第34話 お出迎え
廊下の床を蹴る速度が、ぐんぐん増していく。
息が上がるのも構わずに、柊は無心に走っていた。自分より男らしく見えるとはいえ、上官に寄りかかって居眠りしていたなんて――。
(なんで寄りにもよって、あの場面で寝てるんだよっ)
全力でその場を離れ、エスカレーターの下ボタンを高速連打。やっと開いたドアへ飛び込み、今度は「閉」ボタンを超高速連打。
どうにか二人と同じエレベーターに乗ることは、避けられた。動き出したのを確認し、食堂のある地下九階のボタンを押す。
(ああああ……心臓に悪い……)
肝を冷やす、とはまさにこと。あまりの緊張で、眠気も吹っ飛んでいた。
(まあ、
榊にどう思われたのか、というのも心配だが、
半分寝ている柊へ軽口を叩いていたが、ほんの二時間前までどん底の精神状態だったのだ。
問題は他にも山積みだ。他人の心配をしているどころではない。
(
あれこれ考えるうちに、エレベーターが止まった。
地下九階であることを確認し、機体の外へ。このまま個室へ戻ってもいいのだが、すっかり目が冴えてしまった。そうなると、次に気になるのが空腹だ。
(確か、今日は治療優先の非番なんだっけ。食堂で適当に何か作ってもらって、部屋で食べようかな)
戦闘服のポケットに手を突っ込み、柊は食堂へ向かった。
なんだかんだ言って、大きな仕事を終えた後は気が楽になる。いつもより軽い足取りで食堂の扉をくぐった途端、奥のテーブルから大きな声が響いた。
「ああああああーっ 柊だ!」
甲高い声が鼓膜を揺るがす。耳が痛い。
誰だ、と視線を向けると、奥の席からツインテールを揺らし、
(え、え、え?)
思わず足を止めた柊のところへ、車椅子に乗った結衣がカラカラと音を立てて突撃してくる。反応が一秒遅れていたら、弁慶の泣き所に激突されているところだった。
「ちょ、危なっ」
「うわーん。柊、
「はぁ?」
全く想像していなかった単語に、思わず声が裏返る。
最初はジョークかと思ったが、結衣は細い肩を震わせ、わんわん泣いている。
「ちょ、ちょっと。何で俺が死んだことになってるの?」
子ども丸出しな全力の泣きっぷりに、思わずしゃがんで結衣の顔を覗き込む。
それに気づいた結衣は、細い眉をハの字にして柊を見上げた。
「だって、柊は八咫烏が初陣の三尉だったじゃん」
「というか、班長以外はみんな三尉でしょ」
「そうだよ! それなのに、いきなり翼と同じ一尉になるんだもん!」
(結衣は泣いてるけど、別に「新人が自分より先に出世したのが悔しい」という感じじゃなさそうだし……)
首を捻る柊へ、結衣は頬を伝う涙を拭いながら嬉しそうに笑う。
「ほら、二階級特進、って言ったら、普通は
物騒な単語に、思わず吹き出す。
「いやいや……俺も普通に撤収作業して帰還してたでしょ」
「ボクは、一番最初にジープに戻っちゃったから、そんなの知らないもん。
はっとして振り返る。
壁際の席で頬杖を突く伊織が、にやにや笑いながら片手を振ってきた。
「あのー、伊織さーん。俺の死亡説を流したの、あなたですか?」
ジト目で睨んでみるが、伊織は全く動じていない。
隣に点滴を吊るすスタンドを置いているものの、戦場で最後に顔を合わせたときよりは元気そうだ。
「すまん、すまん。しかし、信じる結衣も結衣だろ。生放送に映ってるんだから、『二階級特進』がジョークだってことくらい、分かると思ったんだけどなあ」
「えー、CGかもしれないじゃん」
「閣僚や知事までフルCGかよ」
「うん。翼や小隊長もぜんぶ」
(……生放送する意義とは)
辺りを見渡すと、結衣以外の隊員は苦笑している。もちろん、小学生の隊員もだ。
(まあ、普通は騙されないよな。生放送に出てたんだし)
宥めるように結衣の頭を軽く撫でてやりながら、伊織へ話しかける。
「とはいえ、殉職疑惑を掛けたんならフォローもしてくださいよ」
「最悪の事態を想定しておくのは、悪いことじゃないさ。政府の陰謀だか上層部の思惑だかに触れて、おまえさんが消されてフルCGになってる、って可能性だってあっただろ」
「あるわけないでしょ」
柊の返しに笑い声が上がる。それをきっかけに、食堂にいる殆どの隊員たちが柊を取り囲むように集まってきた。
非番とはいえ、治療優先なので、どの隊員も支給品の黒ジャージを着ている。
結衣のように車椅子に乗った隊員のことも、自力で歩行ができるまで回復した隊員が押している。ここにいない者は、まだ治療に専念しているのだろう。ダブルギアの自己治癒能力は高い、とはいえ、折れた骨がくっつくのに数日はかかる。
十名弱の隊員が、わらわらと柊の周りを取り囲んだ。
「
「会見、みんなで観てたんだよー」
「なんや、めっちゃ緊張しとったな」
「オツカレさん」
隊員たちはみんな、柔らかな笑みを浮かべている。
これまで柊は、男とバレないように、翼以外の隊員とはわざと距離を置いていた。
独りには慣れている、別にどうってことない――そう思っていたが、こうして好意的な態度を示されて嬉しくないわけがない。
自然と、柊の表情も柔らかくなった。
「あ、ありがとう」
すると、別の班の女子が跳びついてきた。
「国営放送の柊さん、しんけん恰好よかった!」
「は? え、あの……」
「もう、どこからどう見てん、男子にしか見えんかったちゃ」
そう言って、年下と思われる少女は、力いっぱい抱きついてきた。
別の班の、
かろうじて相手の名を思い出しながら、柊は目を白黒させることしかできない。何せ、これまで異性はもちろん、親にだってこんな熱烈なハグをされた記憶はない。
そんななか、少年のように短い髪ではあるが、列記とした女子が全力で抱き着いてくるのだ。反応できるはずがない。
(なに、まさか、男ってバレたわけ?)
