62、変わりゆく世界


 ログアウトした一樹は、機体に寝かせていた体をゆっくりと起こす。

 未だ慣れない液体は自然と下に落ち、そのまま新しい液体に入れ替えられるようになっている。イメージするのは二十四時間風呂だ。


「やっぱり、シャワーは浴びておこう」


 薬師のレベルは、出会うプレイヤーに違和感を抱かせない程度には上げてある。しばらくは魔獣を狩ったりしなくても大丈夫だろう。とはいえ、攻撃は主に『柴犬系精霊獣』のハリズリに任せることは多いのだが。

 以前よりもさらに鍛えられた感じのする肉体に、強めの水圧で出るシャワーの湯が心地いい。目の前の鏡を見ながら一樹はため息を吐く。ゲームの中でかなり動いているため、機体に連動している肉体を運動させる機能がしっかり働いているのが嫌でも分かる。


「まだ細身のマッチョだと……思いたい」


 父親のような「たわわ」になってたまるかと、一樹は手早く体を洗うとシャワールームから出る。ふと服の上に置いてあるスマホに目をやると、画面が光っているのに気づく。


「愛梨からメール? んー?」


 妹からのメールに一樹は首を傾げる。その内容は学校の部活で大会に出て、優勝したというものだった。全国大会に出ろと言われたそうだが断ったらしい。

 一樹が首を傾げたのは、全国大会に出ないという部分ではない。


「陸上の大会に出た? そもそも愛梨は部活に入ってなかったよな?」







 待ち合わせのファストフードに入った一樹は、いつになくソワソワとしている妹に向かって笑顔で声をかける。


「愛梨、待たせて悪いな」


「お兄ちゃん! 遅い!」


 カウンターで飲み物だけ注文すると、早く早くと急かす愛梨の隣に座る。怒っているように見えるが、肩の力が抜けているところから一樹が来て安心したらしい。

 美少女の愛梨は周りの目をものともせず、一樹に腕を絡ませると肩に頭を乗せてきた。


「遅い」


「仕事、報告してから来たから……ごめんな」


「許す」


 元より怒っているわけではない愛梨は、一樹にピタリとくっついたままだ。周りの視線が痛いと心の中でため息を吐き、一樹は小声で問う。


「それで、大丈夫なのか?」


「もともと運動は得意だから、たまたま調子が良かったってことになってる。その後の勧誘がすごかったけど勉強するからって断った」


「勉強……してるのか?」


「してるよ。授業はちゃんと出てるし、宿題もしてる」


「最低限しかやってないじゃないか……」


「えへへ」


 なぜか照れたように笑う愛梨を小突くと、一樹は首を傾げる。


「それにしても、運動が得意なら愛梨が陸上大会で好成績出してもおかしくないんじゃないか?」


「違うよお兄ちゃん。そういうのじゃなくて……私、その大会でまったく本気を出してなかったんだよ」


「は? いやいやいくらなんでも……」


「だからおかしいって思ったんじゃん。自分の全力で走るタイムを軽く走っただけで記録更新しちゃったんだよ?」


 それは確かにおかしい。しかし、今まで愛梨にこのようなことは無かったはずだ。ここ最近なったといえば、原因で思いつくのは……。


「それ、やっぱり『エターナル・ワールド』が関係してるのか?」


「……そうだと、思う。なんか普段の思考とか感情とか、変な時があるの。あの時も」


「あの時?」


「お兄ちゃんが家に帰って来た時、知り合いの人たちに絡まれたじゃない? あの時も私、すごく攻撃的だったっていうか……普段ならあそこまでならないのに」


「確かにそうだったな。なんでそんなに怒るのか、俺には分からなかった」


 あの時のことを思い出してみれば、確かに愛梨は普段以上のブラコンっぷりを発揮していた気がすると一樹は頷く。そして自分は……と、あの時の感情を思い返してみる。

 大学時代の知り合いが自分をからかっていた、それだけの話だ。バイトだなんだと馬鹿にしていた感じもある。それに対して怒りを感じるというよりも……。


「あれ?」


「どうしたの? お兄ちゃん」


 彼らに怒りを感じていなかったと一樹は気づく。以前の自分なら馬鹿にするなという感情が出ていたはずなのに、あの時の一樹は心は凪いだ状態だった。思い返せば次々とおかしいことに気づいていく。


「何でだ? あの時の俺は、もっと感情を出してもおかしくないはずなのに」


「お兄ちゃん、社員になったから余裕が出たのかなって思ったけど、そうじゃないの?」


「いや、なんていうかさ、俺が動いたら……」


 大変なことになると言いかけて、一樹は口を閉じる。

 自分が動くと大変なことになるなど、エルフの神である『オリジン・エルフ』じゃあるまいし、一体何を考えているのだろうと一樹は深呼吸をする。


「相良さんに相談してみるよ。あと、愛梨と一緒に組んでる美優ちゃんは大丈夫なのか?」


「私みたいに変なことはないみたいだけど、あの子すごく綺麗になったんだよね」


「綺麗に? 元から可愛いんじゃないのか?」


「可愛いけど……てゆか、お兄ちゃん美優を可愛いって思ってるんだ」


「そ、それは今は置いておけよ。とにかく、それくらいなんだな? なら、おかしなことにはなってないか」


「あの子じゃなくて、周りがちょっと騒がしいくらいかな。綺麗になったから、男子たちがうるさくて」


 ゲームの中のミユは可愛い。ある程度の補正が入っているせいもあるだろうが、元の顔が可愛らしい造りになっているからだろう。リアルでも見てみたいなと、一樹はぼんやり考えていると不意に頬を思いきり抓られる。


「痛って! 痛いよ愛梨!」


「お兄ちゃんがやらしい顔してるからでしょ。まぁ、美優は可愛くて可愛くて可愛いけど、リアルで会ったらお兄ちゃんはメロメロになっちゃうくらい可愛いけど」


「へぇ、会ってみたいけど身バレするだろうからなぁ」


「じゃあ、今から会いに行こうか」


「は?」


「今日の美優は、進路相談で学校に残ってるんだよね。まだ間に合うから行こう」


「へ? おい、ちょっと」


 キラキラと輝く笑顔の可愛い妹の愛梨。細く綺麗な手に似合わない握力でガシッと力強く腕を掴まれ、そのまま一樹は学校まで強制連行されるのだった。

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