第79話 本来の戦場

 長野駅から数百メートル離れたところにある、南千歳町公園。

 遊具は小さな滑り台が一つあるきりで、後は隅にベンチが置かれているだけだ。子どもが集まる場というより、近隣で働く人々の憩いの場だったのだろう。

 しかし今、ビルの谷間に設置されたその公園は、殺気に満ちていた。

 現場指揮官である美咲みさきが、通信機を使って全体へ指示を出す。


「二班と四班は常に接近戦を仕掛け、【D】に張り付いてちょうだい」

『了解』

「負傷した二人は、できるだけゆっくりと敷地から離れて。クマ系の【D】は、逃げるものを追う習性があるわ。絶対に、焦ってはダメ」

『うぅ……了解です』


 広場中央で唸る【D】を囲む隊員は、総勢十三名。

 新人の西村にしむらとその教育係であるしゅうを除く、全ての隊員が公園周辺にいた。しかし、既に数名の隊員が、攻撃に参加できない程の怪我を負っている。

 美咲の指示に従い、二班の隊員たちが波状攻撃を仕掛けた。伊織いおりを含め、二班は全員、古参の前衛ばかりだ。班長である藤波ふじなみの指示に従い、隙のない動きを見せる。


「体毛で刃が滑ります。角度に注意して攻撃しましょう!」

「任せろ」


 藤波の指示に、伊織が応える。

 一方、四班班長のつばさは、柳沢やなぎさわと連携を取りつつ、無理のないペースを保ちながら攻撃に参加していた。

 更にその合間を縫うようにして、公園の敷地の端に散開する後衛たちが、遠距離から矢を射かける。常に誰かが攻撃している状態を維持することで、ターゲットを絞られないようにしているらしい。

 敵はあちこちから出血し、既に相当なダメージを負っている。

 巨大なヒグマによく似た姿の【D】は、苛立ちの滲む唸り声と共に、勢いよく両腕を振り回した。多くの隊員が回避していくなか、ちょうど斬りかかろうとしていた伊織が、態勢を崩してしまう。


「グワアアァァアアアアアッ」

「くそっ」


 振り回された腕が肩に直撃し、伊織は人形のように軽々と宙を舞った。

 美咲が注意したように、クマは逃げるものを追う習性がある。本人にその気がなくとも、ぱっと移動したように見えた伊織へ、巨大なヒグマは突進した。

 伊織は砂地を転がりつつ、どうにか距離を取ろうとする。ヒグマが頭突きをする寸前、両者の間に翼が割って入る。


「伊織、今のうちに立て」

「すまん」


 一直線に飛び込んできた巨大ヒグマの顔面へ、居合い斬りので太刀を浴びせる。

 宙を飛ぶ黒い鼻先。返り血を全身に浴びながら、翼は背後へ叫ぶ。


「ここから一気に畳みかけるよ!」


 巨大なヒグマは、痛みと怒りに我を忘れ、闇雲に腕を振り回した。それを掻い潜り、剛毛の生えた背中へ真っ先に刃を突き立てたのは、柳沢だった。


「けっ そろそろくたばりやがれ」

「グォオオオオオオオッ」


【D】は転がるようにして柳沢を振り払うと、威嚇の唸り声を上げた。

 先ほどの翼の呟き通り、詰めのタイミングが近づいている。しかし、ヘッドギアに隠れた翼の表情には、余裕がなかった。

(……柊と西村は無事なのか?)

 数分前、もう一頭の【D】と柊が交戦していることが、美咲から告げられた。

(柊は確かに強い。だが、これだけ二つの戦場が近いと、恐らく臨界速ダブルギアは使っていないだろう)

 柊の戦闘力を、信じていないわけではない。

 彼は、上位三パーセントの身体能力者しか進学できない自警団予備科を卒業し、偵察班に配属された真のエリートだ。初陣から積極的に戦闘に参加し、トドメも担当した。新人とは思えないベテラン隊員顔負けの活躍を、翼もすぐ近くで見てきた。

(だが柊は、まだ三戦目だ。素人とまったく変わらない西村も傍にいる。無茶をしていなければいいけど)

