第35話 歪《ひずみ》
超至近距離の女子トークは、まだまだ続いている。
(これだけ気を許してもらえてる、ってことは、俺が男とは微塵も思ってないってことなんだろうけど……それはそれで、悲しいような)
愛想笑い半分、苦笑半分で相槌を打つ。
話題は
「任務で男装するのと、世間に男として周知されるのは、別問題だっつーのな」
「いきなり上層部に命じられて、大変だったでしょう」
「
集まった隊員の中で静観しているのは、
彼女たちは古参組だから、あれこれ不満を言ったところで、長谷部たち上層部の考えが変わらないことを知っているのかもしれない。
あれこれ愚痴を零す隊員たちの中心で、
「っていうかさ。確かに柊は、ボクたちより男の子っぽいかもしれないよ? けど、これから覚醒するかもしれない子たちを護るためだからって、日本中に『男』として紹介されちゃうなんて……ボクは許せないよ!」
うんうん、と多くの隊員が頷く。
しかし、柊だけはすぐに言葉を返すことができなかった。
彼女たちは、柊のことを“女でありながら男装し、少年兵として顔と名前を全国に晒した”のだと思いこんでいるのだ。
でも、それは翼と
男である柊は、そのまま男として出演しただけなのだが、隊員たちの言葉を否定することができない。適当に言葉を濁そうとしたが、彼女たちは、よりいっそう距離を詰めてくる。
結衣は苛立ちを隠そうともせず、口を尖らせた。
「柊もさぁ。どーせここには偉い人なんていないんだし、少しぐらい愚痴を吐いたっていいんだよ?」
「え? あ、ああ……うん」
「ほらぁ。そうやって自分の殻にすぐ閉じこもる! ここへ来てもう一ヶ月だし、いつまでも遠慮してちゃダメじゃん」
「ん、うん――」
どういう反応をすればいいのだろう。
柊は、その問いに対する解答を持っていなかった。
基地へ来る前は、同性相手や親相手でさえ、まともな人間関係を築くことができなかったのだ。ましてや多感な年代の女子を相手に最適解を導き出せるほど、コミュ力に自信があるわけでもない。
すっかり押し黙ってしまった柊の対応に、微妙な空気が流れる。
すると、それまで静観していた
「それにしても、鮮烈なデビュー戦だったわね」
「あ、いえ、そんな大したことでは――」
緩い三つ編みにしている美咲は、後れ毛を耳へ掛けながら微笑む。
「謙遜しなくていいのに。親鳥へのトドメの一射、惚れ惚れしちゃうくらいだったわ。みんなも、そうよね?」
美咲に話を振られた他の隊員たちも、目を輝かせて同意した。
「柊ちゃん、とってもかっこよかったよ」
「せやな。さすが、着任・即エース班、なだけはあるわ」
「こ、今度、あたしに弓を教えてほしいです」
「未来の班長候補に、一番乗りね」
班長候補、という単語が出た瞬間、食堂の端から舌打ちが聞こえた。
はっとしてそちらへ顔を向ける。そこにいたのは、初日から突っかかってきた
(……やっぱり、新人が出世するのはむかつく、って人もいるよな)
予想はしていたが、やはり敵意を剥き出しにされて嬉しいはずがない。
みんなが労わってくれるのに甘えて、あんまり素直に喜んでいると、「天狗になってる」と陰口を叩かれるのは目に見えていた。
かといって、褒め言葉の巧い躱し方など知らない。八割が同性だった自警団でも、柊が周囲から浮いていたのは変わらなかった。頬が熱くなるのを感じながら、ひたすら謙遜の言葉を並べたてるしかない。
「俺なんて、何もしてないよ、本当」
「何言ってんのよ。いきなりエース班なんて……って、実はちょっぴりだけやっかんでたんだけどさ。さすが、元自警団のエリートなだけはあるわね」
年上の隊員のストレートな物言いに、笑顔が引き攣る。
(柳沢じゃなくたって、妬む人もいるよな――)
「そんなことないよっ 俺、格闘や剣術は全然だし」
「何言ってんだ。自警団のエリートってことは、白兵戦だってお手の物だろ?」
「そ、そこまでじゃないです……」
(接近戦の成績がそこまで良くないのは、本当なんだけど。うっかり攻撃を当てたりすると、訓練後に倍返しが待ってたし)
