第72話 引き返せない分かれ道

「俺を新人教育係に決めた理由、教えてもらえませんか?」


 しゅうは、いつになく真面目な顔つきで訊ねた。答えるさかきは、いつもと変わらずクールな表情のままだ。


生駒いこまが推薦した理由と、私が承諾した理由、どちらが必要だ」

「じゃあ、両方で……」


 ふむ、と呟くと、榊は少し前のめりの姿勢になって軽く手を組んだ。

 つばさも興味があるのだろう。ちらっと柊を見た後、榊へ視線を向ける。西村にしむらだけは、我関せず、といった顔で茶を啜っている。


「まず、私と生駒、両者に共通する前提条件だが」


 一旦区切ると、榊は西村のほうを向き直した。


「このまま何もしなければ、西村は・・・初陣で・・・死ぬ・・


 西村の手から茶碗が落ちて、絨毯を転がった。

 濡れて色を変えた作業着にも気づかず、西村は頬を強張らせている。しかし、榊の声色や表情は、大げさな言葉で脅しているようには見えなかった。


「元々、ダブルギアは、損耗率の高い部隊だ。新たな覚醒者の人数より、殉職者や戦闘不能の負傷で除隊する人数のほうが上回る。発足時、小隊は第三小隊まであったことが、それを裏付けるだろう」

「十七年前の、三分の一になっちゃった、ってことですか?」

「そうだ」


 想像以上に厳しい数字に、思わず翼を見る。

 厳しい表情で俯きかけた翼の表情からも、榊の言葉が事実だと分かった。


「新人は、初陣もしくはその次の戦いで死ぬ確率が高い。二戦分しか新人扱いをしないのは、二ヶ月を生き残れない隊員が多いためだ。また、これまでにも訓練を拒否した新人は数多くいるが、例外なく新人期間で死んだ」


 唾を飲む音が、柊の耳の奥で大きく響いた。

 死刑宣告を受けたような状態の西村は、真っ青な顔で榊を見つめている。しかし榊は、今度は西村ではなく、柊を見ながら話を続けた。


佐東さとう。生駒は、おまえを案じている」

「美咲さんが? どうして」

「おまえが、仲間の死を経験しないまま、新人期間を終えてしまったためだ」


 ダブルギアは、年に何人も死者が出る。平均して三回に二回は、除隊レベルの戦闘不能者か殉職者がいる計算だった。

 しかも、柊にとって最初の二戦はどちらも神獣型【D】――最悪の敵と二連戦となれば、隊が壊滅してもおかしくない状態だったのだ。

 だが、実際は誰も死んでいない。ダブルギアの治癒力をもってしても全治数ヶ月の隊員が何名もいたが、戦闘不能には至らず済んでしまった・・・・・・・


「仲間の死を経験できなかった佐東が、戦いに慣れてきた頃。親しい仲間が死んだとき、おまえが仲間の死を乗り越えられず、精神崩壊メンタルブレイクするのではないか、と生駒は危ぶんでいる」


