異質な新人
第73話 足枷
どうしても訓練に参加したくない、という
まずは、個人訓練室を借りて二人だけになってみた。新人らしく私物を持たない西村は、他に着るものもないので、どんより顔で支給品の黒ジャージを着ている。その前に立つ柊は、訓練用の黒い作業着姿だ。
「西村さん。とりあえず、柔軟体操からやってみるのはどう?」
「なんで?」
「いや……よく知らないけど、女子って全然太ってないのに“運動不足で体重ヤバイ”ってよく話して――」
「あんた、よう喋られへん癖に、要らんこと言いやな!」
肩を殴ろうとして振り上げた西村の手を、咄嗟に避けてしまう。
文字通りの肩透かしを食らった西村は、派手な音を立てて板張りの床へ倒れた。
「なんで避けるんや。
細い腰を擦りながらキレている西村を見下ろしながら、柊は苦笑する。
(でも、アレを食らうのは小学生くらいなんじゃ……)
「運動すると、少しは気も晴れ――」
「運動音痴に運動させたって、気が滅入る一方や」
「え、でも、落ち込んだときに走ったり、がむしゃらに矢を射たりすると、スカッとしない?」
床に座ったままの西村は、柊の弁慶の泣き所の辺りを思いっきり蹴った。まったく想定していなかった攻撃に、思わず柊がピョンっと飛び上がる。
「痛って!!」
「少しはうちの苦しみを知るとええわ」
話し合いは決裂。
口下手でコミュ障気味の柊には、初めから敗北が見えていたとも言える。もっとも、敗北を決定づけたのは柊の不用意な発言だったが。
次に考えたのは、デモンストレーション作戦だ。
個人練習室に呼ばれた翼は、あまり気乗りしなさそうな表情を浮かべている。
「……柊がそう言うのなら、私は協力を惜しまないつもりだけれど」
「西村さん。翼が接近戦の演武をしてくれるから、一緒に見ようよ」
「は? うちは後衛やろ?」
「後衛になっても、うっかり
お願いします、と言われた翼は、軽く息を吐いた。
翼は訓練用の作業着ではなく、わざわざ出動時に着る戦闘服を着ていた。ただし、出動時と違ってヘッドギアを被っていない。
ワイシャツ、ネクタイ、ジャケット、ズボン、それ以外のベルトやブーツなどの小物に至るまで、全て黒から濃灰色のグラデーションで統一されている。
それと対照的に、雪のように白い肌。やや長めの前髪から覗く瞳は、青みがかかった灰色に見えるほど澄んでいる。
大きな瞳、長いまつげ、完璧なラインを描く桜色のくちびる――軍服を身にまとう翼は、どこからどう見ても、凛々しい美少年にしか見えなかった。
そんな翼の前に置かれているのは、畳を丸めた的だ。
腰から下げた太刀の束へ、黒革の手袋を嵌めた手が置かれる。
次の瞬間、翼の目が見開かれた。
「――――やっ!」
気迫のこもった声と共に一閃する
巻藁の上半分が、ストン、と数秒遅れて落ちた。その断面は、綺麗な直線を形成している。
太刀をひらりと鞘へ戻しながら、翼は振り返った。
「……こんな感じでどうだろう」
「やっぱり、翼の居合の型は綺麗だね」
「型は型だよ。実戦とは違う」
そう言った翼の頬が、少し赤くなった。
翼の表情の変化には気づかず、柊は隣で頬杖を突く西村へ振り向く。
「ね、西村さんも、こんな風に切れるようになったら楽しいよ、きっと」
「……おーまーえーはー、アーホー
「えっ 疑問形じゃなくて断定!?」
慌てる柊の問いかけに、西村はそっぽを向いたまま鼻を鳴らした。
「班長はんみたいな動き、うちには来世どころか、再来世でもできへんて」
「さ、再来世って……」
「はぁ。それとも、おまえには死んでもできひん、て
すっかりへそを曲げた様子で足を組み直す西村に、柊が首を捻る。
「いや、俺だって無理だよ。居合術なんて習ったことないし」
