第41話 教え

 慣れてしまえば、案外どんな環境にも適応できるものだ。

 男装少女の女装――つまり男の服装で過ごすわけだし、入浴・手洗い・着替えは、個室で全て済ませられる。

 不用意な接触やスキンシップさえ回避すれば、女のふりだって難しいことじゃない。そう言ったのは、誰だったか。思い出そうにも、二ヶ月前の記憶なんて確かじゃない。

(……と、集中、集中)

 的へ意識を戻す。

 戦闘に使う金属製の弓ではなく、木製のものを握っている。離れの感覚。くるりと手の内で回る弓、鈍い的中音。紙製の的を囲む木枠に刺さったようだ。


「うーん……あたりはあたりだけど、雑念が入るとやっぱりダメだな」


 妹がいたときの癖で、周りに人がいないと、すぐに独り言が出る。時刻は午後七時過ぎ。正規の訓練は終了している。

 他の隊員は夕食を終え、自由時間を楽しんでいる頃だ。

 居住エリアと多目的エリアで好きに過ごす、憩いのひととき。自室で本を読んだり、友人と食堂でお喋りしたりする隊員が多い。

 柊もここへ来た当初は、自室で筋トレすることが多かった。あるとき思いついて、自主練はできるか、とさかきに質問したところ、許可が下りたのだ。

(なんか、頭の中がまとまらないんだよな、今日)

 とはいえ、床に置いた的中表には丸が並んでいる。ボロボロのノートは、彼の数少ない私物だ。


「ダメだな、仕切り直そう」


 ため息を吐いて首を振る柊へ、足音を殺して近づいてきた影が飛びかかった。


「独り言が多いんじゃなぁい?」

「ひっ」


 比喩ではなく、本気で一瞬、心臓が止まった。

 柊は、板張りの道場に膝立ちの姿勢でいた。そこへ抱きついたのは、教育係の結衣ゆいだ。といっても、次の出撃が終われば、その役目も外れるのだが。

 胸元を手で押さえながら、ゆっくり前へ倒れていく。紙のように真っ白な柊の顔。結衣の能天気な笑い声が、道場に響いた。


「キャハハハ、驚いた? 幽霊かも、って焦った?」

「あ、の……」


(他の幽霊は見たことがないけど、妹がいたってことは、この世に幽霊は存在するんですよ、結衣さん……)

 屈託なく笑う結衣をジト目で睨みながら、胸に手を当て深呼吸。心音が、でたらめな速さで打ち鳴らされている。


「そういう悪戯、あんまり良くないよ。結衣だ、って分かるのがあと少し遅かったら、本気で殴りかかってたからね」

「そんな怖かったぁ?」

「じゃなくて。ダブルギアは、常に狙われてるんでしょ。海外だけじゃなくて、敵は内側にもいるかもしれないんだからさ」


 珍しく不機嫌さが滲む柊の声に、結衣のまばたきが増える。

 抱きつく結衣の手を解くと、柊は静かに立ち上がった。作業着で射る普段の訓練と違い、黒い袴と白筒袖がセットになった弓道衣を身に着けている。

 男子には必要のない胸当てだが、訓練と同じように白筒袖の下につけてて良かった、と結衣を盗み見た。

 弓を壁際に置き、手早く弓掛ゆがけを外していく。


「スパイがどこに紛れ込んでるか分からないし、いつ、基地が襲撃されてもおかしくないんだ。驚かせる系の悪戯に慣れちゃったら、いざってときに対応が遅れるよ」

「……むぅ、ごめんって」


 新人の柊が真っ当な反論をしたことで、結衣は素直に項垂れている。

 柊は弓掛を道場の床へ置くと、隣の控えへ入っていった。共用サンダルを履いて、的の置かれた安土あづちへ向かう。矢道の脇を歩く柊の背中を、結衣はぺたりと座って眺めていた。

