は薄いくちびるを噛む。
「
「なんでそうなるんですか! 意味が分からない」
頭を抱えてしまった柊の隣では、翼が一言も発しないまま、くちびるを噛み締めている。事態を重く見た榊が一足先に話していたため、この場で取り乱すことはなかった。しかし、表情はかつてないほど固く強張っている。
ちらりと視線を流した後、榊は小さく首を振った。
「理由は二つある。一つは、先に帰還した翼よりも、状況説明のために残った佐東のほうが、責任ある立場と見做されるのが一般的だからだ」
「そんなの、たまたま俺が残っただけだとか、適当に言えばいいじゃないですか」
書類を拾おうとしゃがんだ柊を眺めながら、翼が先を促した。
「もう一つの理由は」
散らばった書類をかき集めながら、柊も耳をそばだてている。
呟くような翼の問いかけに対し、榊は目を閉じ、低い声を洩らした。
「おまえでは、現場指揮を執るようなベテランに見えないからだ」
翼の頬が朱に染まる。
「私は……確かに、小隊長のようには背が伸びませんでした。ですが、これまで外部の人と話す機会が何度かありましたが、性別を疑われたことはなかったはずです」
「それは、相手がおまえの年齢を知らないからだ。恐らく、おまえを見た多くの人間は、予備科の子どもと思い込んで、何も言わなかっただけだろう」
書類を拾う手を止め、柊は中腰のまま翼を見上げた。
会見のために新調した戦闘服を着て、軍帽を目深に被った彼女は、いつも以上に中性的に見える。カメラ映りをよくするという名目で、より少年らしく見えるように、化粧を施されたせいもあるだろう。
しかし正直なところ、かなり贔屓目に見ても、翼は自分と同じ十六歳になる男には見えなかった。女性と知った上でも成人男性に見える榊とは、男装の質が根底から異なるのだ。
それが、男装の麗人と、男装少女の違いなのかもしれない。
けれども翼は、納得できないというように、榊へ食い下がり続ける。
「世の中には、背の高くない男性だっています! 声変わりをした後も、高い声質の男性だっています。なぜ、私がそういった男性ということではいけないのですか!」
「おまえが幼い頃から努力してきたことは、知っている。しかし――」
榊が宥めようとしたそのとき、大きな音をたてて控え室の扉が開いた。
入口に現れた長谷部の姿に、柊は慌てて立ちあがる。長谷部は無言のまま大股で進み、榊の前に立った。二人は数秒、厳しい表情で見つめ合う。
ややあって、長谷部は口元を歪めてみせた。
「嘆かわしいな、榊二佐。十も年下の妹でさえ、躾けられんか」
榊はそれまでの感傷的な表情を打ち消し、翼へ向けて事務的な声を出した。
「そのくらいにしたまえ、榊一尉」
「……申し訳ありません」
翼の不服そうな声音に、長谷部は鼻を鳴らした。
「妹想いの榊二佐には言えないようだから、この私が教えてやろう」
「なんでありましょう」
「端的に言えば、君が現場指揮官では、国民が絶望するからだ」
「絶望とは、どういう意味ですか!」
強烈な言葉に、柊まで息を呑んだ。
当然、翼は険しい表情で言い返す。しかし、長谷部は顔色一つ変えず、翼の胸元へ指を突きつけた。
「貴様は、鏡を見たことがないのか!」
控え室の片側の壁は、鏡張りになっている。柊も先ほど、一昨日の戦闘で受けた傷や痣を隠すための化粧を鏡の前で施された。
長谷部の言葉に、翼は全身を映す大きな鏡へ視線を向けた。
室内で一番背が高いのは、柊だ。日頃の彼は、地下世代特有の性別不明顔、という印象が強い。しかし、軽い化粧と軍帽を被っただけで、精悍な青年に見えた。顔はともかく、広い肩幅や長い腕など、身体のパーツ自体は男らしい。
彼の次に背が高い榊も、男にしては少し華奢な感じがあるが、顔だけ見れば柊よりも男性的だ。背筋もまっすぐ伸びていて、凛々しい青年にしか見えない。
そして、翼の目の前にいる長谷部――背丈こそ、翼と変わらないものの、誰が見ても男と分かる。その長谷部の隣には、色を失った顔で鏡を見つめる
食い入るように鏡を見つめる翼へ、長谷部はさも同情しているかのような薄笑いで頷いてみせる。
「君は、自分の外見に何も感じないのかね。こんな貧相で脆弱な身体の子どもが、日本を救う英雄と聞かされて、国民は納得できると思うのか?」
「それは……しかし」
言葉で否定すればするだけ、鏡のなかの人物は表情を曇らせていく。
それを鏡越しに確認した長谷部は、口もとの笑みを消した。
「ダブルギアは、世界の希望だ。榊一尉、君のその容姿は、人類を救う英雄たり得るものか?」
「司令は、
