第65話 史上最悪の新人

 翌日、昼飯時を迎えた食堂は、ざわめきに満ちていた。

 どのテーブルも、つばさ美咲みさきが現場指揮官の座を交代した話で持ち切りだ。

 渦中の人である翼は、しゅうの部屋を訪ねたときとは違い、穏やかな表情で受け答えをしている。けれどもその完璧な応対が、却って心の傷の深さを示しているように見えた。

 ややあって、小隊長の榊を先頭に美咲、そして見たことのない顔の女子が入ってきた。自然と雑談は止む。映画俳優のように端正な面立ちの榊が、口を開いた。


「諸君。食事中のところ申し訳ないが、一旦、手を止めてほしい」


 真面目な話だと理解して、皆、箸やコップをテーブルへ置いた。それを確認すると、榊は話を切り出した。


「午前の訓練に参加した隊員には、先ほど通達したが、昨日付けで生駒いこま一尉を現場指揮官に任命した。生駒は退役までの残り二戦、指揮を務めることとなる」


 ここまでは、既に全員が知っていることだ。しかし、榊からの通達はそれだけではなかった。


「また今回、負傷によって参戦人数が極端に減っていることを受け、臨時に班を再編することとなった」


 ざわめく隊員たちの中央で、翼はまっすぐ前を向いている。

 恐らく彼女は、班の再編についても聞かされていたのだろう。

 だが、そんな翼でさえも、見知らぬ女子へ視線を向けずにはいられなかった。隊員たちの疑問を代表するように、結衣ゆいが手を挙げる。


「はいはーい! 美咲さん、質問。隣にいるのは新人ちゃん?」


 頭の辺りを包帯で覆った美咲は、結衣と目を合わせると、いつもの柔らかな微笑みを浮かべようとした。しかしその直後、眉間にしわが寄る。


「……ええ、そうね。新人といえば、確かに新人よ」

「ふーん。柊も、新人にしては年上だったけどさ。その子、柊よりもっと大人っぽく見えるよ?」


 腕を組み、片方の手を口もとへ当て、美咲は考え込むような姿勢を取った。

 そうしてしばらく経ってから、観念したように頷く。


「まあ、本人の口から聞いてもらいましょう。挨拶してちょうだい、西村にしむらさん」


 全員の視線が、新人として紹介された女子へ集まる。

 背中の中ほどまである黒髪のロングヘアを、いわゆる姫カットにしている。黒目がちな目元、ふっくらとしたくちびる、その左下に小さなほくろが一つ。日本人形のような雰囲気の和風美人だ。

 しかし、待てど暮らせど、緊迫感を孕んだ静寂が食堂に立ち込めるばかり。

 腕組みをして部屋の隅を見つめた状態で、西村と呼ばれた美人は棒立ちしている。

 ちらりと横へ視線を流し、再度、美咲が促す。


「西村さん、挨拶しましょう。みんなも待っているわよ」

「…………」

「緊張しているなら、名前と年齢だけでもいいの」

「…………」

「よろしく、の一言でもいいわよ」


 ところが、うん、ともすん、とも言わない。

 異常な光景に、隊員たちはひそひそと何やら囁き合い始めた。


(あの子、なんなの?)

(緊張しすぎ、って顔じゃないぞ、あれ)

(結衣ちゃんも言ってたけど、あの人、何歳なんだろう?)

(歴代の覚醒最高齢は、十七歳でしょ? それより上に見えるわよ)

(すんげー、ふてぶてしい面してんのな)


 柊は、そんなひそひそ声に圧倒されながら、周囲を見渡していた。

 自分が着任したときもあれこれ言われたものだが、今の状況と比べると、ここまで厳しいものではなかった。

 西村という新人は、どうやら第一印象で多くの同僚から嫌われてしまったようだ。

 業を煮やした美咲が、冷たいまなざしで問いかける。


「西村さん。あなたにとってそれが、互いに命を預けて戦う仲間となる人たちへの態度なの?」

「…………」


 数秒おいて、西村はその柔らかそうな桜色のくちびるを開いた。想像と違い、高く澄んだソプラノが発せられる。


「うちは、あんたらを知りたい思わへんし、あんたらに理解されたいとも思わへん」

「はぁ?」


 思わず声が出たのは、一人ではない。結衣と柳沢やなぎさわでさえ、日頃の仲の悪さはどこへやら。顔を見合わせ、聞き違いでないことを確かめるように新人を指差している。

 一方の新人は、そんな不穏なざわめきなど意に介さない様子で、長い髪をはらり、と手で払う。


「上辺だけの仲良しごっこも、男のふりした兵隊ごっこも結構どす。うちんことは、お構いのう」


 それっきり、ツン、としました顔でそっぽを向いてしまった。

(すごいな。普段から全方位に燃料投下してる、あの柳沢がドン引きしてるよ)

 自分のコミュニケーション能力の低さを自覚する柊でさえ、西村という新人が、全力でこちらを拒絶していることは分かる。そして、そのやり方が最悪なことも。

 既に現場指揮官として顔合わせを終えていたらしい美咲も、不機嫌な表情を隠しきれていない。

(そういえば、翼はどう思ったんだろう?)

 怒ってるだろうか。それとも、困った新人だ、と呆れているのだろうか。そんな予想をしながら、翼の横顔へ視線を向ける。

 細い眉がハの字になっている。どうやら、困惑と混乱の中間にいるらしい。

(戦闘員になる前からダブルギアに関わってる翼が、混乱を隠せないレベルの変人かよ。ヤバいな)

 すると、それまで黙っていた榊が、腰に手を当てた姿勢で説明した。


西村にしむら綾乃あやの、京都シェルター出身の十八歳だ」

「ちょい、小隊長はん。他人ヒトの個人情報、ぺらぺらと喋らんといてくれます?」


 抗議の声を無視して、榊は西村のプロフィールを語り続ける。


「ダブルギア覚醒は、五年前・・・、十三歳のとき。製造部予備科を卒業後、被服系の工場で働いていたそうだ。戦闘訓練は一切受けていない――以上」

「五年前!?」


 まったく想像していなかった単語に、ぽかん、と柊も口が開いたままになっていた。

 あちこちからあがる悲鳴じみた批判の声。交差する鋭い視線、囁かれる悪口。さすがの翼も、信じられない、という顔で柊のほうへ振り向いた。


「俺はそういうのって知らないけど、五年も覚醒を隠してた、って普通じゃないよね?」

「こんなケース、私も聞くのは初めてだ」


 しかも製造部ということは、身体能力が高いわけでもなく、訓練経験もない。戦闘服の着方から教えなければならないのに、古参隊員と同世代というやりにくさ。

 榊の表情も固い。やはり西村は、相当な問題児なのだろう。

 片腕をギプスで固定したままの伊織いおりが、低い声で呟く。


「どうやら、小隊史上・・・・最悪の・・・新人・・が来ちまったようだな」


 その呟きに、周囲の隊員たちまでもが次々と頷いていく。

 しかし、『史上最悪の新人』などという酷い呼び名を与えられたというのに、西村の表情はまったく変わらなかった。

 無関係の人間にどう思われようと構わない――そんな強い意志が、そっぽを向いた横顔に滲んでいる。

 呆れた様子でため息を吐くと、美咲が話を戻した。


「では、西村さんの紹介は終わりにして臨時班の編成を発表します。午後は自習となるので、新しい班の仲間とコミュニケーションを図ってください」

「はい」

「はいっ」

「それでは、一班から発表するわね」


 美咲の話を聞き流しながら、柊は初めての後輩となる史上最悪の新人を、ぼんやりと眺めていた。

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