125、できる上司な相良と、久々の外界(森野一樹)


 まとめていた報告書をひととおり見直し、相良は一度パソコンの画面から目を離す。

 置いてある目薬の残量が心もとないことに、彼女は三日ほど前から気づいていた。しかし彼女は日々忙しくしており、薬局に行く時間も体力もないのが現状だ。

 なんとか残り数滴を己の目に差し込むことに成功させてひと息ついていると、部屋のドアが開く。


「相良さん、ちょっといいですか?」


「はいはーい。おつかれちゃーん」


 爽やかなテノールでかけられた声に、相良はへらりとした笑顔を向ける。

 声をかけてきた彼……森野一樹は、彼女が抱える部下の中でも『優秀』で『特殊』な人材だ。通常一人一役の業務とされている『運営NPC』。それなのに彼は類稀なる才能を発揮し、現在一人三役という偉業を成し遂げているのだ。


 頑張りすぎているであろう彼に、上司である自分が疲れた顔を見せるわけにはいかないと、相良はへらへら笑いながらも真剣に考えていた。


「あれ? 相良さん目薬まだ買ってないんですか?」


「ちょっと暇がなくてねー」


 そういえば三日前、森野君と目薬の話をしていたんだっけと相良は思い出す。

 こんな小さなことをおぼえているなんてマメな男だと苦笑していると、彼はその整った顔に笑みを浮かべた。


「俺、休憩がてら外に出るんで買ってきますよ」


「いいの? おこずかいあげようか?」


「目薬の代金はお願いしますね」


「ちっ、プラノきゅんの生写真もらおうと思ったのに……」


「生写真ってなんです?」


「……なんでもない」


 首を傾げながら部屋を出ていく彼の背中を見送った相良は、がっくりと肩を落としつつ再びパソコンの画面と向き合う。


 とにかく仕事が山積みとなっている彼女には、傷心?に浸る時間などない。

 ここまで忙しい原因はハッキリしている。


「なーんで、イベントの開始が早まっちゃったかなぁー」


 いつもは数人いる作業部屋に相良一人しかいない理由は、イベント開始時間が予定より大幅に早まったことの事実確認をしているからだ。

 そして、予定以上に多くの魔獣が出現することになった『エターナル・ワールド』でバク処理をするため、急きょゲームマシンを使用しているというのもある。


「さすがに色々ありすぎるよね。前から依頼している『黒』の現象も上から返事がこないし……」


 カショカショとキーボードを叩き、すばやく社員アカウントから在席しているかの確認をした相良は、いつも着ている白衣を脱いで黒のスーツジャケットを羽織る。


「報告、連絡……そして相談!!」


 勢いよく立ち上がった彼女は、ハイヒールをカツカツと高らかに鳴らし部屋を出ていった。







 お疲れな上司、相良が愛用している目薬を無事に購入した一樹は、久しぶりの外を満喫することにする。

 イベント開始から数時間ほど経過した今、魔獣を殲滅するためにプレイヤーたちが続々と集まってきているはずだ。スタート早々に王都が壊滅……みたいなことにはならなくて本当に良かったと、一樹は深々とため息を吐いた。


「飯でも食うか……」


 会社のラウンジで出る食事は美味しい。しかし、一応まだ若者の部類に入る一樹にとってジャンクフードとは、時々無性に食べたいと思ってしまう食事のひとつなのだ。


 ファストフード店に入った一樹は、カウンターの前にできた行列の最後に並ぶ。

 いつもなら長い時間かけて悩むメニューも、食べたいものを適当に注文して金を払う。


 恐ろしいことに最近の一樹は、金額でメニューを決めていない。


 社宅として用意されているホテルの一室に引っ越してから、家賃や光熱費がほとんどかからなくなった。そして、仕事が忙しく遊ぶ暇もない一樹が出来ることといえば……「貯金」しかないのである。


 寂しい現実から目をそらすべくポテトではなくサラダに変更していると、後ろから声をかけられる。


「そこの人、もしかしてオリジンの兄ちゃんか?」


「へ?」


 振り向いた一樹は、声をかけてきた男の目線がさらに少し上であることに驚く。

 黒縁メガネに長めの前髪を搔きあげた彼は、ひょろりとした体に細身のスーツがよく似合っていた。そしてイントネーションから関西出身かと思われるが、なぜか胡散臭さを感じる。


「あかん。これ、内緒のやつやった」


 ぴしゃりと額を叩くその動作がさらに、彼の胡散臭さに拍車をかけていく。

 半眼になる一樹に、メガネの男は申し訳なさそうに頭を下げる。


「悪いなぁ兄ちゃん。あ、ポッテェイトゥ食うか? ポッテェイトゥ」


「いりません」


「冷たいなぁー」


 なぜか揚げた芋を発音よく言う男に一樹は冷たく言い放つと、手に持っているトレイを近くの店員に渡す。


「すみません、これテイクアウトします」


「ちょい、ちょおーい! 兄ちゃん待って! 俺、相良っちの同僚やて!」


「……相良さんの?」


「そうそう。部署はちゃうねんけど。ほら、これ『CLAUS』の名刺や」


「……怪しいですね」


「どこがやっ!」


「微妙な関西弁、細身のスーツ、そしてメガネ」


「メガネ関係ないやんっ!」


「おー、キレのいいツッコミですねー」


「ありがとうっ!」


「では、俺は会社戻りますねー」


「気ぃつけやー」


 店員から包んでもらったハンバーガーの入った紙袋を手に持つと、一樹はさっそうと店を出て行く。

 笑顔で一樹を見送ったメガネの男は、ドアが閉まった後に「ちょ、俺、兄ちゃんに用があったんやってぇー!」と悲痛な声をあげた。

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