第4話 私の恋落ち

桜が舞い散る頃だったあの痴漢事件から、緑の葉の茂る季節へと車窓から眺める景色も変わった。


制服は金ボタンのジャケットを脱ぎ、白のセーラー服になった。

今日はカーディガンを羽織らなくてもいいほど暖かい。


お母さんご自慢の薔薇の絡みつくアーチの下をくぐり、門扉を開け二段の階段を下りた。


「スズ!スマホ忘れてるよ!」


麻衣ちゃんの声に呼び止めらた。

お母さんのスリッパをつっかけて出てきて、麻衣ちゃんは私のスマホをふりふり見せた。

「寝坊したから先に行って、だって」

「見たの?」

「見えたの」

ボタンを押すと画面にはラインのメッセージ。

「英介くんと一緒に行ってるの?」

「そんなわけじゃないけど

 最近時間が合うの」


五月の連休が終わり朝補習が始まると、電車の時間は1時間早くなり、偶然、サッカーの朝練に行く英介に会った。

それから英介は馬由が浜駅で待っていてくれるようになった。

一緒に行こうって約束をしていたわけじゃないけどなんとなくそうなった。


「乗る?下まで行くけど」

「うん!麻衣ちゃん今日早いね」

歩いて五分の馬由が浜駅まで麻衣ちゃんが車で送ってくれて

そうしたことによって

更に1本早い電車に間に合ってしまった。



たぶんこれが分かれ道



私はツマラナイ毎日に

スパイスを振りかけてしまったんだと思う。





いつもは乗らない電車は、いつも乗る電車と変わらず満員だった。

駅員さんは何度もつめて下さいとアナウンスを繰り返し、私は人と人の間に自分の体をはめ込んだ。

そしてすぐに掴まるものを探した。

躊躇している時間はない。


ドアが閉まり、電車はゆっくり動き出す。



待って…


まだ掴まってない!



この先ですぐ電車はカーブにさしかかるのに、つり革には届かないしポールも遠い!

壁際なんてとんでもない!


やばーーい!


景色もよく見えてないけど、徐々に徐々に体は一方に傾こうとする。

遠心力が私の体を投げだそうと。



あああああ!



これは防衛本能か何かだと思う。


遠心力に負ける寸前、反射的に目の前のものに掴まった。


間一髪助かった。




「痴漢はお前の方じゃないか」




冷ややかな視線と冷ややかな声。


とっさに掴まったのは、つり革でもポールでもなく




犯人だった。




「す…すみません!」


思わず手を離した。


「キャ…!」

でも揺れる電車。

「ったく…」

犯人は私の背中に手を回し



「痴漢扱いすんなよ」



耳元でそう言うと、私を壁と自分の間に追いやるように押し込んだ。


背中に壁ゲット

おまけに真横にポール


「二度と会いたくなかったのに」

「すみません…」

「いいえ」

こっちは見なかった。


目の前の犯人のネクタイは、よく見たらチェックの織り柄が可愛くて、あの日と同じカバンは私と犯人の足の間にあった。



暑いな


制服の胸元をつまんで風を送り込むようにパタパタ引っ張る。





目の前の犯人とチラリ目が合った。


「なんだよ」


電車が揺れるたび犯人の顔が苦痛に歪む。


満員電車で余裕ぶっこいて暑いってパタパタなんてありえない。

乗ってる間の20分はいつも、もみくちゃに潰されて息するのさえ難しい。


押し寄せるぎゅうぎゅう詰めの乗客を背負い、私の左側についた犯人の手は



守ってくれていた。



「なに?見んな」



満員電車のバリケードなんて


わかってる?





20分


あっという間に着いてしまった。


電車が到着した大きな駅で、詰め込まれた乗客の大半がはき出される。


身動きの自由が許された犯人は、緩めたのか締めたのか整えたのかわからないけど、ネクタイをキュッと動かして


「痴漢両成敗な

 二度とこの時間乗るなよ」


ニコリともせず、流れる人並みに混じって出て行った。



それを追いかけて私の足は走り出した。



お礼も言ってない

この前のことも謝りたかったのに。



犯人の背中は改札を出て、颯爽とオフィス街へ向かう。



「待って…!」


ドンッ!


「あ…!すみません!」

「ごめんなさい」

背中しか見てなかったから通りすがりのお姉さんにぶつかり

「待って、落としましたよ!」

定期券を落として足止めを食らう。


行っちゃう

待って


「ありがとうございました!すみませんでした!」

お礼を言うのと同時に足はまた駆け出す。


走って追いかけた犯人の背中は、オフィス街の大きなビルに入っていった。


息が切れ

額にじわっと汗が滲む。


見上げた高いビルは、張り巡らされた窓が鏡みたいに太陽を反射して、空にそびえているみたいだった。



走ったからじゃない


胸がドキドキと高鳴る。



あの電車に乗ったらまた会える?




恋は探すものじゃなかった。




探して見つけ出すものじゃない




勝手に落ちるものだった。




私は20分間で

どうしようもなく



恋に落とされてしまった。

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