63、黒歴史と度重なる危機



 一樹は恥ずかしかった。可愛がっているはずの妹から、ひたすら辱めを受けていた。

 愛梨の通う高校は、一樹の母校でもある。妹の同級生だけではなく、そこには彼の高校時代お世話になっていたであろう教師たちもいるのだ。


「久しぶりじゃない森野君。すっかり男前になっちゃって……うふふ、今度来る時は事前に連絡ちょうだい」


「おう森野! お前の百人斬りの記録はそのままだぞ! わははっ!」


「あ、あれが伝説の森野の兄貴かよ……すげぇ……」


 恥ずかしさのあまり顔を隠そうとするが、手を引く愛梨がそれを許さない。そして美少女である彼女のキラキラ笑顔が、なぜか樹にはものすごく怖く見える。不思議である。


「不思議でも何でもないよ。百人斬りは聞いたことあるけど、さっきの養護の先生は何? 投げキッスまでされてたけど何なの?」


「おい、言っとくが百人とかないからな? 告白を断ってただけで、何かしたわけじゃないからな?」


「それは知ってから。それより養護の先生のは何だって聞いてるんだけど?」


「いやぁ、それは、あはは」


「……最低」


「本当に何にもないんだって!」


 高校時代の一樹はモテていた。ただ『学校の中で』というのが付くため、今となっては大してモテていたわけではないと彼自身思っている。しかし、モテていたのは事実である。

 そして養護教諭とは何もない……はずである。言い寄られて押し倒されただけで、何もなかったのだ。


「もう、こんなんじゃ美優に紹介できないじゃない」


「え、おいまさか彼女知ってるのか? 百人とか……」


「別のお兄ちゃんの話だって言ってる」


「別の……」


 一樹と愛梨は二人兄妹である。別の兄なぞはいないのである。


「うう、なぜ俺は中学じゃなくて高校で黒歴史を作ってしまったんだ……」


 一樹はがっくりと肩を落としたまま、愛梨に美優のいる進路指導室へと案内されるのだった。








「失礼しました」


 進路指導室から出ると一礼してドアを閉めた美優は、いつになく騒がしい校内を歩く。荷物が置いてある教室に向かう足取りは重い。


「やっぱり、大学に行かないとダメなのかな」


 それなりの進学校であるせいか、ずっと大学への進学を勧められている。しかし、美優にはやるべきことがある。


「お父さんもお母さんも、心配しなくていいって言ってるけど……私だけ何もしないでいるなんて嫌だ」


 美優は親からゲームを禁止されているが、孫に甘い祖父母の家に預けられている今は『エターナル・ワールド』のプレイをし放題だ。今の状態が続くのであれば、大学に通っている時間さえも惜しい。本当は高校だって中退したいくらいだが、さすがにそれは祖父母も許さないだろう。


「どうしよう。やっぱり愛梨ちゃんと運営のSさんには話した方がいいのかな」


 美優は『エターナル・ワールド』で人探しをしていた。それは愛梨も知っている。しかし、その理由をあまり人に知られたくないため、全部彼女一人でやるつもりだった。


「すぐ見つかると思ったのに、ゲームの中って広い……しかもイベントがある度に、どんどん広がっているんだよね」


 重いため息を吐いた美優は、教室の中に入ると一人の男子生徒がいるのに気づく。


「み、宮田さん、ちょっといいかな」


「うん。いいけど……何か用事?」


 クラスメイトではあるが、彼とはいつも挨拶程度しかしていない。接点がないため話したことはほとんどないはずだ。どうやら美優を待っていたような様子の彼の顔は赤い。

 話の内容は大体予想がつくものだ。彼はきっと美優に「告白」しようとしているのだろう。

 愛理から何度も「綺麗になった」と言われても理解できなかったが、それから学校内や通学途中で告白してくる男子が増え、いやでも理解したのだ。

 そして今、またしても告白してくる男子がいる。美優は内心ため息を吐いたが、表情には出さずに彼の言葉を待つ。


「あ、あ、あの、実は俺、宮田さんのこと……す、すすす好きで、つつつつ付き合ってください!!」


「……ごめんなさい」


 答えは決まっている。彼女は今、リアルで恋愛している場合ではないのだから。

 しかし美優の返事に納得いかなかったのか、男子生徒は尚も言葉を連ねる。


「つ、付き合えないって、宮田さん彼氏いるの?」


「いないです。でも、私……」


「な、なら別に、付き合ってくれてもいいだろ?」


 私は忙しいと言おうとしたのを、男子生徒に遮られて美優は口をつぐむ。

 なぜか今日はやけに絡まれることに、美優はうんざりとした表情になる。ただでさえ今日は進路指導に時間をとられて早く帰れないのに、これでまたゲームにログインする時間が減ってしまうじゃないか……と。

 いつもなら愛梨が盾になっていてくれるのだが、今はいない。それにいつも頼ってばかりじゃ申し訳ないと、美優はスマホをポケットに入れたままにする。


「付き合えないです」


「なんでだよ。好きなやつとかいるの?」


「好きな……っ!?」


 思い出すのは、星のように煌めく長い髪に白く滑らかな肌、鍛えているであろう逞しい体を持つ彼の国の……。


「いるのかよ。好きなやつ。誰だよ」


「え? そんなの言えないよ!」


 彼の国にいる男性を思い浮かべた美優は、耳まで真っ赤に染まってしまう。そんな彼女の様子に感情を高ぶらせる男子生徒が怒りの声をあげる。


「ふざけんな! 恋人じゃないなら俺と付き合え!」


 その声に驚き立ちすくむ美優に、怒鳴りながら向かって来る彼の姿が不意に消える。

 いや、消えたのではない。

 しっかりと自分を抱きしめる腕のあたたかさと安心する匂い。その感覚にふにゃりと笑顔になった美優の頭上で、なぜか「うぅっ」という音が聞こえたが気のせいだろう。知らないうちに目に溜まっていた涙がポロリと落ちたことで、怖かったのだと美優が気づき震えると、よりいっそう彼女を抱きしめる力が強くなる。


「お兄ちゃん、それ以上やると美優が筋肉に溺れちゃう」


「だ、誰だこの男! 部外者が入っていいのかよ!」


「うるさいな。誰だか知らないけど、私の兄なんだからいいのよ」


「クラスメイトだろ!?」


「知らない。あっち行って」


 愛梨が冷たくあしらってクラスメイトを泣かせている間に、美優はしっかりと筋肉に溺れている。その救出は数分後になるが、赤くなった顔が元に戻るのに、かなりの時間が費やされるのだった。

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