ミックスジュースとお父さん
とは言え、会いに行く時間が取れなかった。
だからせめて
RRRRR RRRRR RRRRR
「出ない…」
何度かけてもスズは出ない。
やっぱ怒ってる。
だいぶ怒ってる。
俺のこと嫌いになってる。
声も聞きたくないレベル。
「…行ってきま~…す…」
「静香さん、自分幽霊が見えるみたいっす」
「私もよ」
「そろそろマリアちゃん引っ捕らえたらどうっすか?」
「いいんだけどさ
いつまでも助けてやっていいのかしら」
「しかし学びませんね、この先輩は」
「ホント呆れる」
「俺でもわかるのに
スズちゃんが今どんな気持ちか」
はぁ……
ため息しか出てこない。
いよいよ痛感した。
俺はスズなしで生きていけない。
3日で4キロ落ちた。
だってご飯食いたくないんだもん。
飯食わないのに腹を下す矛盾。
明日から札幌か…
飛行機から飛び降りたい気分だ。
↑迷惑この上ない
スズ…
あの日、なにがどうなってこうなったのか、もうなんだか記憶も曖昧だった。
時間が経つと、ただスズがいない恐怖だけが膨れあがった。
電話に出てくれないなら会いに行けばいいのに、忙しくてその時間は取れず、こんな仕事転職してやると会社に対して恨めしく思いながらも、仕事を放棄してまで行動に移せなかった。
そんな自分に苛立ち、なんともいえない自己嫌悪だった。
「では来月中には
本社から担当が伺うようにいたします」
「うん、よろしくね」
朝日商会の日野さんは、書類を重ねファイルに閉じた。
「朝霧くんなんか痩せたんじゃない?」
「え、そうですか?」
そりゃ3日で4キロ落ちればやつれる。
「ますますいい男に見えるけど」
「いやいや…」
「あ、そうだうちの受付の女の子どう?
独身だけど」
は?
「いえそんな、自分には」
「いいじゃん、食事でも行ってきなよ」
面倒くせーーー
でもこの人断るのもっと面倒くせーーー
「プリンセスホテルの食事券もらってさ
ちょっと待って、呼んでくる」
うそ、現実的。
マジかよ、だいぶ余計なお世話。
うげーーー
断ったら取引やめるとか言うんだろうな。
でも
『こーきも綺麗なお姉さんと遊んでいいよ』
「日野さんすみません!」
ドアを開けた日野さんが振り向く。
わくわくしたいい笑顔で。
心の中でため息が出た。
その好意に対する申し訳なさと、仕事を拗らせたくないちょっとした恐怖。
「あの…自分…彼女がいまして…」
「は?」
「結婚も考えてるので…あの…
申し訳ありません!
でもお気遣いありがとうございます!」
真顔で黙んな。
怖えだろ。
こんな風に取引先の偉い人に世話を焼かれることは何度かあった。
今までは仕事のうちだと思って適当に相手したけど、いくら仕事のうちでももうこれは出来ない。
したくない。
そっか
早くペアリング買っておけばよかった。
.
「朝霧!!何やってんだお前は!」
部長の怒号が8階フロアに木霊したのは、あれから数時間後の夕方だった。
「なんで今更朝日商会が流れるんだ!!」
「すみません…」
「なにをしでかした!
日野さんえらく怒ってたぞ!」
「申し訳ありませんでした」
言い訳はしない。
正当な理由があっても言い訳にしか聞こえない。
ま、正当かどうかもわかんねえけど。
食事くらい行って適当にあしらえって感じだろうな。
スズが怒ってなかったら食事くらい行っただろうか。
スズにナイショで接待だとか言って?
いや、出来ない。
「もういい!帰れ!」
「申し訳ありませんでした」
スズが大事なのか
仕事が大事なのか
なんかもうわかんねえ。
「帰るの?」
「そんなわけないだろ
YSKに書類持ってく約束あるから」
自分のデスクでノートパソコンをカバンにしまい、YSKに渡す書類を重ねて、デスクの隅の瓶からクリップを取った。
曲がってない綺麗な物を。
瓶を振って探したら
「……」
スズの袖口の金のボタンが底から出てきた。
上からどんどんクリップを放り込むから隠れてしまっていた。
『私のこと彼女にして!』
本当にいなくなるのか?
