104、腹ペコな一樹と謎のスキルを得たアイリ



 ざばりと蛍光ピンクの液体を飛び散らせるように起き上がった一樹は、サイドテーブルに置いてある社員証を引っ掴むと寝巻き用のスエット姿で部屋を飛び出す。

 いつもならもう少しマシな服を着て出歩くのだが、今の一樹にそこまで考える余裕はない。


「やばい……腹減って……倒れそう……」


 フラフラと向かったのは、会社に隣接しているホテルの最上階だ。

 ラウンジルームにはお洒落なバーカウンターもあり、窓際にはしっとりと夜景を楽しむ男女の姿もある。


「お客様」


「……あ、すみません」


 一樹の歩みをやんわりと制止するホテルのバーテンダーは、ふらつく彼をそっと支える。


「個室にご案内しますよ。ローストビーフならすぐにお出しでき」


「お願いします!!」


 思わず声が大きくなった一樹に男性は微笑む。

 個室に案内された一樹は大きめのソファにゆったりと座ると、間を置かずローストビーフとマッシュポテト、豆のサラダにスープとガーリックライスがテーブルに置かれていく。


「あれ? 頼んでないのに……」


「時折お客様のような方がいらっしゃるので、スペシャルメニューを用意しております。落ち着かれましたらお酒もご用意しますよ」


「いえ、少し休んだらまた仕事なので……」


「かしこまりました。それではノンアルコールのカクテルをご用意しましょう」


 そう言って素早く部屋から出て行く男性バーテンダーを見送ると、すぐさま目の前にある食事に手をつける。

 ローストビーフの皿の横に温泉卵の小鉢が置いてあるのが嬉しい。

 ガーリックライスとローストビーフ、そこに卵のトロリとした黄身を通して口の中にかきこむ。


「……至福」


 こんなに美味しいものがあるのか。空腹は最高のスパイスと言うが、それにしてもここの食事は美味いと一樹は涙目で食べ続ける。

 仕事がなければワインの一つでも頼みたかったとしみじみ考えていると「失礼します」という声と共に、先ほどのバーテンダーが入ってくる。


「すっきりとした柑橘系のカクテルをご用意しました。炭酸も入れてますよ」


「ありがとうございます。こんな格好で申し訳ない。すごく助かりました」


 社割はきくかなと考えていると、男はくすりと笑う。


「スペシャルメニューのお代はいただいていますので、無料でご利用いただけますよ」


「え、そうなんですか?」


「はい。ですが、当店がお出しする判断をするので、ご注文された場合は有料になっております」


「え? 注文したら有料?」


「はい。そうでございます」


 バーテンダーの笑顔に釣られて一樹も笑顔になるが、首を傾げてしまう。

 それでも柚子が香るカクテルは美味しいし、ほんわりと癒された一樹は深く考えることをやめた。


「はぁ、このカクテル美味しいですね。今度はアルコール入りで飲みたいです」


「ぜひとも」


「さて、腹八分目になったことだし……」


 そう言って席を立とうとした一樹だが、バーテンダーの「本日、良い雲丹が入っておりまして……」という言葉にあっさりと負け、雲丹がたっぷり入ったクリームパスタを追加注文してしまうのだった。








 一樹が己の食欲に負けている頃、精霊魔法の特訓をしているミユに負けないようパーティメンバーであるアイリもレベル上げに勤しんでいた。

 王都周辺はプレイヤーが多いため、エルフの森で多数の魔獣相手に戦うアイリは、流れるような剣筋で敵を倒していく。


「うーん……やっぱり武器のせいじゃなくて、私なのかな?」


 最初は古い剣を使っているせいかと思っていたが、購入したばかりの剣を装備しても同じ現象が起こったため、アイリは武器の力ではないと確信する。

 なぜか最近、アイリが剣を振るうと刀身から火花が出るようになった。たまに出るクリティカルヒット(威力の高い攻撃)では魔獣に火属性の攻撃が追加され、驚いたアイリは武器を放り投げたりもした。


「魔法……じゃなさそうだよね。新しいスキルかな?」


 当初は魔法剣かと思ったアイリは剣から火が出た時に自分のステータスを確認し、MP(魔法を使う力の数値)が減っていないことに気づいた。

 治癒師のミユは治癒魔法を使うため基本ステータスのMPは高い。アイリはメインジョブが剣士であるため、HP(体力の数値)は高くてもMPは低いのだ。


「魔法じゃなきゃ、この火花はなんなんだろ? 摩擦? 空気の中に何かあるとか?」


 ここはゲームの世界だ。しかし、妙なところでリアルに近い部分がある。

 起こる現象にも必ず理由があるだろうし、その理由が揃えば起こるようプログラミングされているはずだとアイリは考えていた。

 それにしてもゲーム世界の空気というのは、どのようにプログラムしていくのだろうか。

 五感は脳に直接「信号」を送れば、擬似的な感覚を発生させることができるようだが……。


「リアルでの身体能力が高くなったのも、脳に直接働きかけられた結果だったり? なーんて、ねっ!」


 再び現れた魔獣に対し、ぶつぶつ呟きながらアイリは流れるように剣を振るう。すると魔獣の傷口から炎が噴き出したため、慌てて近くを流れる川に向かって蹴り飛ばした。


「うう、森で戦うと火事になりそうだよ……」


 リアル重視の世界であれば自然災害などもありそうだ。

 とりあえずエルフの森を抜けて神殿に突撃し、神官プラノに癒されようとアイリは心に決める。


「あ、そうそう、ミユの特訓している様子も見なきゃだよね」


 取ってつけたように呟いた彼女は、襲いかかってくる魔獣を一匹ずつ丁寧に踏みつけながら森の奥へと進むのだった。


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