 そのとき、公園の隅に植えられた木の傍らから挑発の声が響いた。


「随分、動きが鈍くなったわねぇ。死にぞこないが暴れてるのも見苦しいし、そろそろ、息の根を止めてあげようかしら」


 声の主は、三班班長の黒木くろきだ。

 芝居がかったセリフの合間に、立て続けに次々と矢を引く。狙いは少しの狂いもなく、バスッ、バスッ、と重い音と共に【D】の胸元へ突き刺さった。

 すると【D】は、張り付くようにして接近戦を試みていた前衛の隊員を振り落とし、黒木目がけて突進した。


「フグルゥォオオオ……フグォルルルル……」

「あら。まだ走れるの、おまえ」


 言葉とは裏腹に、少しも意外そうな素振りも見せず、黒木はひらりと跳びあがる。傍らの木の高い枝を右手で掴み、勢いを利用して半回転。更に高い枝の上へ。

 黒木の隣にいた二人の班員たちは、黒木の動きを呆気に取られた顔で見上げることしかできなかった。


「え、は、班長っ!?」

「これじゃ、あたしたちが狙われ――」


 手の届かない高さへ行ってしまった黒木ではなく、反応の遅れた二人へ、巨大ヒグマは突進していく。その様子を、涼しい顔で黒木は見下ろしている。


「やだ~、こんな高さも跳べないわけ? それとも、ヘイトを稼いだわたしが狙われることも分かんなかったの?」


 そう呟いて、二人の隊員を小馬鹿にするように鼻で笑う。

 班長が、自分の身代わりに班員を差し出すなんて――理解不能な行為に、小柄な隊員は木の上の黒木を見上げたまま、嫌々をするように首を振っている。

 その様子を見た途端、隣の隊員は弓をその場に捨て、片足を引き摺るような動きで脇差を構えた。

 近くには、この三人しかいない。後輩はパニックを起こしているし、黒木は嘲笑するばかり――ならば自分が戦うしかない、と悟ったのだ。


「あらあら。そういえばあの人、足の故障が治ってないんだっけ。わたしったら完全に忘れてたわ~」


 黒木は、お手並み拝見、とでも言うように、木の幹に寄りかかって見物している。

 それに気づいた美咲が諫めようとしたところで、動きが止まる。他の隊員たちも、突如、割り込んできた西村の通信に驚いた様子だった。


『誰か早ぅ来て! 四班の佐東さとうが、化け物とたたこうて、死にそうなんや』


 全ての訓練を拒否していた西村が、ヘッドギアの機能を使えることに驚きつつも、美咲は西村の言葉から状況を把握しようとした。

 柊が化け物と戦っている――それは、既に本人から報告を受けている。

 死にそう――恐らく、柊が負傷したのだろう。死にそう、ということは、逆説的に、柊はまだ生きているはずだ。

(大方、戦闘に慣れていない西村さんが、出血を見て錯乱したのね)

【D】との戦闘において、まったくの無傷で終わることはない。だが、負傷に慣れていない新人が、ちょっとした傷――普通の人間の感覚では“死にそうな大怪我”だが――で騒ぐのは、いつものことだ。


「落ち着いてちょうだい。佐東さんは、戦歴は浅いけれどエース候補の隊員よ。多少負傷をしても、通常タイプの【D】に後れを取るとは――」


 半狂乱の西村を宥めている間にも、戦況は刻々と変わっている。

 こちらにいる【D】は、黒木にターゲットをなすりつけられた二人に襲い掛かっていた。ベテランの隊員が脇差で応戦しているが、足の踏ん張りがきかず、あっという間に圧し掛かられてしまう。

