第71話 真意と思惑

「放して、って言うてるやないの!」


 廊下に響く西村にしむらの高い声。

 西村の両脇を、しゅうつばさが抱えるようにして歩かせている。

 さすがの西村も、女の翼を殴るのは気が引けたのか、柊の肩目掛け、拳を振り回している。密着しているせいで何発か貰ったが、柊はしかめっ面をするだけだ。


「外国に売ろう、ってことなら許さへんで、絶対!」

「そんなわけないと思うけど……ちょ、危ないって」


 こめかみの辺りにラッキーパンチを食らって、柊が目を瞑る。

 その瞬間、西村の抵抗がピタリと止まった。

 大丈夫か、と翼が声を掛けると、柊は軽く笑みを作って応えた。それを見て、西村の反撃が再開する。


あいつ、うちがあんたの秘密をばらす、って言うたら、『好きにしろ』言うたやないか。あれが本性や。兵隊の命なんて何とも思てへん、冷血人間なんよ」

「に、西村さん……さかき小隊長に聞こえるって」

「知るか!」


 冷や汗をかきながら、柊は西村を挟んで反対側を歩く翼の横顔を見た。

 姉である榊のことをボロクソに言われて、落ち込んでいるのではないか――そう心配してみたが、僅かに俯いているだけだ。西村に言い返す素振りもない。

(……ってことは、新人がこうやって暴れるのには慣れてるんだろうな)

 思い返してみれば、西村が暴露したときも、隊員たちの様子はおかしかった。

 本来なら、西村が言ったこと――隊員の中に一人だけ男がいる、なんてバラされたら、蜂の巣をつついたような大騒ぎになるはずだ。

 恐らく、パニックを起こして突拍子もないことを口にする新人は珍しくないのだろう。西村は正気だが。

 そう考えると、玉置たまきが話を合わせてくれたのも、西村のためを思ってのことなのかもしれない。本心からのライバル宣言でなければ、だが。

(だとしたって、なんで榊小隊長は、俺が男だとばらしてもいい、みたいなことを言ったんだろう)

 榊に対して、内心、不信感が沸いているのは柊も同じだった。だから、西村を強く止められずにいる。

 すると、少し前を歩いていた榊が、ピタリと足を止めて振り返った。

 自然と、三人の歩みも止まる。

 軍帽に隠れ、榊がどこを見ているのかはよく分からなかった。


「訓練の邪魔になるから連れ出したまでだ。私の執務室へ行く」

「嘘や。うちをどこぞの施設に島流しするんやろう」

「私は、これまでただの一人として、この基地へ来た隊員を外部へ売り渡すような真似はしていない」

「はっ そんな与太話、誰が信じるちゅうの?」


 長い廊下を背景に、榊は軽く目線を上げた。

 端正な面立ちだ。すっきりと通った鼻筋に、切れ長の瞳。肉付きの薄いくちびる。整いすぎて怖いくらいの容姿をした榊は、僅かに口を開いた。


「――私の命に懸けて誓う。それでも、信じられないか」

「…………っ」


 何か言い返そうとした西村も、思わず言葉を飲み込んだ。榊がまとう気迫は、軽い気持ちで否定できるようなものではなかった。

 隣で見ている柊まで圧倒されてしまったのを見て取ると、榊は軍帽の鍔を引き、再び前を向く。


「行くぞ」


 先を歩き始めた榊の後を、三人は黙ってついて行くしかなかった。

 小隊長室へ戻ると、先ほどの西村が吐いた痕跡は、完全に消し去られていた。いつもの秘書が、にこやかに出迎えてくれる。

 秘書に促され、三人は応接セットの三人掛けのソファへ座った。左から順に、柊、西村、翼――西村が逃げ出そうとしても、これなら必ずどちらかが止められるだろう。もっとも、西村より足の遅い隊員を探すほうが早そうだが。

 対面になるソファへ腰を下ろしながら、榊は秘書へ茶を用意するように告げた。

 最初に話を切り出したのは、翼だった。隣に座る西村へ、身体を向けてから問いかける。


「西村。柊が男だなんて、どうしてみんなに言ったんだ?」

「うちを京都に帰さへんなら佐東こいつの秘密をバラす、って言うたら、小隊長はんが、『好きにせえ』って言うたさかい。脅しとちゃう、て分からせるためや」

「君が帰郷したいということと、柊の覚醒条件が複雑なことは、何の関係もないだろう?」

(ですよね。俺もそう思います)

「知らん。文句があるなら、小隊長はんに言いなはれ」

「知らない、って……」


 クソがつくほど真面目な翼にとって、無関係な柊を巻き込んだ西村の行動は、まったく理解できないのだろう。しばらく西村とやりとりしていたが、翼の表情はどんどん曇っていくばかりだ。

