第53話 あと三人

 戦闘が開始されてから、およそ二時間が経過していた。

 平安神宮の応天門へ続くまっすぐな道、神宮道。その両脇に広がる岡崎公園。燃え盛る炎と投光器に照らされ、辺り一帯は真昼のような明るさだ。

 そんな広場とは対照的に、その奥は深い闇に閉ざされている。てらてらと揺れる赤い炎と投光器の白い光に目を細め、翼は手にした太刀を握り直した。


「はあ、はあ……みんな、右から来るよ」


 肩で息をしながら仲間たちへ指示を飛ばし、自身も前方へ飛び込むようなフォームで回避行動を取る。翼がいた場所を、頭だけで軽自動車程もある巨大な蛇が突進していった。

 残る隊員は、僅か五名。次々と突撃を避けるなか、反応が遅れた者がいた。

 小柄な隊員は、あっという間に身体を締め上げられてしまう。


「やだ、いや、いやああああああっ」


 大蛇に巻きつかれた少女の身体から、ミシミシと骨の軋む音が響く。先ほどまで少女の隣にいた五班班長の玉置たまきが、思わず振り返った。


宇佐うさ!」


 玉置は素早く弓を引き分け、少女を締めあげる蛇を射ようとする。

 その背後から、の蛇の頭が襲いかかった。鋭い牙で玉置の腕へ噛みつき、振り回そうとする。


「こ、この、化け蛇がっ」

「せんぱ……い……たすけ……」


 二人の隊員の悲鳴が、不気味な不協和音を奏でる。

 翼は素早く間合いを詰め、幼い隊員に巻きつく【D】を袈裟切りにした。

 続いて伊織いおりが高く跳躍し、玉置に噛みつく【D】の頭へ、自重ごと刃を突き立てる。

 しかし、敵は噛みついた腕から離れようとしない。玉置の顔色は紙のように白く、脂汗がしたたり落ちる。


「オレのことはいい。宇佐を――」

「あっちは翼に任せとけ!」


 叫びながら太刀を引き抜く。それでも大蛇は放そうとしない。そこへ後方から矢が立て続けに浴びせられた。

 シャーシャーと威嚇の声をあげ、大蛇は距離を取る。

 玉置の腕は、どうにか繋がっている状態で、もはや戦える状態ではない。既に脚や側頭部にもダメージを負っていた玉置は、ぐったりと動かなくなった。


「おい、バカやろう、目を開けろ!」


 伊織は必死に呼びかける。だが返事はない。

 そこへ、今しがた強烈な矢を放った隊員が駆け寄ってきた。前現場指揮官の美咲みさきだ。


「美咲さん、玉置が――」


 悲痛な色の滲む伊織の呼びかけに、美咲が頷く。横たえられた玉置の脈を取り、生きていることを確認すると、低い声で命じた。


「戦線へ戻りなさい、伊織ちゃん」

「玉置や宇佐は……」

「もう戦える隊員は、私・あなた・翼ちゃんの三人しかいないの」

「だけどっ」


 美咲は、伊織の腕をぐいっと引いて立ち上がらせる。


「三年前と同じことを繰り返すの?」


 そう言って、こちらを窺う大蛇へ素早く威嚇の矢を放つ。


「翼ちゃんは、一班で一人だけ、臨界速ダブルギアを使わずにいたことを悔やんでいるのよ。今、彼女を一人にすれば、今度こそ使ってしまうでしょう」

「あれは、あのときの現場指揮官の暴走だろ!」

「事実かどうかじゃない。彼女がそう思いつめていることが、問題なの」


 キリキリと弦を鳴らし、美咲は玉置を襲おうとした蛇の頭を射た。

 だが、やはり神獣クラス相手では、大したダメージにならない。


「三年経っても、その心の闇を救えなかった私たち上級生のミスよ。翼ちゃんは、あの日が初陣だった一番の新兵なのに」

「くそ……あんなもん、絶対に使わせたりしないからな」


 そう叫ぶと、伊織は翼のもとへ駆け寄った。

 戦場に立っている隊員は、いよいよ三名だけとなった。戦場のあちこちから聞こえる苦悶の呻きと、火の粉が上がる音だけが響く。

 一方、平安神宮へまっすぐ伸びる神宮道を挟んだ西側では、黒い作業着に身を包んだ二十代の若者たちが、負傷者の回収へ向かっていた。

 彼女たちは全員、ダブルギアの元戦闘員だ。いずれも生きて二十歳の退役を迎えた強者揃いだが、現在は年齢制限でヘッドギアを使うことができない。回収班には、一人だけ戦闘服を着た榊の姿もあった。榊は通信機へ語りかけながら、背の高い負傷者を担ぎ上げた。


「翼、いいか、絶対に使うな。絶対だ。おまえが臨界速ダブルギアを使えば、まだ息のある隊員も死ぬことになる。馬鹿なことは考えるな」


 百メートルも離れていない公園の東側で戦う翼へ、榊は声を嗄らして訴え続ける。

 しかし、荒い呼吸音しか聞こえてこない。


「約束しろ、翼! 私の命がある限り、絶対に許さんぞ」


 榊の後ろで、回収班の職員が血まみれの結衣を背負った。更に、千切れた彼女の細い右腕を拾いつつ、榊へ声をかける。


「無人航空機の情報解析班より、連絡が入りました。応天門前にいる【D】本体が、移動を開始したそうです。岡崎公園の西側へ向かっている模様」


 榊は歯を食いしばると、周囲へ叫んだ。


「撤収しろ! 戦闘員をこちらへ回す。回収班は、公園東側で負傷者を探せ」


 八岐大蛇はその名の通り、八つの鎌首を持つ大蛇だ。それぞれの頭が軽自動車ほどのサイズがあり、人間など一飲みにしてしまう。それら七本の首も充分に危険だが、本体と思しき一つの頭は、鋼鉄より硬い鱗に頭全体が覆われていた。