 涎をぼたぼたと零しながら大きな口が開かれたそのとき、小さな影が背中へ斬りかかった。細い身体の持ち主は、敵を挑発しようと、必死に声を張り上げる。


「そこまでちゃ!」


 斬りかかった宇佐うさは、再び敵の背中を水平に斬った。噴き出す血飛沫が、彼女のヘッドギアを汚す。

 だが、体重も軽く腕力もない一撃では、大したダメージを与えることができない。振り向きざまの頭突きを正面から喰らい、宇佐の華奢な身体は軽々と宙を舞った。


「ふわぁああっ」


 公園に設置されたモニュメントに、細い身体が激突する。

 運の悪いことに、金属の部分へもろ・・に頭を打ちつけてしまったらしい。ずるりと砂地へ倒れこんだ宇佐は、そのまま動かなくなった。


「宇佐さんっ」

「宇佐!」


 あちこちから呼びかける声があがる。だが、反応はない。

 巨大ヒグマは、姿勢を戻すと圧し掛かっていた隊員の腹部へ、前足を置いた。柔らかな腹を引き裂くと、噴き出す血を浴び、歓喜の咆哮を上げる。

 くぐもった悲鳴と共に、びくびくと痙攣する隊員。それを見たもう一人の隊員は、咄嗟に逃げ出してしまった。

 腹を裂いた隊員を放置し、【D】は逃げる小柄な隊員を追いかける。


「い、いやっ 来ないで、来ないでぇ!」


 引き裂かれた腹を押さえる隊員の呻き声、逃げ惑う隊員の悲鳴。公園内は、一瞬にして地獄と化した。

 通信機で西村の対応をしていた美咲は、話を中断させようとする。


「西村さん。佐東さんには、こちらの目標が片付き次第、すぐに救援へ向かう、と伝えて。三分で終わらせるわ」

『三分なんて――』


 無理やり通信を切り、美咲は全体へ指示を出す。それに従い、動ける後衛全員が矢を射かけた。黒木も、涼しい顔で木の上から引き絞る。

 彼女たちの視線の先で、【D】は小柄な隊員の腰へ噛みついていた。


 ビスッ ドスッ バスッ ガスッ タンタンタンッ パスッ……


 次々と、巨大なヒグマの背中を射抜いていく無数の矢。

 隊員の腰に齧りつく姿勢から、ゆっくりと砂地へ倒れていく。その途中で、剛毛に覆われた身体は透けていき、光の粒子に姿を変えていく。

 隊員たちはそれを、どこか遠い目で見送った。

 やがて光の粒子が全て風に消えると、美咲は重苦しい息を吐いた。

 十三名で一頭の【D】を相手にするのは、ぎりぎりだった。周囲を見渡すと、あちこちから呻き声が聞こえてくる。

(……まるで、三ヶ月前までの戦闘に戻ったみたいだわ)

 柊が来るまでは毎回こんなものだったのだ、と唐突に思い出す。

 泣いて、叫んで、パニックを起こして――そうやってどうにか戦い、生き延びてきた。黒木のような性格破綻者でさえ使わざるを得ないほど、毎回が地獄のような戦場だった。

(それなのに……エース級の新人が入っただけで、あんなに違ったなんて)

 思えば八咫烏ヤタガラスと戦うときも、いつもより心の平静を保って戦う隊員が多かった。

 柊の戦闘力がどんなものか、出動の時点では誰も知らなかった。だが、「自警団出身のエリート新人」が「堂々と参戦している」というだけで、心の支えになっていたのだろう。

八岐大蛇ヤマタノオロチ戦が上手くいったのは、結果論だわ。結局、わたしたちは他人に依存している。わたしも、そして、翼ちゃんも)

 そんなことを考えていた美咲のもとへ、二人の隊員が駆け寄ってきた。互いに顔を見合わせ、先に口を開いたのは翼だった。


「柊の救援を指示してください! 四班の私と柳沢だけでは足りません」

「もちろんよ。藤波さんの話は?」

さかきさんと同じですわ。ただ、重体の隊員を撤収させるため、何名かここに残さなければならないと思われますけれども」


 藤波の意見に、美咲も頷いた。

 頭部を激しく打った宇佐をはじめ、自力の移動はおろか、不用意に動かせない重傷の隊員は何名もいる。

 たった数百メートルしか離れてないなら、柊と交戦中の【D】が、ふらっとこちらへ戻ってこないとも限らない。衛生班が来るまで、負傷者を守る役も必要だった。


「では、藤波さん。あなたは二班と四班をまとめ、佐東さんと西村さんの救援へ向かってちょうだい」


 救援部隊の指揮を命じられた藤波は、一瞬驚いたようだったが、すぐ頷いた。


「ええ、分かりましたわ」

「わたしは小隊長へ報告しつつ、重体の隊員の撤収をします。三班班長黒木さんに、言わなくちゃならないこともあるし」


 そう呟く美咲の視線の先にいる黒木は、自分のせいで重傷者が二人も出たことなど気にする様子もなく、壊れかけのベンチに腰かけている。

 ややあって、隊員たちは救援部隊と撤収部隊の二手に分かれた。

 藤波の号令で走りながら、翼は嫌な胸騒ぎを感じていた。

(普通に考えれば、西村の通信に対する美咲さんの判断は正しい)

 神獣型【D】を相手に活躍した柊が、通常型【D】に遅れを取るとは思えない。多少の怪我をしたとしても、充分に渡り合えるだろう。

 一方、新人の西村は製造部所属で、紡績工場で働いていたらしい。恐らく、出血や怪我とは無縁な生活を送ってきたはずだ。

 柊の怪我を見た西村が、パニックを起こしている――普通に考えて、それが一番、可能性が高かった。

(私が現場指揮官でも、西村の通信を切って、こちらの戦いを早めに終わらせることを優先しただろう)

 そもそも西村が言う通りのピンチなら、先に死にかけるのは西村ではないのか?

 そんな風に、二人が大丈夫でいるであろう根拠を並べてみても、腑に落ちない。

 藤波に合わせて走っていた翼は、更に加速して先頭へ出た。


「榊さん?」

「藤波、すまない」


 ぐんぐんと後続の隊員たちを引き離しながら、翼は通信に切り替えた。


「戦闘上の指示は、必ず君に従う。だけど、どうにも嫌な予感がするんだ。先行させてほしい」

『佐東さんと榊さんは、お友達ですものね。分かりましたわ、先行を許可します』

「ありがとう。恩に着るよ」


 軽く頭を下げたあと、翼は力強いストロークで更に加速していく。伊織も追いかけようとしたが、元々の足の速さが違う、と諦めたようだ。

(杞憂であってくれ、頼む)

 瓦礫の散乱する大通りを、翼は鬼気迫る表情で走り続けた。

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