 射た矢を回収してくると、雑巾でやじりの周辺の土を拭う。綺麗にした矢を矢立てに入れ、道場へ。

 しおらしくこちらを見る結衣に気づき、柊は破顔した。


「どうしたの?」

「ボクが教育係なのに、柊のほうがちゃんとしてるなーって」

「そこまで怒ってないよ」


(っていうか、突然のスキンシップをやめてもらうための口実なんですが)

 しょげている結衣の表情に覚える、微かな罪悪感。とはいえ、基地が襲撃されたときのことを考えると、正論中の正論なのだが。

 ちらりと壁の時計を見る。あと一時間は、ここを使える。

 手早く弓掛をつけると、柊は再び壁の弓を手にした。結衣は床に座ったまま、ズリズリと壁際へ移動する。


「袴なんてどこで借りたの? 私物?」

「榊小隊長に貸してもらえたよ。他にもあったから、もしかすると、昔は弓道衣で訓練してたのかも」

「へぇー。作業着よりカッコイイじゃん」


(男子用の腰板が袴に入ってるから、これも一応、男装なんだよな)

 物珍しそうな視線に、頬が熱くなる。矢を二本床へ置き、跪坐きざと呼ばれるつま先を立てた状態で腰を下ろす。通常なら、ここから立ち上がって弓を射る。

 すると結衣が、再び話しかけてきた。


「ねえねえ。さっきは座ったまま弓を引いてたけど、あれは何?」

踞射つくばいのこと?」


 少し考えて、そういえばダブルギアの基地では教えていないようだ、と思い出す。


「自警団予備科の教官が、個人的に教えてたんだ。伝統を途絶えさせたくないから、って」

「へぇ……ボクもできるかなぁ」

「見よう見まね程度なら、結衣にもできると思うよ。でも俺は指導者じゃないから、人に教えるわけにはいかないし」

「えー、なんでなんで?」


 脳裏に、そのときの教官の姿が思い起こされた。

 総白髪の教官は、かつて教員だけの弓道大会で全国優勝した経験がある、といつも自慢していた。それだけの力量がありながら、その教官は、予備科の基礎訓練しか担当させてもらえていなかった。彼が習得した流派と、シェルターが推奨する流派が違う、というだけの理由で。

 力量があるのだから、推奨される流派も会得できるだろう。そう尋ねた生徒へ、教官は鼻を鳴らした。

――教えってもんは、そう簡単に捨てられるもんじゃねえんだよ。

 当然、教官の担当を希望する生徒などいなかった。彼の流派を教わっても評価には繋がらないし、それどころか、変な癖がつくかもしれない。

 必然的に、嫌われ者の柊が行くところなど、そこしかなかった。

 教官はとても厳しかった。何かあると、すぐ拳骨が落ちてくる。だが、自身が教える流派のことだけでなく、シェルター推奨の流派についても丁寧に教えてくれた。

(他の生徒も殴りまくってたし……今思えば、他の人と変わらず接してくれたのって、あの教官が初めてだったのかもな)

 懐かしい、とは少し違う感傷に、柊は笑みを浮かべた。


「俺が習得したのは、シェルター推奨の流派だからね。他の流派をあれこれ言うのは、失礼にあたるから」

「そういうもん?」

「俺にあれを教えてくれた人も、上体の安定を確認するときに使う程度にしとけ、って言ったし」


 そう言って、柊は弓を手に立ち上がった。

 上体の確認は、もうできた。いつものように肩幅程度に足を開き、弓掛に弦を引っかける。両腕を上げ、引き分け――離れ。

 タァアアアンッ


「ど真ん中じゃん。あたぁーりぃー」

「……もう少し左かな」

「うわ、細かっ」


 見学している結衣の声も、どこか弾んでいる。何か特別なことをしたわけではないのに、柊の頭のノイズもいつの間にか消えていた。

 午後八時近くになるまで、道場の灯りはついていた。

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