 そういった事例はたくさん見てきた、と低い声で榊は付け足す。

 すると、生駒の真意に気づいた翼が息を呑んだ。


「まさか、美咲みさきさんは――」

「そうだ。生駒は、早いうちに『仲間の死』を佐東に経験させるため、西村の教育係に推薦した」

「私は反対です!」


 翼が立ち上がったことで、彼女の前に置かれていた茶碗がテーブルを転がった。薄緑の液体が、波のように広がる。

 握った片方の拳を震わせ、もう一方の手を自らの胸元へ強く押し当て、翼は声を荒らげた。


「西村を生贄として使うおつもりですか!」

「だが、このまま訓練を拒否すれば、西村は必ず死ぬ。しかも、本人も理解しているように、西村の戦闘員の適性は極めて低い」

「どうせ死ぬから柊の経験値を上げるのに利用する、と?」

「指揮官としての合理的判断だ」

「西村は、もう私達の仲間です! 合理的判断だとしても、承服しかねます!」


 激高する翼を、柊はソファに座ったまま見上げていた。

 頬を紅潮させ、うっすらと涙を浮かべた翼は、嫌々をするように首を振る。


「小隊長も、同じお考えでいらっしゃるのですか!」


 翼の詰るような口調に、榊は軽く自分のくちびるを噛んだ。

 一つ小さくため息を吐き、首を振る。


「私は、生駒とは違う見解だ」

「ならば、それでも柊を教育係とした理由をお聞かせください」

「俺も聞きたいです」


 そう言いながら、柊は西村の横顔を盗み見た。

 血の気の失せた白い顔で、西村は自分自身の掌をぼんやり見つめている。


「西村が生き残るには、目標との距離を取らなければならない。そのためには、教育係は『今回参戦できる後衛』しかいない。この時点で、七名に絞られる」


 生駒は現場指揮官だ。新人教育係を兼任しては、指揮が滞る。

 臨時三班の加賀かがは、参戦できるギリギリの体調で余裕がない。

 同じく臨時三班の木奥きおくは、あまり戦闘適性が高くない。西村と組ませたところで、放置してしまうのが目に見えている。

 次の候補は、臨時三班班長の黒木くろきだ。

 それを聞いた翼の顔が強張った。


「柊は、黒木という古参組の隊員は知ってるかな」

「天然パーマで一つ結びの、わりと背の高い人でしょ? 話したことはないけど」


 宇佐うさと黒木の諍いを、遅刻した柊は見ていなかった。

 首を振る柊と俯いたままの西村へ、言いにくそうな様子で翼は告げる。


「『死神黒木』――それが、彼女のあだ名だ」


 誰ともなく呼び始めた名前に、柊は怪訝そうに眉をしかめる。


「何それ、物騒すぎない?」

「黒木の個人戦闘能力は、とても高い。ただ、黒木は自分の身体能力を基準に指示を出すから、同じ班の隊員がついて行けず、半年と持たずに死んでいくんだ」

「は? え、ちょっと、そんな人を班長にしちゃダメでしょ」

「班長を任せる前と比べると、これでもマシになったんだ。以前は、個人プレーが本当に酷かったから」

「いやいやいや、そんな人に西村さんを預けれないよ」


 翼の説明を聞いていた榊が、口を挟む。


「残る候補は、三人。臨時一班の玉置たまき大内おおうち、それと佐東だ。佐東以外の二人は、隊の中でも古参組になる。だが、私は佐東を推した」


 古参組なら、新人を指導したことは何度もあるだろう。柊は、大内と話したことはなかったが、玉置は気障ったらしい口調を除けば面倒見が良さそうな印象だった。

 疑問を口にするより早く、榊は先を続ける。


「西村を死なせないために一番必要な能力は、位置取りポジショニングだ」

「それは、分かります。西村さん、あまり足が……速くないから、常に敵と一定距離を保ってないと回避が間に合わなそうだし」

「佐東は自警団予備科を卒業し、偵察班に配属された。彼らは生身で【D】の索敵をする――つまり、徹底的に位置取りポジショニングと【D】の次の行動予測、そして回避訓練をしてきたはずだ」


 そういえばそうだ、と柊は頷く。

 予備科時代の座学では、【D】の分類と、そこから予測される潜伏手段や移動経路等を学んだ。格闘術は、要人警護や自衛官となったときのためのもので、自分の身を守るための素早い移動や回避行動の訓練は、毎日行われていた。