 本体の頭は平安神宮の入口に当たる応天門前に陣取り、作戦の指揮でも執るかのように、個々の首を操っていた。それが前へ出てくるということは、一気に決着かたをつけに来たのだろう。

 榊は通信機を操作し、再び翼へ話しかけた。


「翼、応天門前にいた本体が、移動を開始した。公園西側で迎撃しろ。私は、東側の重傷者の回収へ向かう。繰り返す、本体が公園西側へ向かっている。迎撃しろ」

『公園東側にも、まだ三体、残っています』


 榊は苦しげな吐息を洩らし、そっと瞼を閉じた。


「……生駒いこまは、前任の現場指揮官だ。単独で【D】を倒したこともある。それに、成田なりたもいる。彼女たちを信じ、おまえは本体を迎撃しろ」


 通信相手を切り替え、榊は美咲と伊織へ同様の指示を出した。

 抗議の声をあげる伊織とは対照的に、美咲はすぐに了承する。


『伊織ちゃん、小隊長の指示に従いましょう』

『けど、それだと翼が独りになっちまう』

『私たちが生きてる間は堪えてくれる、と信じるしかないわ』


 翼が公園西側へ移動し始めるのを確認し、榊は回収班と共に医療班が待つジープへ戻った。背負っていた隊員を医療班へ預け、再び車外へ飛び出す。前髪が額に貼りつき、顔にも疲れの色が濃く滲んでいる。

 回収班に気づくと、伊織は大声で威嚇しながら一つの首へ斬りかかった。案の定、三体の狙いは伊織へ集中する。その隙に、美咲が矢を的確にあてていく。空になった矢筒を投げ捨てながら、美咲は通信機へ話しかけた。


「小隊長、前衛を優先して回収を。蛇型に類する【D】は攻撃のリーチが長く、後衛の隊員は戦力になりません」


 一瞬、美咲は話すことに集中した。その隙を逃さず、一体の首が襲いかかる。素早く歯車ギアをチェンジし、加速補助ファースト・ギアで逃れようとする。

 しかし牙は免れたものの、体当たりをもろに食らってしまった。

 地を転がる美咲。彼女が起き上がるより早く、大蛇は間合いを詰める。


「しまっ……」


 細い身体に巻きつき、絞め殺しにかかる。美咲は脇差しを抜いて敵の胴へ突き立てたが、より一層、締めつけが強くなるばかりだ。くぐもった悲鳴に、少し離れた場所で残る二体と奮闘していた伊織が振り返る。


「美咲さんっ や、やめろ……やめろぉおおお!」


 伊織の叫び声が響く中、美咲は自分を丸のみにしようとする大蛇の喉奥へ脇差しを突き立てた。

 喉奥を刺された首が、地に倒れこむ。だが、美咲ももはや動く気配がない。

 七つの首の内、残りは二つ。

 東側で立っている隊員は、伊織だけ。

 握る太刀は刃こぼれが酷く、強靭な蛇皮には通用しなくなってきている。伊織は、震える手でぼろぼろの太刀を構え、ぽつりと呟いた。


「こんなの、三年前と何も変わらないじゃないか。臨界速ダブルギアを使えば、自決。自決しなければ、仲間に殺される。使わなければ食い殺される――結局あたしたちは、死ぬ運命だったんだ」


 二体の首が向かってくるのを、伊織は呆然と見つめていた。緩慢な動きで一体の突進を回避し、もう一体の鼻先へ刃を突き立てる。

 一瞬の抵抗の後、刃が折れるのを、彼女は黙って受け入れた。

 血飛沫が地を汚す音に、回収班の数名が首を振る。榊は回収班へ撤退を指示し、自身もジープへ戻った。衛生班へ救護状況を確認したものの、意識を取り戻した隊員はいない。


「岡崎公園・西側の戦況を」


 別のジープにいる無人航空機の情報解析班が、すぐさま応対する。


『一名が交戦中。しかし既に体力の限界か、防戦一方となっております』


 ここまでか――榊は口のなかで小さく呟き、無人航空機からの映像を映し出すモニターへ近づいた。榊の戦闘服は、舞い上がる火の粉であちこちが焦げ、頬は灰で汚れている。声もれ、強い疲労で立っていることさえ厳しい。

 重たい手足を動かし、榊はジープの壁面に掛けた予備のヘッドギアを手に取った。


「これがもう一体いるならば、佐東さとう臨界速ダブルギアを使っても、全ての首を倒すには時間がかかる。その間に京都シェルターが襲撃されれば、犠牲者は数十万人を超えるだろう」


 榊の言葉に、ジープにいる職員たちは黙って耳を傾けている。


「翼が死んだら、私が戦場へ出る。だが、私は現役ではない。臨界速ダブルギアを使っても、発狂前に倒し切ることができないかもしれない」

「小隊長……」

「榊小隊長!」

「君たちは、私が外へ出ると同時に撤退してくれ。そして佐東が来たら、【D】の討伐を指示してほしい」


 職員たちのざわめきを背に受けながら、榊はモニターを覗き込んだ。

 公園の西側では、黒々とした頭の全体を鱗が覆う大蛇がとぐろを巻いている。対峙する翼は、片足を引き摺るようにして攻撃を避けた。

 大蛇は細い舌をちろちろと動かし、余裕を見せつけている。餌を殺す前に嬲り、弄んでいるのだろう。両者の戦力の差は、明らかだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る