柊が硬直しているのをいいことに、他の隊員たちも更に距離を詰めてくる。
別の年下の隊員が柊の腕を取る。
それを見た結衣が、ずるい、と喚いている。
年上の隊員が、幼い隊員を押しのけて背中に抱きつこうとする。
熱烈すぎる歓迎にびびった柊が、逃げ腰になりかけたそのとき、離れたところから眺めていた
「はいはい。佐東さんは、わたしたちみんなのヒーローなんだから、独り占めしようとしないの」
(何それ。どういう状況なの、これ)
場を仕切りながら、パチンとウインクしてみせる。
そうして美咲は、柊の背中を押して一番奥のテーブル席へ連れていった。柊も場の空気に飲まれ、椅子へ腰を下ろしてしまう。すると、柊の周りをぐるりと囲むように、十名弱の隊員が座った。
(俺、今から吊るし上げでもされるわけ?)
この後の展開が予想できない柊は、怯えながら他の隊員を見渡した。
伊織が、食堂のキッチンから冷えた麦茶を取ってきてくれた。ガラス製のグラスも、カラカラと澄んだ音を立てる氷も、ダブルギアの基地へ来るまで経験したことのなかった物ばかりだ。
軽く礼を言ってグラスを両手で握り、まずは喉を潤す。そうして飲んでいるふりをしようとする暇もなく、後ろから美咲が肩を抱いてくる。
「普段こうして近くにいると、地下世代特有の性別不明顔って感じなのに……メイクされて画面越しに観ると、佐東さんじゃなくて、“柊くん”って雰囲気よね」
「――――っ!!」
思わず麦茶を吹き出しそうになるが、どうにか堪える。
それよりも、肩に置かれた美咲の柔らかな指の感触や、鼻腔をくすぐる甘い香りに頭がくらくらしそうだ。
心臓がぎこちなく動くのを感じる間も、他の隊員たちが話に加わる。
「うんうん。完璧、男の子だったわー」
「佐東さん、かっこよかったです」
「ちぃっとばかし、セリフ噛み噛みやったけどな」
あははは、とみんなが笑う――どうやら、男とバレたわけではないらしい。
(うぅ、ストレスで胃が痛い……)
苦笑いをしているのに気づいた結衣が、包帯の巻かれていないほうの手をひらひらさせた。
「ほらぁ、あんまり男の子っぽい、って言うから、柊が怒っちゃったじゃん」
「そういうわけじゃ」
「柊だって、女の子なんだからさぁ。いくら褒め言葉でも、男の子みたい、ってのはやっぱムカつくんじゃないのー? キャハハハッ」
すると、すぐに周りの隊員たちがフォローに回る。
「ご、ごめんなさい、柊さん。悪い意味じゃないんです!」
「そうそう。私達は、男の子として戦え、って言われてるでしょ。だから、男の子みたい、っていうのはすごく良い言葉だと思ってて……」
「まだ着任から一ヶ月やもん。そんな言い方されたって、嬉しかないよね」
先ほど跳びついてきた宇佐が、ぎゅっと抱きしめてくる。
再び反応できずにいる柊を慰めるように、彼女は頬を寄せてきた。
同じ人間なのに、頬を掠める髪の毛は柊より細くて柔らかい。ぱっと見は小学生の男の子、といった雰囲気だが、明らかに自分とは違う性別を感じさせた。
「会見、本当に
「……え?」
思いがけず、沈み込んだ声のトーンに、宇佐の顔を覗き込む。
包帯でぐるぐる巻きにした額の下、前髪に隠された切れ長の瞳に大きな涙を湛え、宇佐は熱心に語りかけてくる。
「男としち戦え、ってだけでん、
「ご、ごめん、一所懸命言ってくれてるのは嬉しいけど、何を喋ってるか全然分からないんですが」
「わたしん言葉、分からんか?」
「あ、そこだけは分かった」
「???」
宇佐が首を捻っているのを見かねて、古参組の伊織が通訳してくれた。
「要するに、男として全国に放送されるなんて可哀想、ってことだ」
「あ、ああ、なるほど」
(翼が男として全国放送される、って聞いたときに、俺も同じことを思ったな)
ということは、この宇佐という隊員も、自分のことを仲間として心配してくれているのだろうか。すぐに抱きつく激情タイプなのかもしれないが、心配されている、という点は嬉しくもあった。
宇佐はすっかり懐いた様子で、柊の肩へ手を乗せて目を合わせてくる。
「柊さん、大分ん言葉は難しいか?」
「あ、大分なんだ……九州かぁ……ごめん。俺、関東だから訛りはあまり」
「細けえこたあ、いいやんか。なんかなし、無事に戻っちきちくれち、よかった」
「あっ ハイ」
柊の棒読みな返事に、周囲から笑い声があがる。
疲労はピークに達していたが、柊はひととき、仲間として認められた喜びをしみじみと噛み締めていた。
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