第40話 頼みごと

「この花を、治療中の隊員に届けてくれないか?」


 真剣な表情の伊織いおりの言葉に、しゅうの眉間にしわが寄る。

(どんだけ重い話が飛び出すのか、って心構えしていたのに)

 肩透かしされて、つい苦笑が洩れる。


「それ、真面目な顔で頼む内容じゃないでしょ」

「せっかくの昼休みを邪魔するんだ。申し訳ない、と思うのは当然だろ?」


 伊織は、完成させたばかりの花籠を手に笑っている。

 居住区の個室へ花を届けるだけだ。伊織が幾つ頼むつもりか知らないが、それほど時間のかかることでもない。

(むしろ、隊員たちと顔を合わすことのほうが気が重いんですが……)

 そこまできて、伊織の狙いはそれだ、と思い至る。

 相手は年頃の女の子たちだ。

 怪我で塞ぎ込んでいるところに見舞いの花が届けられて、嬉しくないわけがない。昨日、微妙な空気になってしまった隊員も、柊が綺麗な花を届けてくれれば、気分も変わるだろう。

 伊織の控えめな気遣いが、今は心地よかった。


「別にいいよ。他に手伝うことはある?」

「お、気前いいな。じゃあ、荷物を作業台まで運んでもらえるか」


 伊織の後に続き、一つ手前の部屋へ戻る。

 ラックには、肥料や土がきちんと分類されている。重そうな段ボールを前に、伊織が八咫烏ヤタガラスの体当たりを受けたことを思い出した。

 ダブルギアの回復力が高いといっても、内蔵をやられておいて、二日で完治したはずがない。重いものを持つのは、骨が折れるのだろう。

 伊織の代わりに、素材となる花や緑のスポンジなどを持って歩く。


「サンキュ。じゃ、さっきの作業台へ置いてくれ」

「了解」


 後ろから伊織を観察すると、やはりどこかを庇うように歩いている。

(もう一日くらい、治療を優先すればいいのに)

 それを言ったところで、素直にベッドへ戻るとは思えないが。

 少し待ってろ、と言われたので、元の椅子へ腰を下ろす。伊織は色とりどりの花を手に、次の作品を作り始めた。

 しかし、先ほど完成させた籠とは、使う花の種類がまるで違う。脇に置かれた籠は、ピンクと黄色で可愛らしい雰囲気の物だが、伊織が手にしているほうは、小さな青い花が主役だった。

 形も大きさも違うのだから、全体のデザインも変わってくる。それでも、花を選ぶ伊織の手に迷いは見られなかった。


「まさかと思うけど、みんなの好みを憶えて作ってるとか……?」

「当然だろ。三年もやってれば、好きな花の系統くらい分かるさ」


 軽く笑う間も、作業の手は止まらない。


「嫌いな花を贈ったって、誰も喜ばないだろ」

「……花の名前なんて、桜とチューリップ以外、出てこないんですが」

「二つだけ、っておまえさん、男かよ」

「男だよ」


 伊織に軽口を叩かれても、嫌な気にはならない。

 柊はハーブティのおかわりをもらいながら、作業が終わるのを待つことにした。

 しばらく黙って作業をしていたが、やがて伊織は、変わった模様の入った葉を手に話しかけてきた。


「なあ。おまえさんは翼のこと、どう思ってんだ」


 不意打ちで投げられた質問に、柊は息を呑む。

 伊織の声色は、穏やかながらも低い。無意味な雑談とは思えない。


「どういう意味?」

「別に。見た目でもいいし、能力のことでもいい。普段の態度とか、国営放送で思ったこととか――何かしらあるだろ」

「それは……」


(どう答えるのが正解なんだ?)

 人間関係で困ったときはいつも、声だけで存在した妹に、アドバイスを頼んでいた。だがそのスーパーアドバイザーは、もういない。

 妹は、柊を通してでしか、世界とかかわることができなかった。

 だからか、柊が誰かとぶつかる度、声だけの妹は優しく繰り返した。

(何回、間違ってもいいよ。だけど、誰かとかかわること自体を諦めちゃダメだよ、柊ちゃん)

 昨日のことを思い出すと、想いや考えを口にするのが怖くなる。

 どうせ、俺の話なんて誰も聞いてないし、都合のいいことを口にすれば解放されるだろう――そうやって、他人と衝突しないようにしてきた。

(はずなのに、結局、こうしてもめてるんだよな)

 伊織の問いかけに嘘を吐いて誤魔化しても、彼女は怒らないでくれるかもしれない。そんな雰囲気が、何となくある。

(でも、それで本当にいいのかな)

