83、海の緊急イベント(正社員・森野一樹)

 食堂で珍しく豚しゃぶサラダ定食を選んだ一樹は、トレーを持っていつもの窓際へ向かうと先客がいるのに気づく。

 白衣を脱いだ彼女は、タイトスカートから伸びた脚を組んで一樹に向かって手を振る。


「相良さん、珍しいですね。食堂にいるなんて」


「今日は森野君を待っていたのよ。珍しいわね、トンカツでも生姜焼きでもないなんて……豚肉は変わらないけど」


 一樹の持っているトレーの上を素早くチェックした相良は、茶菓子をつまみながら前に座るようにすすめる。


「お茶、いります?」


「ありがとう。もらう」


 茶菓子が落雁らくがんであるにも関わらず、なぜ茶を飲まずにいるのかと聞けば一言「面倒だった」と返されて一樹は呆れ顔だ。

 柔らかく茹でた豚肉とゴマダレの相性の良さに頬を緩ませる一樹は、ひたすら自分を見ている相良が気になり食べるのを止める。


「なんですか相良さん」


「いや、食べ終わってから話そうと思って」


「視線がうるさいので今話してください」


「えー、もー、しょーがないなー」


 ニヤニヤしながら話そうとする相良を見て、早く話したかっただけじゃないかと一樹は半眼になりながらも姿勢を正す。


「NPCの『オリジン』がエルフの国を少しの間離れるって話があったじゃない?」


「はい。火山のある土地に行きたくて……許可はもらえたんですよね?」


「それは大丈夫よ。んで、そのことを聞いた上が短い期間の限定イベントやろうってノリノリになっちゃって」


「はい?」


 どうも話の流れがつかめない。なぜオリジンで移動することがイベントになるのだろうかと一樹は困惑する。


「火山って、王都から南にある山のことでしょ? そこにさ、海があるじゃない?」


「ありますね。海」


「そしたらさ、泳ぐじゃない? 海なら」


「泳ぎますね。海」


 相良の言葉に頷きながら海、海と繰り返していた一樹は、ハッと何かに気づいたように相良を睨む。


「嫌ですよ。俺、人前で肌を見せるの苦手なんですから」


「えー! いいじゃない! せっかくの筋肉なんだから見せてナンボでしょ!」


「なんで筋肉があるからって見せないとダメなんですか。意味が分かりません」


「世のマッチョ達は見せたがりが多いのに……解せぬ」


「それは筋肉を愛している人たちのことです。自分は違いますからね」


 つけようと思って筋肉がついたわけではなく、主に遺伝子により筋肉質な一樹には「見せたい」という気持ちが分からない。それに彼らは努力で得たものを披露するという心意気でやっているのだから、なおさら一樹には当てはまらないのだろう。


「そうは言っても『エタワル』で人気NPCは全員参加なんだよね。それにアバターなんだからいいじゃない。リアルじゃないし」


「そのアバターが、リアルそっくりの体形で作られているから嫌なんですよ」


「まぁまぁ、かたいこと言わないでよ。ほら、現在妹ちゃんたちがどこにいるのか調べてみなよ」


「何ですかそれ」


 相良から渡されたタブレットには、よく運営の権限で見ている画面が出ている。そこに自分の妹である愛梨の現在地が王都から離れた所にいるのが分かった。


「愛梨と美優さんもいるのか……ん?」


 二人の行き先はすぐに分かった。港もあるその場所を見ながら、一樹は脳を光速で稼働させる。


「やりましょう」


「そうこないとね!」


「ただし、フンドシは勘弁してください」


 強く要望した一樹は、相良から「何言ってるの、フンドシは下着でしょ。海では水着じゃないとダメよ?」と真顔で返され無言になるのだった。







 何度か魔獣と戦闘になるも、危なげなく倒しながら海へと向かうミユとアイリ。

 しばらく休憩しようと街道を外れた二人は、草地にキャンプ道具を広げる。


「魔獣除けの結界も置いておくよー」


「ミユ、それってどこで手に入れたの?」


「エルフの国でプラノさんがくれたよ」


「……さすがミユね」


 エルフの神であるオリジンの伴侶……と、エルフたちから大事にされているミユである。身を守るアイテムを多く持たされているところに、彼らの過保護っぷりがうかがえる。

 さらにミユの荷物の中にはエルフ神官長であるプラノお手製のスコーンまであり、アイリは彼の女子力の高さに愕然としていた。


「アイリ元気出して。ほら、あの人はエルフだし」


「いやいや。エルフだからっていうのは慰めにならないから」


「作り方を教えてもらったら、作れるようになったよ」


 少し照れたように微笑むミユに、アイリは嫌な予感がよぎる。


「まさかそれ、オリジン様に作って食べてもらったりしたとかじゃ……」


「え? なんで分かったの? すごく喜んでもらえたんだよ」


 プラノを上回るミユの女子力の高さに、とうとうアイリは地面に膝をつく。

 ちゃんとレジャーシートの敷かれた上でやるところがまだ余裕があるようだ。


「プラノきゅんの女子力の高さを利用した、なんというあざとい攻撃をぶちかますの……ミユ、怖い子!!」


「あざといって何!? もう、スコーンあげないよ!!」


「うそうそ、ごめんって。なんだかんだ言いながらちゃんと恋愛イベントこなしてるから、ついからかいたくなっちゃって……」


 魔道具のポットでお湯を沸かすと、エルフの国でもらったハーブティーを投入する。ミユとアイリはそれぞれのマグカップにそそいでまったりとティータイムを楽しむ。

 すると二人の目の前に、薄いガラスのようなパネルが現れる。プレイヤーなら見えるそれは、ゲームシステムのウィンドウ画面だ。

 そこには『緊急イベントのお知らせ』とある。


「おっ! 私たちラッキーじゃない? 海で水着フェスだって!」


「期間限定で水ぎの種類も増えるみたい。あまり派手じゃないのがいいなぁ」


「ゲストには、あの人気NPCが来る……?」


「このシルエットって……」


 ミユとアイリが顔を見合わせたその時、二人に影がさしかかる。


「はい。少し南に用がありまして」


 長い銀髪をゆるりとサイドに流し、白い貫頭衣に銀糸の刺繍が入った緑のマントを羽織った美丈夫が、ふわりとミユに向かって微笑んだ。


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