英雄たちの凱旋
第58話 戦果報告
ダブルギアの基地、地下九階にある居住区。食堂や戦闘員の個室があるエリアは、普段とは違う緊張感に包まれていた。
多くの隊員が集中治療室を出て、個室での治療・管理となっている。意識のある隊員の個室には、職員の計らいで小型ポータブルテレビが配給されていた。
絶対安静を命じられていない数名の隊員は、食堂へ集まっている。
食堂の壁に掛けられた大型液晶テレビ。そこには頬に大きなガーゼを貼り、骨折した右足を庇うように簡易杖を突いた
放送に出演するのは、どうやら柊一人らしい。丸い天板のカウンターテーブルには、ガラスの一輪挿しと白い花、水の入ったコップが置かれている。柊は、その脇に立っていた。
戦闘中に左腕切断までいった
「うぉーい、目が死んでるぞー! キャハハハハッ」
「結衣ちゃん、そんなこと言ったら失礼だわ」
「そーそー。
「キャハハハッ 普段から目が死んでるだってー!」
結衣の野次に、他の隊員も笑い声をあげる。
だがそこに嘲りや嫉妬の色はない。近しい人に対する親しみの笑みが並んでいた。
画面の左上には、「巨大生物対策本部・第一小隊戦闘員が生放送で戦果報告」と書かれている。テーブルに置かれた水を飲むと、柊は手にした原稿を読み始めた。
『おはようございます。きょ、巨大生物対策本部・第一小隊、現場指揮官のサ、佐東柊です』
「柊ちゃん、自分の名前を噛んじゃダメダメよー」
「しっかりしろ、佐東一尉ぃ」
隊員たちから上がる野次に、ゲラゲラと笑い声が重なる。
食堂の隅には、テーブルに頬杖を突く
『
赤ペンであれこれ書き込まれた原稿を、柊は必死に読み上げる。
戦果報告と言っても、実際のダブルギアと【D】の戦闘に関するデータは、一切発表されない。ダブルギアに関する国営放送は、全世界から監視を受けているのだ。
ダブルギアの戦闘員の殆どが少女で、たった一個小隊で毎回重軽傷者を多数出しながら戦っている、という真実を秘匿するためには、どんな小さな情報も洩らすことができない。
だから、これまではたとえ誰が死のうとも、国民に公表されることはなかった。
戦果報告とは、シェルターの損壊状況や一般市民の死傷者数、復興に必要な物資の寄付の願い等だけ。先月まで、その発表は総司令である
だが、明け方近くになって基地へ戻ってきた
「すげえな……こんなに棒読みの放送、生まれて初めて見たぞ」
「キャハッ ほとんど放送事故じゃーん」
「まあまあ。前回と違って、準備時間がほとんどなかったらしいじゃない」
「アタシの耳がおかしくなったのかな。全部、カタカナに聴こえるんだけど」
きゃっきゃと笑い合う隊員の端で、車椅子に乗って点滴台を横に置いた
「カタカナでも
頬を赤くしてくねくねしている宇佐へ、結衣が呆れたような視線を送る。
ところが、何か言おうとする結衣より先に、食堂の隅から柳沢が叫んだ。
「はあ? 宇佐、おまえ今、何言いやがった?」
また柳沢のやっかみが始まった、と年長の隊員が割り込もうとする。
横やりを入れられた宇佐も機嫌を悪くした様子で、包帯を巻いた頭を車椅子の座面から起こし、細い眉をしかめる。
「柊さんカッコイイ、っち言うたんやわあ。何か文句でも?」
「くっだらねぇ。おまえが弱っちいからって、そうやって自分より強い奴に引っ付いてる腰巾着って、マジださすぎんだよ」
すると宇佐は、真面目な顔で首を振った。
「柊さんな、たった一人じ総司令ん悪だくみゅ阻止しちくれた。しかも私らも助けに来ちくれた。そげなすごい
「けっ 別に、そーいう意味じゃねーよ」
食堂の隅でふんぞり返る柳沢の周りにも、痛み止めの点滴台が置かれている。