冷や汗をかきながら、必死に否定する。
そんな柊の思惑など気づかない様子で、今度は眼鏡をかけた隊員が話しかけた。
「ひょっとしてですけど、戦場で引いた矢、全部あてたんじゃないんですか?」
「いや、その、たまたまかもしれないし」
「まったまたー! 私なんて、一本もあたらなかったですよ」
「そういうこともあるよ、たぶん……」
闇雲に謙遜し続ける柊の対応に、段々と隊員の間に微妙な空気が流れていく。
すると、気を利かせた別の隊員が、強引に話題を変えた。
「それにしても、こうして近くでまじまじと見ると、本物の男の子みたいだね」
「うんうん。軍帽が良い感じでアクセントになってる、っていうか」
「昔の映画に出てくる兵隊さんみたいです」
「ふふっ そうよ。そんな風に肩を丸めてないで。会見のときみたいに、胸を張ったほうがカッコイイわよ」
そう言って、ポン、と美咲が柊の背中を軽く叩いた。
この話題は、下手につつかれるとまずい。
柊は被りっぱなしだった軍帽を慌てて取ると、視線を彷徨わせる。
「は、ははっ みんなも軍帽を被ればこんなもんだよ。俺なんて、全然……勉強もできなかったし、体力だけが取り柄みたいなもんだから」
「たくさん質問されてたけど、頑張って答えてたじゃん」
「あれはその、予想問題集みたいなのが作ってあったから憶えただけで……」
「あらあら……そうやってオドオドしてないで、もっと堂々としてみたら? そうしたら小隊長みたいに、佐東さんのファンだ、なんて隊員も出てきちゃうかもしれないわよ」
少しからかうような美咲の言葉に、数名の隊員が黄色い声を上げる。
「それいい!」
「柊様かっこいいー!! とか言われちゃうかもよー」
「俺みたいな
一拍の気まずい沈黙。
静まり返った食堂に、食堂の隅からこちらを窺っていた柳沢の声が響く。
「……謙遜しすぎって、かえってムカつくよな」
「えっ」
「あれだけ活躍しておいて、“どこにでもいる”? 頭おかしーんじゃねぇの?」
しまった、と思うより速く、冷めきった空気が食堂全体に広がる。気づけば、柊を取り巻く隊員たちの表情も、どこか気まずいものに変わっていた。
調子に乗っている、と言われないように気をつけていたはずが、それとは別の越えてはいけないラインを、ぐりぐりと踏みにじってしまっていたらしい。
柳沢の野次に返す言葉が見つからず、柊は項垂れることしかできなかった。
(もう終わりだ。男だとバレなくたって、やっぱり俺みたいな人付き合いが苦手な奴は、本物の仲間になんてなれるはずがなかったんだ……)
柊は、黙ったまま椅子から立ち上がった。
これ以上、傷を広げたくない。溝を深くしたくない。
そのために選べる道は、今まで通り、みんなと距離を置くことしかなかった。
「ごめんなさい」
ぼそり、と呟くと、柊は食堂から走り去った。
入口のドアをくぐったところで、華奢な身体とぶつかる。あっと思って視線を床へ落とすと、転がっていたのは翼だった。
「痛っ」
「翼……」
倒れたときにぶつけたのか、左肩を手で擦っている。けれども、翼はいつもと変わらない笑みを浮かべてこちらを見上げた。
「どうした、柊。そんなに急いで」
「あ、ご、ごめん」
「気にしないで。私もこれから軽食を摂るから、君も一緒に――」
起き上がる翼を手伝おうと伸ばしかけた手が、途中で止まる。
このまま食堂へは戻れない。強く眉をしかめた後、柊はくちびるを噛み締めた。
「悪いけど、俺はいいです」
「柊?」
そのまま走り去った柊を見送りながら、翼は小首を傾げた。
左肩は戦闘で痛めたもので、まだ治りきっていないだけなのだが。大怪我をさせたと思い込んで、バツが悪くなったのだろうか――それなら、むしろ付き添うタイプに見えたのに。
食堂へ足を踏み入れるなり、伊織が高く手を挙げた。
柊だけでなく、翼も今や日本中で噂される「時の人」だ。当然、事情をある程度、知る隊員たちにとっても同じこと。伊織以外の隊員も、翼をにこやかに迎える。
「翼、おつかれ」
「ありがとう、伊織。みんな、治療は順調?」