「回避行動と位置取りポジショニングにおいて、佐東より訓練を積んだ者は、現役の隊員にはいないだろう」

「それは、たぶん、そうですね」

「だが、教育係は佐東に荷が重すぎる、というなら話は変わる。翼に西村の教育係を任せ、佐東を臨時一班へ移動させる手もあるだろう」

「私はそれが良いと思います」


 翼はそう言うと、俯く西村を宥めるように華奢な肩に手を当てた。

 その様子を、柊は黙って見つめていた。

 自分が正式に西村の教育係になれば、戦闘中だけでなく、普段の生活でも負担が倍増するだろう。

 教えながら自分の訓練をしなければならないし、恐らく西村は、今後も他の隊員と揉め事を起こす。そのときは、教育係として仲裁しなければならない。場合によっては、西村の代わりに頭を下げなければならない場面もあるだろう。

 戦闘中も、運動音痴の西村を連れて逃げ回ることになる。人数が少ないから、その上で攻撃に参加しなければならない。

 そして一つ判断を間違えば、目の前で西村は死ぬ――。

(どう考えたって、俺が引き受けるメリットってないよな)

 一方、自分が拒否すれば、翼が西村の教育係になるらしい。

 柊の教育係は結衣ゆいだったが、生活面の面倒は、彼の秘密を知る翼が見てくれた。さりげない気遣いができる翼なら、西村のような気難しい新人とも、きっとうまくやれるだろう。

 ただ、それは同時に、翼の負担が倍増することも意味する。

 現場指揮官から降ろされたとき、柊の部屋へ愚痴を吐きに来たくらいだ。かなり精神的にキているのは間違いない。おまけに、同じ班員の柳沢やなぎさわと翼の相性は、お世辞にもいいとは言えない。

(後はやっぱり……西村さん次第だよな)

 西村は、秘書から受け取った布巾で自分の濡れた作業着を拭いていた。その動きは緩慢で、かなりショックを受けているのがありありと見て取れる。

(この人は、俺の秘密をバラそうとした。でも、最初はそうじゃなかった)

 柊の部屋で持ち掛けた条件は、「黙っている代わりに個室にかくまえ」だ。

 普通なら、もっとあれこれ要求されてもおかしくない。この要求は、明らかにつり合いが取れていなかった。だからこそ、柊も思わず頷いてしまったのだが。

(たぶんこの人は、衝動的に秘密を暴露しただけで、自分が京都に帰れれば、本当にそれでよかったんだろうな……)

 良い人ではない。が、悪い人とも言い切れない。

 これまで散々自警団で「悪い奴」を見てきた柊からすれば、西村の行動に「悪意」がないことは明白だった。

 悪い人ではないものの、面倒な新人なのも事実だが。

 そして、取り引きを持ち掛けたときのセリフ。


――独りぼっちなるんは、あんたかて嫌やろ?

――腹を探られるのんは、ほんま不快やけど。誰にも心を打ち明けられへんのも、敵わんもんやで。


 柊はその言葉に馴染みがあった。

 自警団にいた頃、毎日のように感じていた孤独――興味本位で秘密を嗅ぎまわられるのは最悪だった。だけど、それと同じくらい、声だけの妹以外、誰とも分かり合えないことが苦しかった。

 だからこそ、西村の呟きが嘘でなく本心からくる言葉のように思えたのだ。

 基地へ来たとき、柊は翼の存在に救われた。

 男ということも、一人だけ違う神の加護を受けていることも知った上でなお、翼は自分を仲間として受け入れてくれた。

 それと、伊織いおりも。

 初日に男だと勘づいていたにも関わらず、伊織は誰にも言わずにいてくれた。

 この二人がいてくれたから、なんとか男であることを隠してこれたところはある。

(俺にあんな風に言ったってことは、西村さんは、俺には少しだけ心を開こうとしてくれてる……?)

 なんて、思い上がりだろうか。

 そう自嘲しながらも、既に柊の心は決まっていた。

 隣に座る西村の左肩に、そっと手を置く。その手を避けるように、西村はそっと顔を背けた。けれども柊は諦めず、榊へ言った。


「俺がやります。西村さんの教育係、俺にやらせてください」


 榊は黙ったまま、強く頷いて見せた。

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