柳沢は内臓ダメージこそ少ないが、一時は両足切断の危機まで陥った重傷者の一人だ。本来、痛み止めごときではこんな風に出歩ける状態ではない。
それでも、柳沢は食堂の大画面を観に来ていた。
「さすがのアタシも、あいつの強さは認めてやんよ」
「じゃあさ、柳沢は何が不満なワケ?」
ストローで麦茶を飲みながら、結衣が退屈そうに尋ねる。
隣の隊員たちも、宇佐も、うんうんと頷いた。
食堂の隅に座る柳沢は、ふんっ、と鼻を鳴らして得意顔をする。
「佐東の仲間、って言える資格があるのは、あいつと同等に強い奴だけだろ」
「ん?」
「つ・ま・り、あいつのバディにはアタシが相応しいってことだ」
腕組みをしてふんぞりかえる柳沢を、結衣が睨みつける。
「はぁあ? ていうか、柊と同班なのは、食堂にいる中だとボクだけなんだぞ。ボクのほうが仲良しに決まってんじゃん」
「クククッ 小隊長が勝手に決めやがった班なんて関係ねえよ。あと数ヶ月で
「柊は移動なんてしないよ! もしするとしても、柊の教育係はボクだったんだからボクとセットなんだから」
「班なんて関係ねえ、私が最初に柊さんぅ好きになったんや」
「宇佐は少し黙っとけっ」
ギャーギャー大声で罵り合う宇佐と柳沢と結衣の三つ巴の争いを、年長の隊員たちは笑顔で見守っている。
「柳沢がああなら、ようやく佐東さんも打ち解けてくれそうね」
「ああ、そうだな」
そんな風に話す二人の年上の隊員の横で、眼鏡の隊員は黙ってじぃっと画面を食い入るように見つめている。
画面では、相変わらず柊がたどたどしい日本語で戦果報告をしていた。
眼帯をした隊員が、眼鏡の隊員へ話しかける。
「戦果報告の情報なら、後でプリントで配られ……」
「しっ 今いいとこだから」
眼鏡の隊員は、そう言ってくちびるへ指をあててみせる。その間も、視線は画面から動かない。
ベリーショートの隊員も、怪訝そうに首を捻って眼鏡の隊員を凝視した。
眼鏡の隊員は、頬を上気させ、潤んだまなざしを柊へ投げかけている。手は胸の前で祈るように組み、熱を孕んだ吐息を洩らした。
「わたし、宇佐ちゃんのこと笑えないかも……」
「は?」
「え?」
「佐東さんって声も低いし、背も高いし、胸もないし……こうして見てると、本物の男の子みたい」
「それ、年頃の女の子に対する誉め言葉じゃないわよ」
眼鏡の隊員の瞳には、ハートマークが描かれているようだった。
「わたし、佐東さんなら女の子でもいいかも……っ」
「ちょ、ちょっと何言ってるのよ」
「おい、相手にも選ぶ権利ってもんが」
食堂の騒ぎを、キッチン担当の職員たちは楽しそうに眺めている。
今日は治療優先の非番の日で、食事の時間でもない。職員たちも、テーブルを囲んで大型テレビを眺めていた。
「テレビの子、新しく入ってきた子でしょ? すごいわねぇ」
「将来は現場指揮官かしら」
「んー……確か、翼ちゃんと同い年だって聞いたけど」
「ああ、それで新しい役職に就任したってわけか」
基地内の職員たちは皆、元ダブルギアだ。
ただし、二十歳の退役を迎えた猛者ではなく、戦闘不能の負傷をして除隊となった者から選ばれている。戦うだけの身体機能を取り戻せなかったものの、日常生活を送れる程度にまで回復した者たちだ。
「新しい役職って?」
「さっき、榊小隊長が話してたのを小耳に入れたのさ。ほら、長谷部
職員たちのお喋りに、画面から聞こえてくる柊のセリフが重なる。
『それと、これまで戦果報告を担当してきた長谷部総司令は、
これまで何百人という戦闘員が死んでも、それが報道されたことはなかった。
国会襲撃事件の立役者、
それを伝える柊の表情は、硬い。