前現場指揮だった美咲の存在に気づくと、翼はそちらへ近寄った。
美咲のすぐ隣に、ぽつん、と残された空席。座面には誰かが座っていた形跡がある。恐らく、柊が腰かけていたのだろう。
美咲は、二十二名の隊員たちの治療状況を手身近に報告した。そうして、空席をちらりと見る。当然、他の隊員たちも主のいない椅子を眺めていた。
「何かあったんですか」
軍帽を脱ぎながら尋ねる翼へ、美咲が腕組みをする。
豊かな胸元のカーブがより強調されるが、女子ばかりなので気にする者もいない。
「……大したことではないのよ。でも、たぶん佐東さんはちょっとメンタルが弱いところがあるみたいだから、ショックを受けちゃったのかも」
「実力がある新人は、みんな通る道だろ」
軽く嘆息した伊織が、翼へ簡潔に説明する。それだけだと味気なさすぎる、と思ったのか、ところどころで他の隊員たちも口を挟んだ。
空席を囲む隊員たちの気まずそうな顔、それと対照的に、奥のテーブルからこちらを睨む柳沢グループの様子を見比べる。どうやら、伊織の報告は正確そうだ。
「……確かに、あれだけの戦績を上げておいて過剰に謙遜されたら、立つ瀬のない隊員も多いだろうね」
伊織に勧められ、翼は柊が座っていた椅子へ腰を下ろす。
まだ、ほんのりと温かい。
(私だって、最初は柊へ八つ当たりしてしまったくらいだ。ダブルギアとしての意識が高ければ高いほど、
比較的、軽傷な隊員が翼にも麦茶を持ってきてくれる。それを飲みながら、食堂の奥へ視線を流した。
食堂の隅では、柳沢と結衣が大喧嘩している。
「超うぜぇんだよ、アイツ! どーせ、オレ様はおまえらはと違うんだ、ってアタシらのことを見下してるんだぜ!」
「柊がそんなこと考えてるわけないじゃん!」
「るっさいなぁ。アタシは、ああいう上層部にゴマ擦りしまくるエリート様が大嫌いなんだよ」
「それは、柳沢がお偉いさんにゴマ擦りしてもムダだったからじゃないのぉ?」
「なんだとー!」
完全に、子どもの喧嘩だ。実際、両名とも本来ならまだ予備科に通う、昔で言うところの中学生なのだが。
それに伊織の言うように、ちょっと見どころのある隊員が入ると柳沢が文句をつけるのは、いつものことだった。良い傾向ではないが、柳沢は小隊長の榊でさえ持て余している部分がある。とんでもない跳ねっ返りだ。
「すまん。途中で取り成そうとしたんだが、あたしも口が上手い方じゃなくて」
ためらいがちな伊織の言葉に、美咲が軽く微笑んだ。
「伊織ちゃんが気にすることではないわよ。それに、自分より先に新人が出世することを流せない隊員だって、本当は柳沢さんの他にもいるでしょうし」
「やれやれ、嫉妬か」
「二十二名もいれば、何人もね」
「ふーん」
伊織は美咲から視線を外し、肩を竦めた。
空気を変えようと、美咲は椅子に座った翼の肩を、柊のときと同じように、両手でぽん、と叩いた。途端、翼が痛みを堪えるように目を瞑る。
「あらやだ、ごめんなさい。まだ治療してなかったの?」
「いえ、大したことありません……それより、少し時間をおいて、私からも柊と話してみましょう」
「そうね。わたしの目から見て、佐東さんが一番心を開きかけているのは、翼ちゃんのようだから」
軽食を摂り、幾つかの雑用を終えると、小一時間が経っていた。
そろそろいいだろう、と時計を確認した翼は、あらかじめ頼んでいたサンドイッチの詰め合わせをキッチンから受け取り、食堂を出た。
廊下を進み、隊員たちの個室が集まる居住区へ。同じような白い扉が続く中、柊の部屋の前へ辿り着いた。
軽くノックして反応を待つ。だが、何の声もしない。
「柊、サンドイッチを持って来たんだ。一緒に食べよう」
「…………要りません」
「私しかいないから、寝間着でも気にしなくていいよ」
「放っといてください」
すっかり気落ちした様子の声に、ため息を押し殺す。
翼はしばらく個室のドアへ語りかけていたが、やがて自室へ戻っていった。
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