65、相良の不在とバグの処理
「相良さんが出張で不在?」
デスクは綺麗に片付けられており、その隣で作業をしていた男性社員が疲れた表情で頷く。
「ああ、一応メールは繋がるって言ってたから、緊急時はメールしてほしいって。会議が多くて電話は出られないそうだ」
「そうですか……」
一樹が先日、妹の愛梨とその友人である美優と話し合って決めたことがある。それは彼の上司である相良に一連の流れを聞いてもらおうというものである。
彼女たちには通称『S』として接していた相良なら、きっと親身になってくれるだろうと予想していた。
相良の戻りが分かり次第、作業室に常駐している社員がメールをくれるという。礼を言った一樹が部屋を出ようとすると、男性社員に呼び止められる。
「君、相良さんが不在になるからバグの処理、よろしく頼むよ」
「へ?」
「君が運営NPCの操作で忙しくしていたから、これまでほとんどのバグの処理を相良さんがやっていたんだ。イベントも近いし、かなり忙しくなると思うけど大丈夫?」
「……マジすか」
すっかり運営NPCに入ることを優先し、アイリとミユにかまけていた一樹。しかし彼は、日々発生するバグを消去する作業もそれなりにこなしていた。
「それなりにこなしていた、はずなんだけどなぁ」
黒スーツの襟を直しつつ、森の中に立つ一樹は消去したバグのデータを転送すると小さく息を吐く。
ゲーム内での運営モードになった一樹は黒スーツにサイバーサングラスで、目元だけじゃなく顔半分ほど隠れている状態だ。これはプレイヤーからリアルを特定されないようにしているものなのだが、彼に関してはあまり意味のないものかもしれない。
それは……。
「あ! 運営さんお疲れーっす!」
「はいはい、どーも」
「キャー!! 運営さんと会えたー!! スクショいいですか!?」
「はいはい、どーぞ」
「あの、これ、疲れたら使ってくだしあっ」
口元を引きつらせ、一樹は手渡された回復薬をとりあえず飲む。
「うん。不味い」
「しょ、精進しまするぅっ」
駆け出しの薬師らしき女性プレイヤーが、顔を真っ赤にして走り去っていく。
バグは至る所に出ている。その度に運営がフォローに入るのだが、外からより中に入って直接消去した方が早いものもある。『エターナル・ワールド』には多くの黒服(運営)が作業しているはずなのだが、なぜか一樹はやたらと目立ってしまったのだ。
「どこかの掲示板サイトに『運営スレ』が立ち上がって、話題になったとか……イメージを悪くしないよう、適度に応対しないといけないとか……」
これじゃ運営NPCと変わらないじゃないかと、一樹はため息を吐く。黒服モードの時はこうやって「やる気ないダウナーな男」としてやっていくことにしたため、実際疲れているのをそのままさらけ出すことにしていた。
「それにしてもこの量のバグを直しつつ、相良さんは自分の仕事もやってたってことか?」
妹アイリの友人であるミユの話が本当かどうか一樹には分からない。それでも彼女が嘘を言ったところで何も得しないことは分かっているし、何よりも彼女を信じたいという気持ちが強くあった。
相良が戻るまでミユの話は置いておくしかない。本人もそこは理解していて「今はイベントを頑張ります」と言っていたから大丈夫だろうが、あまりのんびりしていられないだろうと一樹は考えている。
「なーんか変なんだよな。バグ、多すぎないか?」
ちなみに、この世界のNPCは黒服を見ても特に驚かない。サイバーサングラスなど、世界観が合わないものを見ても「変わった格好しているね」くらいの反応である。
人の多い場所を歩いていても目立つものの騒がれることはないため、王都に来ている一樹はバグの処理に集中していた。そこにふわりと良い香りが漂ってくる。
「ん? これは、エルフの国の花……」
香りのする方向に視線を向けると、たくさんの花を載せた荷車が道を通っている。そこにいるのは数人のエルフだ。中でも際立って良い体格をしている一人に目が引き寄せられる。
「ルト……?」
エルフの森周辺には『オリジン・エルフ』である一樹が守りの結界が発動しているとはいえ、エルフの兵士長であるルトが聖王国の王都に来ているのはおかしい。
荷車にあるたくさんの花も、よく見れば薬にもなる高価なものばかりだ。
少し考えた一樹は路地裏に身を隠すと、再ログインをしてエルフたちに話しかけることにした。
少し前のことである。
「神官長のプラノがいない?」
兵士たちの訓練を終えたルトは、幼馴染のプラノがどこにいるのかを彼の部下から問われていた。
「王都のギルドを見学されて、戻ってはきたのです。しかし翌日になって寝所にいらっしゃらず、オリジン様もお目覚めにならないため行方が分からないのです」
「おい、まさかオリジン様を無理に起こしたんじゃないだろうな?」
「そのようなこと、絶対にできませんよ!!」
「だよな。だからここに問い合わせているんだろうし……」
ルトは美しく整った顔を曇らせ、ため息を吐くと目の前の神官に指示をする。
「聖王国の王家に納めている花は、神官たちが温室で育てていると聞いている。次はいつ届けるのか分かるか?」
「二日後です」
「ならば、その時にこちらが一緒に動こう。エルフ兵の護衛はいつもやっていることだし、それに一人増えても変わらないだろう」
「プラノ様は王都に?」
「分からんが、何か知っている者がいるかもしれない。もうすでに行なっているとは思うが、神官たちも風に問い合わせておけよ」
「引き続き、風に捜索は願っておきます。オリジン様の目覚めに間に合うよう、プラノ様が戻られれば良いのですが……」
ルトは何となく、オリジンが目覚めればプラノは絶対に戻るだろうという気はしている。しかし、不安がる神官たちを安心させるために行動するのも必要だろうと、彼は王都へと向かうことにしたのだった。
エルフの国でのやり取りを思い出しながら、ルトは辺りを見回す。
花の良い香りが漂う中、不意に風の精霊である小さな緑の光が目の端で点滅した。
「ちょっといいか?」
「……なんだ?」
声をかけてきた男に対し、ルトは警戒心を隠すことなく冷たい視線を向ける。
しかしその警戒はすぐに崩されてしまう。いや、警戒というものが必要な存在とは思えない、不思議なくらい安心感を与えられて戸惑っていた。
「俺は、王都の中心にあるハンターギルドのギルドマスターだ。何か困ったことがあるなら、何でも言ってくれ」
少し長めの赤毛を掻き上げた男性は、ルトに片目を向けると男臭く笑ってみせた。
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