だがそれは、強い決意によるものだ。
『これを受け、今後の戦果報告は、新しく第一小隊・広報官となりました
軍帽の下から覗く視線は強く、ゆるぎない信念を感じさせる。
『最後になりましたが、今回の【D】災害で被災された地域の一日も早い復興と、亡くなられた全ての方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます』
起き上がれない隊員たちも、その生放送を個室で観ていた。
痛み止めで朦朧としたまなざしで、画面を見つめる
後衛として最後まで戦った
右腕切断寸前までいった
痛み止めが効かない苦しみに、眉をしかめながらも画面を眺める幼い隊員。
祈るように手を組んで柊を見つめるショートカットの隊員。
両目をガーゼで覆われたまま、衛生班の職員に柊の表情や仕草を教えてもらって微笑む隊員。
そして、撮影用スタジオで直接柊を見守る榊――。
中継に出演しない榊の戦闘服は、どす黒く汚れていた。埃と煤、そして血。
撮影用の新品の戦闘服を着た柊と違い、榊は戦闘直後の殺気だった空気を全身にまとっていた。
ディレクターの隣で腕を組む榊の視線の先には、中継を終えたばかりの柊が水を飲んでいる。
榊と秘書、及び数名の部下は、戦闘員から遅れること五時間後、基地へ戻った。
計六ヶ所の銃創等を治療してもらった柊は、仮眠から目覚めたばかりの寝ぼけまなこのまま、小隊長室で榊と会った。そこで、国営放送の戦果報告を担当することを告げられたのだ。
「原稿のここですけど、長谷部司令が殉職って、要するに世間的には、ってことですよね」
ダブルギアを束ね、自衛隊の幹部でもある長谷部が企てたことは、テロルそのものだ。そういった事情に疎い柊でも、長谷部の計画を公表できないことは察せられたのだろう。
だが、榊は静かに首を振った。
「死亡したのは、事実だ」
「えっ でも、俺が宇治川を離れたときは――」
「私が、この手で葬った」
榊の戦闘服は、あちこち色を濃くしていた。それは榊の血か、それとも返り血か。
驚いて目を丸くする柊へ、榊は低い声で続ける。
「長谷部元総司令の企ては、逆賊の
「確かに、そんな話をしてましたけど……」
事実を飲み込もうとするように、柊は大きく息を吸った。
俯く彼を、榊はじっと見つめている。
「長谷部は、私が問いただしたときも自説の正しさを声高に主張した。佐東以外の戦闘員と我々指揮系統を
「俺、言ったんです。翼たちを犠牲にして俺だけ助かるなんて絶対嫌だ、って――」
榊は同意を示すように頷く。
「誰かを殺すと決めた人間は、自分も誰かに殺される覚悟をするべきだ。私は、そう考えている」
「榊小隊長……」
どこか不安げなまなざしを向けた柊へ、榊は軍帽の鍔を引いた。
「だから、手を汚すのは、我々大人たちに任せろ。おまえたち戦闘員は、国民の安寧を願い、【D】を倒すことにだけ集中すればいい」
「……分かりました」
簡易杖を突きながら、こちらへひょこひょこやってくる柊の姿に気づき、榊は僅かに体重移動をした。労うための笑みを、口もとへ薄く浮かべる。
「あ、お疲れさまです、榊小隊長」
「初めての戦果報告を終えた感想はどうだ」
「いや、あの、なんて言うか……穴があったら埋もれて上から土をかけてもらいたいくらいですね」
榊が歩き始めると、柊もその少し後をついてくる。スタジオを後にしながら、榊は柊の体調や今後のスケジュールに等、当たり障りのない話をした。
その後姿を見送る職員たちの顔にも、どこか誇らしげな表情が浮かんでいた。
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