 基地へ移送された日、新しい仲間たちと、一からちゃんとした関係を結びたい、と願っていたのは嘘だったのか。


「……笑わない?」

「おまえさんが茶化さなきゃ、笑わないさ」


 どうにも居心地が悪くて、身体ごと伊織へ背を向ける。白い壁には、名前が刻印された金銀のプレートが並ぶ。会うこともなかった先輩たちの墓標だ。

 伊織もこちらへ背を向けている。背中合わせの状態で、柊は口を開いた。


「――俺にとって、翼は英雄ヒーローだ」


 それに対し、伊織はすぐには反応しなかった。

 笑うでもなく、驚くでもなく、同意するわけでもない。茎を切る音が、パチン、と小部屋に響いた。


「八咫烏戦で、親鳥へ攻撃のタイミングを作ったのは、おまえさんだろう? 『俺のほうが優秀だ』、とか思わないのか」


 批難や揶揄ではなく、確認するような声音。

 次の言葉を口にしていいものかどうか、くちびるを軽く噛んで悩む。だが、ここまで口にして黙ることはできない。

 壁を見上げたまま、柊は小さく頷いた。


「俺さ、ここへ来る前にいた自警団に、居場所がなかったんだよ」

「ふぅん」

「訓練も真面目にやってたし、仕事をサボったこともない。だけど、山犬型【D】の出現予定日、偵察班のリーダーは、俺の通信をわざと切ったんだ」


 元自警団予備科だった、という伊織は、それだけで事情を察したらしい。

 作業の手を止め、強く両手の拳を握りしめる。項垂れ、やるせなさに首を振る。

 だが、背中を向けている柊には見えていない。


「自分たちが偵察してる地区に【D】がいることも、撤収命令も知らされないまま、俺は独りで市街地にいたんだ。リーダーたちに笑われたよ。せいぜい逃げ回ってみせろや、って」

「……頭ん中、ウジでも涌いてんじゃねぇのか、そいつら」


 吐き捨てるように伊織は呟く。

 一方、柊は淡々と事実を口にしていった。


「誰も助けてくれなかったし、心配もしてくれなかった。はずだった」


 伊織は、思わず振り返った。

 視線の先で、柊は墓標代わりのプレートを見上げている。その背中は、彼が語る凄惨な体験とは裏腹に、どこか吹っ切れたような清々しさがあった。


「だけど、翼は違った。たった一人で【D】に立ち向かうなんて危険を冒してまで、俺を助けに来てくれたんだ」


 もし、翼が柊を救おうと思わなかったら。

 複数体が出現したときのマニュアル通り、一体ずつ撃破しよう、となった可能性が高い。どちらを優先するか、となれば、より地下シェルターに近い個体だろう。

 つまり、いけにえを追いかけて市街地へ移動する個体は、放置されたはずだ。


「翼と出逢って、やっと分かったんだ。俺は、周りの人にとって都合のいい人になりたかったわけじゃない。俺は、誰かのために戦う英雄ヒーローになりたかったんだ、って」


 一拍置いた後、伊織の笑い声が温室に響いた。

 伊織は手で目元を隠しながら笑っている。だが、嘲笑ではなく、笑い飛ばしているようにも感じられない。

 しばらく笑った後、伊織は柊の視線から逃れるように、そっと目元を拭った。


「おいおい。花も恥じらう美少女に対して、スーパーヒロインでなくて、ヒーロー呼ばわりかよ」

「そ、それは言葉のアヤでしょ。俺もああなりたい、って目標みたいなそれなので、俺は男だから、やっぱりヒロインじゃなくて、ヒーローになりたいっていうか……」

「おーおー、開き直って男アピールしてくれるねぇ」

「そういうわけじゃ」


 途端にしどろもどろになった柊を、伊織は指の間から見つめた。やがて目元から手を外すと、作業台へもたれるようにして正面を向いた。

 伊織の表情は、穏やかながらも真剣そのものだ。


「頼みごとがあるんだ」

「なに?」

「翼の仲間になってくれないか」


 椅子に腰かけたまま、柊は伊織を見上げた。


「守るべき仲間じゃなくて、頼れる仲間、ってこと?」

「翼に命を救われて、自分もああなりたい、っておまえさんは思ったんだろ。翼に依存するしかできなかったあたしらとは、根本から違う」

「けど、翼がどう思うか、って問題が」


 すると伊織は、軽く笑って肩を竦めた。


「ま、別に頼れる仲間でなくて、頼れる恋人――でも構わないけどな」

「こッ」


 目を白黒させる柊をからかうように、伊織は腕組みして続ける。


「ははははっ いいねぇ、おまえさんも・・・・・・意識してんのか?」

「ちょ、なんでそういう話になるの……?」


 反論しようとして、おまえさん「も」という部分に引っかかりを覚える。

 すると、伊織は長い足を軽く組みながら答えた。


「おまえさんが男じゃないか、って思った理由の一つが、それだ」

「え……な、なにが」

「翼、初日からおまえさんのこと、意識しまくりだったからさ」

「はい?」


 頭の中を、大小様々な「?」マークが乱れ飛ぶ。

 伊織の言葉の意味を柊が理解するより早く、彼女は完成したばかりの花籠を柊の前へ置いた。


「つーことで、配達頼むわ。その花、11号室に届けてきてくれ」

「え、あの」

「他はあたしがやるから、それ届けたら自由時間に戻っていいぞ」


 カツサンドの容器は任せとけ、と付け足しながら、伊織は混乱する柊の背をぐいぐい押して、温室の外へ追い出した。

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