 ついには捨てられた子犬のような顔で口を噤んでしまった翼に代わり、柊が榊へ向かって手を挙げる。


「あの、失礼だとは思うんですけど、榊小隊長に聞きたいことがあって……」

「構わん。聞こう」

「……西村さんが俺の性別をバラすのを、なんで止めてくれなかったんですか?」


 そこは、どうしても聞いておかなければならなかった。

 柊が着任したとき、性別のことはしばらく伏せるように、と説得されている。

 単に、女の園に男が乱入するというだけの話ではない。天照大神アマテラスオオミカミの加護を受けている他の隊員たちに対し、柊だけは、月読命ツクヨミノミコトの加護を受けている。

 人外の存在の力を神降ろしダウンロードして戦う、という点は、【D】もダブルギアも同じだ。つまり『神が違う』なら、敵認定されてもおかしくはない。これは戦闘員たちにとって、極めて繊細な問題だった。

 だからこそ、榊も言ったはずだ――黙っているのと嘘を吐くのは違う、と。

 いずれは明らかになることだが、先入観を持たれないほうがいい。かといって嘘を吐けば、後でそれは自分の身に返ってくる。

 それなのに、榊は西村を止めようとはしなかった。秘密を暴露した西村に対する怒りもあったが、それ以上に、今は榊への不信感が上回っていた。

 眉間にしわを寄せて問いかけた柊へ、榊は小さく頷く。


「我々のいないところで密かに広められたら、手の打ちようがない」

「いや、だからって、そんな大博打を打たないでくださいよ」


 呆れ顔でため息を吐く柊へ、榊はさらりと答える。


「勝算はあった」

「どこにあるんですか、そんなもの」

「おまえは既に二度、仲間と共に戦った。その活躍は、全員が知っている。そして、我々は実力主義の集団だ。勇敢に戦った新人と、訓練を拒否している新人――どちらを信じるかは、聞くまでもなかろう」

「……そういうものですかね」

「そういうものだ」


 一応、理屈は通っている。納得はできなかったが。

 柊と榊のやりとりが一段落つくと、今度は翼が軽く手を挙げた。


「小隊長。失礼ながら、西村の教育係は、柊には荷が重いのでは」


 榊は、顔を動かさないまま、三人の表情を観察した。

 表情を曇らせている翼、不機嫌そうに壁を眺める西村、気まずそうに俯く柊――三者三様だ。


「そもそも柊自身、次が三戦目のほぼ新人・・・・です。この基地では二戦目までを新人期間としておりますが、それが明けたからといって次の新人教育係に任命すること自体、イレギュラーではないかと」 

「確かにそれはある。だが、これは現場指揮官である生駒いこまの進言だ」


 自分と指揮官を交代した美咲みさきの発案と知って、翼は口を閉ざした。

 代わりに質問したのは、柊自身だった。


「あ、あの……なんで美咲さんは、俺を指名したんですか?」


 ちらりと横目で西村を見る。柊は、慎重に言葉を選びながら続けた。


「自分でも人と話すのが得意じゃない、って分かってるし……男だし……いや、それは美咲さんは知らなかったから仕方ないんですけど……」


 翼は、西村の肩越しに心配そうなまなざしを投げかける。


「今日のようなことが度重なれば、柊の精神的な負担は、すぐに許容量を超えます」

(もう既にいっぱいいっぱいです……)

「ただでさえ、次回は十五名で戦わなければならないのです。それなのに、西村の指導をしながら戦え、と今の彼に強いるのは、さすがに時期尚早ではないでしょうか」


 その通りです、とばかりに深く頷く。

 すると、榊はちらっと柊を見た。


「佐東、おまえの意見はどうだ」

「え……」

「西村の指導は、おまえの手に余るか?」


 喉から出る寸前だった、「そうです、当然です」という言葉を、思わず飲み込む。

(……俺、そもそも西村さんを指導したか?)

 昨日からの自分の行動を思い返してみる。

 班会議をしたとき、自己紹介を促してみた。何か質問があれば、同じ班の自分か翼を頼るように、と言った――終わりだ。

 部屋に引きこもるようなら食堂へ誘おう、とは思ったものの、西村はあれだけブーイングを食らっておきながら、堂々と夕食を食べていた。

 それどころか、同じテーブルにつこうとしたら眉をしかめられたので、翼のいるテーブルへ移動した。

 そして今朝。翼に、少し早めに部屋へ行って、服装規定を教えてあげるように言われたのに、柊は寝坊した。

(……俺、何も指導してないな……)

 何もしていないのに、できない、と言っていいのだろうか。

 もちろん、不安材料は山のようにある。

 西村が面倒くさい新人なのは、間違いない。おまけに、彼女は柊の秘密を知ってしまった。これから事あるごとに、それを盾に、あれこれ要求されるかもしれない。

 けれども、すぐには返答できなかった。

 柊の部屋で取引を持ち掛けたとき、西村は言ったのだ。


――独りぼっちなるんは、あんたかて・・・・・嫌やろ?


 あんただって――柊は、その言葉に引っかかっていた。

(それって、西村さんも独りぼっちになったことがあるんじゃないのかな)

 どこか自嘲じみた薄笑いを浮かべていた西村の顔を思いだし、柊はため息を吐いた。

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