第75話 死神の素養

 一時間半近く走った“地下鉄”が速度を落とし、古びた地下のプラットホームへ滑り込んでいく。先頭車両から降り立ったのは、小隊長であるさかきを始めとする指揮系統や、後方支援を担当する職員たちだ。

 自動小銃を構えた黒い制服姿の若者たちは、翼と同じく『巨大生物研究所』で生まれたものの、覚醒せずに成人を迎えた者たちだ。シールド付きヘルメットをかぶり、防護ベスト・すね当・篭手こてなど、SATさながらの重装備で固めている。

 透明なシールドから鋭い眼光を覗かせる青年は、後方に立つ榊へ報告した。


「敵影ありません」

「分かった。通常通り、【D】との戦闘に入る。おまえたちは“地下鉄”を死守しろ」

「はっ」


 短い返事と共に、英雄になれなかった若者たちは散開する。

 榊はインカム越しに、客車内で待機する戦闘員たちへ呼びかけた。


『巨大生物対策本部・第一小隊、降車せよ』


 黒尽くめの戦闘服に身を包んだ隊員たちは、一斉に“地下鉄”から降りた。

 プラットホームに整列する、十五名の戦闘服たち。点呼の後、各自装備が配られた。

 一時間以上も喚いていたせいか、西村にしむらは、もはや抵抗する気力もない様子で項垂れている。その腕をつばさが引いている間に、しゅうは自分の装備を整えた。

 電子強弓でんしごうきゅうと矢筒を背負い、脇差を腰へ。

 続けて、翼に腕を掴まれている西村のベルトの金具へ、脇差を留めてやった。


「や……やめて……」

「ごめん。どこか痛かった?」


 そうじゃない、と西村はかぶりを振る。


「なあ、今生のお願いや。うち、戦闘員なんかなりたないんよ」

「もう戦場に着いちゃったよ」

「何でもするから、なあ。うちんことは放っといとぉくれやす」


 翼と交代して、柊は西村の両手首をぎゅっと握りしめた。

 泣いて真っ赤になった西村の瞳を、正面から覗き込む。


「戦わなくていいよ」

「…………え?」


 柊の発言に、太刀を金具に留めようとしていた翼の手が止まる。

 周囲の隊員たちの視線が、柊と西村へ集まった。


「俺と一緒に、距離を保って逃げ続けるだけでいい」

「そんなん、小隊長はんや指揮官はんが許すわけあらへんやろ」


 やり取りを注視する者の中には、榊や現場指揮官である美咲みさきの姿もあった。


「大丈夫。俺は後衛だから、離れてても攻撃に参加できるんだ。それに、西村さんは一度も訓練に参加したことないから矢を引けないでしょ? それは、榊小隊長や美咲さんだって分かってるよ」

「せやけど!」

「約束するよ。絶対、西村さんを見捨てたりしない」


 左手で西村の手を掴んだまま、柊は右手で彼女の脇差の束に触れた。


「一緒に行こう。西村さんが脇差これを使わなくても済むように、俺が頑張るから」

「嫌や、って言うてるやろ!」


 だが、いつまでも駄々をこねているわけにもいかない。

 現場指揮官の美咲は、西村から視線を外し、全体へ声を掛けた。


「みんな、聞いてちょうだい。航空自衛隊からもたらされた情報よ」


 今回、出現した【D】の分類は、肉食哺乳類型――具体的には、大熊タイプ、とのことだった。

 出現からの経過時間は、推定六時間半。かなり早い方だ。つまり、個体成熟も進んでいない。敵影も二つと平均的。

(熊タイプはヤバそうだけど、八岐大蛇ヤマタノオロチ八咫烏ヤタガラスよりはマシっぽいのかな?)

 とはいえ、たった十五名しかいない上に、西村はあてにならない。

 油断できるような状況でないことは、経験が浅くとも理解できた。

(でもまあ、神獣型でもないし、個体成熟も進んでないし……初陣にはまずまずの敵なんじゃない?)

 西村の手首を掴んだまま、榊や美咲の説明を聞いている。


「熊タイプの【D】は、鼻先が弱点です。感覚器官の殆どが鼻先へ集中しているわ。そして、顎の噛みつく力や爪の引き裂く力等、攻撃力が高いのも特徴よ」

(鼻が弱点ね……)

「私たち臨時一班は、後衛から鼻先を狙います。臨時二班と臨時三班は、接近戦を。臨時四班は適度に移動をしつつ、攻撃に参加してちょうだい」


 はい、と返事がホームに響く中、柊は軽く首を捻った。

(臨時三班って……宇佐さん以外は後衛じゃなかった?)

 おまけに、班長は例の『死神黒木くろき』だ。

 思わず視線をやると、黒木のすぐ後ろに並ぶ宇佐の背中が、いつもの半分くらいの大きさに感じられた。

(美咲さん、顔は優しい雰囲気だけど、意外と攻撃的な布陣を敷くんだな)

 そんなことを考えていると、柳沢やなぎさわと最終確認を終えた翼が話しかけてきた。


「柊、準備は大丈夫か」

「俺は」


 西村はまだダメ、という雰囲気が、二人の間に流れた。


「君の初陣のときと同じように、君と西村は距離を保って移動しつつ戦ってほしい」

「こそこそ隠れながら移動するのは、自警団で毎日訓練してたから慣れてるよ」

「そうしてくれ。ただ、2つだけ、頭に入れておいてほしい」


 翼はそう言って、人差し指を立てる。


「1つ目。熊タイプの突進には充分、注意してほしい」

「座学で習った気がするけど、何だっけ?」


 500点満点中、27点は伊達じゃない。

 眉間にしわを寄せて思い出そうとしても、脳のしわはピクリとも動かなかった。


「熊タイプは、重量ヘビー級が多いからね。突進からの体当たりだけで、大型バスか“地下鉄”に轢かれるのと同程度のダメージがあるんだ」

「…………それは、ヤバいね」


 突進の兆候があったら、すぐ西村を退避させないと、肝に銘じる。

 一方、翼はさりげない仕草で辺りを見渡した。他の隊員たちも、地図を広げて作戦を確認している。準備体操をしている柳沢は、こちらを見ようともしない。

 すると翼は、一歩、距離を詰めた。ヘッドギア越しでは、スモークが邪魔して表情が分かりにくい。


「柊、気を悪くしないで聞いてほしい」

「えっ なに?」


 声を低くして囁く翼と、軽く屈んで耳を近づける柊。その様子を、西村が横目で観察している。


「黒木のような間違いを犯さないでほしい」

「……え?」


 咄嗟に黒木を見ようとして、翼に腕を引かれる。黒木は、隊員たちの間で「死神黒木」とあだ名されるベテランだ。


「どういう意味?」

「君が西村を護りたいのは分かっている。ただ、西村の身体能力は、君が想定する遥か下を行くだろう」


 吐息のような囁きで、女子の運動音痴は男子のそれとは桁外れに違うから、と付け足す。分かってる、と返そうとした柊の言葉を遮り、翼は更に続けた。


「君は、潜在的に黒木と・・・・・・・近い・・要素が・・・ある・・

「そんなわけ――」


 同班殺し死神の要素あり、と言われ、さすがに柊も頬を強張らせた。

 しかし、反論する前にブリーフィングの終了を美咲が伝えた。翼は柊の腕から手を離し、囁く。


「気をつけてくれ。君のために、そして西村のためにも」


 立ち去る翼の背中を、苦々しい表情で見送ることしかできなかった。

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