第2話 差し伸べられた手

 

 しゅうは、いわゆる嫌われ者だった。リーダーや他の自警団員だけでなく、血の繋がった両親からも疎まれてきた。最低限の挨拶さえかけられず、会話など成立せず、忌み嫌われて生きてきた。

 理由はただ1つ。

「おんなの子のこえがするよ」と幼き日の彼が口にしただけ。

 爪弾きの口実など、些細なことでよかった。日の登らぬ閉鎖空間は、人々の心をすさませ、鬱憤の捌け口を求める。その生贄として虐げられてきたのが、たまたま自分というだけのこと。それを理解するのに、15年半の歳月は充分だった。

 リーダーには手荒な扱いをされてきた。貴重な配給品をカツアゲされたこともあるし、暴力などは日常茶飯事。でも、一度だってそれに抗ったことはなかったのに。


 一つ、また一つ、と慎重に建物の隙間を縫うように歩く。シェルターからどんどん遠ざかっているが、先ほどの・・・・【D】・・・から・・離れるためには仕方がない。

 そう自分に言い聞かせ、大通りへ足を踏み出した彼の右側方から、低い唸り声が聞こえた。

 唸り声の主も、柊が建物の影から現れたのは予想外のことだったのだろう。ほんの一瞬、柊とそれは見つめ合った。

 山犬型【D】が突進してくるより早く、身を翻した。僅か数十センチのビルとビルの隙間へ、倒れるように飛び込む。


「グオォオオオオオン」


 体当たりの振動で、大きく揺れるビル。雄叫びは威嚇か、それとも餌を見つけた歓喜の声か。衝撃で割れた窓ガラスが光の雨のように降り注ぐ中、柊は狭い抜け道を奥へ奥へと走り続けた。


「くそっ なんで、どうして俺だけこんな目にばかり」


 もう一体の【D】がいた方角とは反対へ角を曲がりながら、泣き言が漏れる。

 これまで15年と半年、妬まれ蔑まれながらも、真面目に生きてきた。身体能力を買われて自警団に進路が決まったあとも、さぼることなく訓練してきた。危険な任務も断らなかったし、虐めや無視も耐え忍んできた。

 ここにいてもいいよ、と誰かに言ってもらいたいがために。


「死んだ妹の話だって、もう何年もしていないだろ」


 背後から噛みつこうとする鼻先を、咄嗟に弓で叩く。

 衝撃で割れた弓を投げ捨て、今度は背負っていた矢筒を右手で握り直した。これが壊されたら、もう他に使えるものはない。


「妹以外の死者なんて見たこともない。俺の頭の中で死んだ家族の声がした、ってだけじゃないか」


 足を絡めとろうと伸びてくる舌を避けるため、勢いをつけて地下道トンネルの壁を走る。再び歩道へ戻り、更に加速――だが、山犬は狩りを楽しむかのように、余裕の足運びで追走する。


「その妹の声だって2週間前に消えた。もう俺は普通の人間だ!」


 道を塞ぐように横転した乗用車のボンネットへ飛び乗り、住宅街を進む。

 障害物のおかげで少し距離が開いたが、追いつかれるのも時間の問題だ。荒れたアスファルトに足を取られてふらついた隙を逃さず、化け物が飛びかかる。

 左肩を激しい衝撃が襲う。脳震盪を起こしそうなほどの揺れ。しかし、鋭い爪に抉られたはずなのに、不思議と痛みは感じなかった。

 恐怖と疲労で麻痺しているのだろうか。手にしていた矢筒も遠くへ転がり、もはや反抗するすべは残されていない。


「たす、けて……」


 化け物に通じるはずがないのに、救いを求める言葉が口をついて出た。

 だが、走るうちに地下都市から何キロも離れている。こんな僻地に、自警団員がいるはずもない。仮に逃げ遅れた隊員がいたとしても戦力にはならないし、そもそも、自分なんかのために戦ってくれる顔など1つも思いつかない。

 それでも、助けを求めずにはいられなかった。


だれか・・・たすけて・・・・


 自分を押し倒す【D】の目が輝いた瞬間、柊の視界は鮮やかな朱に染まった。


「あ……」


 押しつぶされかけていた腕の重さがなくなり、大きく息を吸い込む。

【D】は両前足を切り裂かれ、怒りの咆哮をあげていた。

 いつの間にか、化け物と自分の間に、黒い・・軍服を・・・着た影・・・が割り込んでいる。

 スローモーションのようにさえ感じられる一瞬、軍服の人影は手にした太刀を構え直し、一足飛びで切りかかった。

 敵の巨体と比べ、その背はあまりにも小さい。体高だけで三倍以上も違う。

 次の瞬間、【D】の首はアスファルトへ転がり落ちていた。

 時間にして、僅か三秒。

 軍服姿の少年は太刀を振って血を飛ばしたあと、長い刀身を鞘へ納めた。激しく肩を上下させている。

 ジャケットにネクタイ、軍靴、手袋、フルフェイスのヘッドギアに至るまで、黒尽くめの軍服。顔の前面を覆う濃いスモークのシールドで、顔は見えない。ヘッドギアの側面には、歯車ギアを模した小さなボタンが二つ――その二つの歯車ギアにちなみ、彼らは“ダブルギア” ・・・・・ と呼ばれていた。

 その存在は、小学校の教科書にも書かれ、毎月のニュースになっている。【D】から人々を護ってくれる、未成年の男子だけで結成された部隊。

 一方、その姿を間近で見たという話は聞いたことがない。彼らの存在は諸外国だけでなく、自国内においても正体不明の特殊部隊だった。

 そのダブルギアが、いま目の前にいる――。

 思わず、痛みも忘れて呟いていた。


「まさか、助けてくれた?」


 柊の独り言が聞こえたのだろう。軍服の少年は、ゆっくりとこちらへ振り返った。少年は相変わらず肩を激しく上下させながら、じっとこちらを見つめている。

 やがて黒尽くめの少年は、革手袋を嵌めた手を柊へ差し出した。


「――君、大丈夫か」


 むせ返るほど濃厚な血の匂いが漂う戦場に、声変わり前の柔らかな声が響く。

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