「背丈なら、私も君とさしてそう変わらん。だが、誰が見ても、私のことは男と迷わず答えるだろう。しかし君は、中途半端な成長気前の子どもにしか見えん」
翼の握りしめた指が白くなる。
「
「違うと言えるのかね。対外的に男として十七年間生きてきた榊二佐や、元自警団のエリートである佐東一尉と比べて、君しか持ちえない完璧な部分があるとでもいうのか!」
詰め寄る長谷部に、翼の細い眉がしかめられた。
「ですが、
「努力など、凡人の無駄なあがきに過ぎん。君は、そこにいる二人のような
色を失った顔で、翼はゆるゆると首を振る。しかし、反論など認めない、というように、長谷部はなおも詰め寄った。
「さっさと現場指揮官の座を、佐東一尉へ譲りたまえ。退役後の仕事がないというなら、そこにいる小隊長に泣きついて、秘書にでもしてもらえばよかろう」
「――失礼します!」
叫ぶようにして長谷部の言葉を遮ると、翼は控え室から走り去った。
慌てて後を追う柊の背中へ、長谷部が声をかける。
「君が追いかけたところで、榊一尉を追い詰めるだけではないのかね」
扉の前で足を止め、肩越しに視線を投げかける。
「なんでですか」
「君も聞いていただろう? 凡人である榊一尉にとって、まさに時代の寵児たる君は、突然現れて、彼女の人生を滅茶苦茶に引っ掻き回した張本人だ。怒りで熱くなっている今、この世で一番、会いたくない相手ではないのか?」
言葉は違えども、榊も同感なのだろう。苦虫を噛み潰したような顔で長谷部を睨みつけた後、そっと軍帽の
「榊一尉は、職務放棄するような無責任な人間ではない。少し頭を冷やしたら、ここへ戻ってくるはずだ」
榊の発言は、姉として、上官として、翼を信じているからこその言葉なのだろう。そう、頭では理解していても、柊は同調する気にはならなかった。
「だからって、放っておいて平気なわけがないでしょう」
「佐東」
「ははは、君しか追いかけてこなかった、と知った彼女が、より一層、深く傷つくと知ってもかね?」
一瞬、ためらいかけたものの、柊は扉を押し開いた。
そのまま、振り返らずに長谷部へ告げる。
「――だとしても、せめて誰か傍にいたほうがマシです」
音を立てて閉じた扉を見つめながら、榊は深いため息を吐いた。
「総司令。会見まで一時間を切った今、何故わざわざ挑発するようなことを」
「君には感謝してもらいたいくらいだぞ、榊二佐。君がとっとと引導を渡してやっていれば、榊一尉もこんな惨めな形で、プライドを傷つけられずに済んだものを」
榊の表情は軍帽に隠れて分からない。
だが、その声には僅かに怒りの色が隠し切れずに滲んでいた。
「顔や名前を晒すなら、
「君と榊一尉では、体格があまりに違う。それに、政治家連中や各管理部のトップは、君と面識があるだろう。替え玉にはなれんよ」
内ポケットから煙草を取り出すと、長谷部は自分で火をつけた。
「榊二佐、君にとってもいい勉強になるだろう。“捨て駒”という手は、人道的には非難されがちではあるが、ときとして“持ち駒”を生かすため、必要な戦術なのだよ」
長谷部は柊の出て行った扉を眺めつつ、煙を細く吐き出す。
「君も、そろそろ物事を情で考えるのはよしたまえ。センシティブな心を抱えた、うら若き乙女、という年齢でもあるまい」
「ははっ うら若き乙女ですか」
低い笑い声を洩らすと、榊は二人が落としていった原稿の束を拾い上げた。
軽く机で束を整えながら、鏡越しに長谷部を睨みつける。
「
「……ふむ」
「ダブルギア1期生である
すらりと伸びた体躯で、榊は長谷部を見下ろす。胸を張り、何の表情も浮かべないその姿は、端正な美青年そのものだ。
長谷部は節くれ立った指で携帯灰皿へ煙草の灰を落とすと、口もとだけで笑う。
「そう、それだ。その覚悟が彼らには足らない。命だけでなく、己の一生を捧げなければならない、と理解できていないのだよ。よく躾けておきたまえ」
長谷部はそう言いながら、大股で控え室を出て行った。
扉が閉まるのを待って、榊は握った拳を会議用テーブルへ叩きつける。軍帽に隠されたその表情は、見たことがないほど険しいものだった。
「……何が目的で、翼を孤立させようとしている」
重苦しいため息を吐くと、榊はパイプ椅子に腰を下ろした。
大きく息を吸い込み、天井を仰ぐ。
「翼には佐東が必要なように、佐東にも翼が必要だ。
背もたれへ身を預けると、まるで返事をするかのように、パイプ椅子は耳障りな音を立てた。
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