「せやったら、なんでうちに見せるんや」
「……だって、かっこよくない?」
少し離れたところで二人のやり取りを聞いていた翼は、両手で顔を覆って首を振っている。ダメだ、こいつ何とかしないと、とでも言いたそうな素振りだ。
「え? ダメ? この作戦」
「ダメに決まっとるやろ! 何が悲しおして、運動神経キレッキレなん奴の動きを見せられなあかんのや」
「でも、こういうの見てると『わたしもやってみたいなー』とか思わない?」
「思うか、アホたれ」
はぁ、と深く重たいため息を吐くと、西村は隣に座っていた柊の向こう脛を蹴り飛ばした。軸がぶれているので痛くはないが、心は痛む。
「少し練習したらできる奴の言葉やで、それ」
「す、すみません……?」
「班長も同罪やで。このいけず、どないかしたってや」
「すまない。私の責任だ」
「え、え?」
なぜか頭を抱えてしまった二人の女子を前に、柊だけが取り残されている。
その他にも、思いつく限りの手を尽くしてみた。
コミュ力の高そうに見える隊員に、西村と話をしてほしい、と頼んでみるとか。
戦闘訓練が嫌なら、テキストを使って勉強してみようとか。
あまり好きな手ではないが、配給の食事や個室といった「戦闘員の特権」を使うなら、「戦闘員の義務」も少し果たしたらどうか、と説得してみるとか。
だが、そういった努力は、一つとして実ることがなかった。
「ボク、あの人、嫌い」
「えっ ちょ、ちょっと、
切断後の縫合がまだ完治してない結衣は、左腕を三角巾で吊った状態で頬を膨らませた。食堂の椅子に座ったまま、足をぶらぶらさせている。
「だってさー。あの人、マジでミジンコくらいもやる気ないんだもん」
「み、ミジンコ!?」
「ミジンコに失礼なくらいだよ!」
結衣の怒りを表すように、高い位置で結んだツインテールがぴょんぴょん揺れる。
「あとさ。柊はボクのこと勘違いしてるよ」
「な、何?」
「ボクは、誰とでも仲良くするタイプじゃないの。やる気のある人なら、誰とでも仲良くするってだけ!」
だとすれば、結衣にとって西村は、かなり苦手な部類になるのだろう。
西村と上手くいかなかったのは、
(俺みたいなコミュ障にも話しかけてくれるし、方言キャラ同士で上手くいくかな、と思ったんだけど……)
「せっかく頼ってもらえたにぃ、力になれんじ、ごめんなさい」
「俺のほうこそ、無理を言ってごめん」
「はぁ……私がもっとお喋り上手やったらよかったんやけど。
「でも宇佐さん、あの、ありがとう」
「なんも」
困ったような顔で笑って立ち去る宇佐へ、柊は力なく手を振った。
そこへ、翼が近寄ってきて耳打ちする。
「宇佐は、君相手だとよく喋るけど、本質的には、人付き合いは苦手なほうの隊員だ」
「そうなの?」
「数年、基地で暮らしても方言が抜けない隊員は、つまりあまり他人と話さないんだ。それだけ、宇佐は君のことが大好きなんだよ」
たぶん、同性の仲間としてだと思うけどね、と翼は付け足した。
(お喋り好きな人かと思ってたけど、引っ込み思案なところもあるのか)
他にも数名の隊員に声を掛けてみたが、結果は変わらない。西村の素っ気ない態度に腹を立てるか、本人がお喋りが好きでないか。ともかく、西村と打ち解けることのできた者はいなかった。
他にも、翼に頼んでミーティングルームで【D】の生態を学ぼうとした。
ところが始まって僅か五分で、柊は夢の中へ旅立った。西村はそれを鼻で笑うと、同じく目を閉じたらしい。柊が起きたときには、さすがの翼も呆れ顔だった。
最後の手とばかりに、西村の良心へ、一所懸命に訴えかけてみた。
だが、返されたのは眉間のしわだけだ。
「隊員になる、て承諾したつもりはあらへんで。そやさかい、今のうちは『お客様』みたいなもんや。帰れ、って言われたら、手ぶらで地下鉄に乗るわぁ」
