第55話 最後の砦

 間欠泉のように噴き出す血飛沫と共に、大蛇はもんどりうって地面へ倒れた。大蛇はビクビクと胴体を痙攣させながら、黒い鱗に覆われた鎌首をもたげようとする。

 しかし、黒尽くめの少年はそれを許さなかった。

 少年は大蛇に対して半身の姿勢を取ると、素早く足を肩幅に開いた。背負っていた弓を引き、続けざまに矢を放つ。

 肉を貫き、鱗を飛び散らし、眼球を破裂させ――至近距離から矢を受けた大蛇は、瞬く間に赤黒い肉塊と化した。

 なおも噴き出す鮮血を全身に浴びながら、少年は次の矢へ指を這わせる。

 やがて大蛇の首が痙攣しなくなるのを見届けると、黒尽くめの戦闘服姿の少年は、矢筒から引き抜こうとしていた矢から指を外し、弓を握った手を下ろした。

 そうして、ようやく思い出したように振り返った少年へ、つばさがぽつりと呟く。


「……どうして」


 少年は片膝をつくと、黒革の手袋を嵌めた手を翼へ差し出した。

 その手を握ろうと上体を起こしたところで、バランスを崩した翼は地面へ倒れ込んでしまった。抱きかかえるようにして支えると、少年は翼のヘッドギアのフェイス部分を上げて顔を露出させた。

 苦痛と眩しさに眉をしかめ、翼は再び問いを口にする。


「どうして、ここに……」


 震える指で、少年の胸元にそっと触れる。


しゅうは、宇治橋うじばしで戦っているはずなのに」

「あっちの化け物は、片づけてきたよ」


 間違いない、柊の声だ。息は上がってしまっているが、確かに柊だった。

 翼はぼんやりした目つきで、彼のヘッドギアに映る自分の顔を眺めている。


「嘘だ……こんなの、私の弱い心が見せている幻覚に違いない」

「幻覚でも、幽霊でもないよ。ほら」


 そう言って、柊はヘッドギアのフェイス部分を上げた。

 汗で前髪は額に張りつき、顔色も悪い。だが柊は、無理やり笑みを浮かべてみせた。


「翼は今、俺の助けが必要?」

「え?」

「約束したでしょ。いつでも手を貸す、って。だから今、俺の手が必要かどうか訊いてるんだ」


 翼は、無意識に両手で口元を覆っていた。

 声を殺し肩を震わせる彼女へ、柊は静かに語りかける。


「翼が立ち上がれないなら、俺が【D】を全部倒してくる。あと東側の二つの首だけなら、時間をかければどうにかなる」


 神宮道を挟んだ反対側に見える二つの首は、本体と思しき黒い首を失ったことで、酷く怯えているようだった。しきりに威嚇しているが、こちらへ近づく気配はない。


「だけど、まだ翼が戦えるなら、俺と一緒に戦おう」

「一緒に……?」

「翼が出すなら、どんな命令でもこなしてみせる。翼は、俺たちの現場指揮官なんだから」


 その言葉で、翼の瞳に輝きが甦った。

 体重を預けていた身体に力を入れ、上体を起こす。柊の手を借りて立ち上がると、翼は先ほど拾った太刀を自分の鞘へ納めた。

 隣に並ぶ柊を見上げて一呼吸。

 いつものように、背筋を伸ばして力強く頷く。


「ああ、私は現場指揮官だ。どんな状況でも、最後まで立ちあがる義務が私にはある」


 深く頷き、柊は目を細めた。


「それでこそ翼だ」


 すると翼は、敷地外で待機しているジープへ通信を入れた。


「こちら一班班長。小隊長、戦況の確認をお願いします」

『私だ。翼、一度だけ問うぞ。戦えるのか?』


 翼が重いダメージを負っているのは、遠目にも明らかだった。

 隣で通信を聞いている柊も、思わず彼女を見やる。黒地の戦闘服は、あちこち色を濃くしている。しかし、翼の声に迷いはない。


「もちろんです」

『分かった』


 さかきは、次に柊へ語りかけた。


佐東さとう、聞こえているか?』

「はい。大丈夫です」

『よく戻った。既に把握していると思うが、目標は神獣クラスに分類される八岐大蛇型【D】だ。今おまえが倒したのが本体で、公園東側にいる二つの首を残すのみとなる』


 宇治橋での出来事を思い出したが、戦況確認を優先する。


「みんなは?」

『東側には、一班の成田なりたと、六班班長の生駒いこまが倒れている。それ以外の隊員は、全てこちらで回収済みだ。だが、戦える隊員はもはや残っていない』

「分かりました。二人の回収をお願いします」

『それと佐東、既に脳への負担がきつくなってきていると思うが、二体同時に相手するには、臨界速ダブルギアを使わざるを得ない。やれるか』


 強い吐き気が、断続的に襲う。時間の経過と共に視野が狭まり、今では狙撃用スコープを覗いているような狭い空間しか確保できていない。

 月読命ツクヨミノミコトのダブルギアであっても、限界が近いのだろう。それでも、頷く。


「やります、戦えます」

『頼むぞ。おまえたち二人が、人類最後の砦だ』

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