「あの写真みたいに酷い目に遭う、って言われたでしょ」
「知らんわ。来るときみたいに、ちゃんと護衛してくれたらええだけやん」
「移動中は守ってあげられても、帰った後はどうにもならないでしょ」
「知らん」
(ダメだ、この人。お客さんだから、戦う義務はない、って本気で思ってるみたい)
あれこれ手を講じてみたものの、結局、西村が訓練場へ来ることはなかった。
そうするうちに、いよいよ【D】出現予定の前日になってしまった。
午後の全体訓練が終わったことを告げるチャイム。そのすぐ後に、訓練場から数名の隊員たちが出てきた。肩から下げたタオルで汗を拭きつつ、軽い雑談をしている。
すると、長い廊下の先に柊が現れた。
隊員たちは、軽く笑みを作って声を掛けてくる。
「
「新人さんは、今日も結局出てこなかった?」
小さく頷きながら、柊は答える。
「お疲れさまです。西村さん、やっぱりダメでした……」
「大変ねぇ。佐東さん、これから独りで全体練習分の自主練をやるんでしょ?」
「はい、まあ、俺も休んじゃったんで。あ、小隊長の許可は貰ってます」
「明日は出動なんだから、無理しちゃダメよ」
軽く頭を下げ、再び柊は歩き出した。
訓練場の戸を開けたところで、小さな影がぶつかってくる。慌てて視線を落とすと、ぶつかったのは
「ご、ごめん」
「ちゃんと前、見てろよ! 図体でかいんだから」
言葉はキツいが、口はニカッと笑っている。以前に比べれば、柳沢とはかなり打ち解けてきていた。
「自主練でケガとかしやがったら、ぜってー許さねぇからな。適当に流しとけよ」
「分かってるよ。明日は俺、西村さんをつれて戦わなきゃいけないし」
すると、それまでニヤニヤ笑ってた柳沢の表情が険しくなった。
(やっぱり、柳沢さんも西村さんのこと、あまり好きじゃないんだろうな)
慌てて話題を変えようとした柊へ、柳沢は腰に手を当てて首を振った。
「西村のことは、もう見捨てろ」
「……え?」
平均身長よりかなり背の低い柳沢は、真面目な顔で柊を見上げた。その表情は、柊を馬鹿にしたり、からかったりするものではなかった。
「化け物が怖いのは、しゃーない。けど、あいつは努力もしないじゃねーか」
「努力できないくらい怖いんじゃない?」
首を傾げる柊へ、柳沢は珍しく呟くような低い声で続けた。
「本気で死にたくない奴は、最終的には、死なないために訓練に参加するんだ。回避の仕方とか、受け身の取り方とか……だけどあいつ、それもないだろ」
「……うん」
「西村は死ぬぜ、明日。それでおまえが病んだら、こっちが迷惑だっつーの」
再び柊を見上げた柳沢の表情は、
柊はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いて笑みを口もとに作った。
「ありがとう、柳沢さん。心配してくれて」
「馬ッ鹿! ちげーっての!!」
「でも俺、西村さんのことは見捨てない、って決めたから。できるだけ頑張るよ」
それを聞いた柳沢の表情が、ぐしゃぐしゃに歪められた。
「――佐東なんて死んじまえ!!」
「いや、俺も死にたくないし」
「うるせぇ! もう話しかけんな!!」
走って出ていく柳沢の後ろ姿を見送りながら、無意識にため息を吐いていた。
柳沢にはああ言ったが、何か策があるわけでもない。
(万策尽きた、ってのは事実なんだよな)
肩から下げたタオルを畳み直すと、柊は数名の隊員と教官しか残っていない訓練場へ入っていった。
その足取りは、鉄の足枷でも付いているかのように重かった。
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