「静香…」
「代わりに行ってこようか?YSK
セクハラだからあそこの短足嫌いなんだけど~
私がちょっと相手してやれば
朝霧が行かなくても怒りゃしないでしょ」
「ごめん!頼む!」
「あとでフォローの電話しときなよ」
思わずオフィスを飛び出していた。
仕事もスズも大事なんだ。
スズがもう俺を嫌いでも
それでも
ちゃんと伝えたい。
「うおっ!朝霧さんどこ行くんすか!」
ビューーーン
「ちょ!朝霧どこ行く気だ!
本当に帰るヤツがあるか!バカか!」
「すぐ戻ります!」
エレベーターは待ってられなくて階段を駆け下り
「おい朝霧!会社で全力疾走するな!ドラマか!」
ロビーで花田さんの声が聞こえた気がした。
ゆっくり開く自動ドアがもどかしく、手がこじ開けようとする。
仁王立ちの警備員が驚きの二度見。
スズは今どこだ
学校?
いや春休みだ
駅の方に足が駆け出した時
「朝霧くん!」
急ぐ足がもどかしく呼び止められた。
声の主は
「え…青井本部長?!」
「あ、もしかして外回り?」
と言うと、青井本部長は俺を上から下見た。
「…じゃないみたいだな」
手ぶら
上着なし
袖口曲げたYシャツ
「えっと…」
瑞葉と何か約束あったっけ。
「急ぎ?…っぽいな」
「や…」
怒られるだろうか
「スズは…家ですか?」
「やっぱりなんかあった?」
困った顔がやれやれと小さく笑う。
「仕事に託けて様子探りに来た」
社に戻って応接を使うのもちょっと無理だった。
さっきあれだけ部長に怒られたし、取引先の人じゃなくもうなんかスズのお父さんだし。
だから
カランカラン
「お、いらっしゃい朝霧くん
久しぶりだったね」
「こんにちは」
「スズちゃんは?春休みでしょ?」
矢野さんはカウンターの奥から期待した顔を向ける。
俺の背後からスズが入ってくるのを。
その表情はそのままに、俺の背後の人にペコッと頭を下げた。
「スズのお父さんです」
「え…あぁそう
どうも、矢野です
娘さんの大ファンです」
「チケット買っていただいたり
課外活動、紹介していただいたり」
「そうですか
娘がお世話になり、ありがとうございます」
矢野さんはどうぞと奥の席を指し、そこに座るとお父さんは
「なんかレトロだね
スズこんなとこに出入りしてんの?」
キョロキョロと見渡した。
「たまにここで弾いてるんです」
チラッとピアノを見るとお父さんもそれを見て笑った。
「なんにしようかな~」
小さなメニューを見る。
「朝霧くんは?」
「あ、僕は…」
「いつもの?」
矢野さんが水を置く。
「はい」
「じゃあ私はミックスジュースで
懐かしいな、こういう店で飲むの」
で、運ばれてきたいつものとミックスジュース。
「それのルーツはここか」
スプーンが差し込まれた牛乳の丸いグラス。
スプーンに金色にまとう蜜をその中でくるくる回し、スズはいつもスプーンに少し残ったそれを舐める。
甘い!って、嬉しそうに笑う。
「スズがね」
ストローを差さずにお父さんはミックスジュースを一口飲んだ。
「ろくにご飯も食べず部屋にこもっててね」
「え……」
何…?
「まぁ、朝霧くんと喧嘩でもしたんだろうって
しばらく様子みとこうかと話してたんだけどね」
グラスを傾けるとカラカラと氷が回る。
「懐かしいなこの味」
足元が崩れるような感じだった。
俺はホント
バカなんじゃないか?
驚くほどバカだ。
「口出しちゃいけないと思ってもね
どうしても気になってしまって…
いやほら、あれだよ。
付き合っていくのも…別れるのもね
色々あると思うんだけどさ」
「すみません…僕が悪かったんです。
スズの気持ち考えてやれなかったから…」
「ごめんね、親としては聞きたいな。
スズはまだ高校生だし
君とは変な風にはなりたくないから」
この先の事や、青井本部長の親としての気持ちなんかを考えられなかった。
何かを取り繕おうとも、もう思わなかった。
スズを心配してるのはわかる。
青井本部長が家族を大事にしてるのは、スズと付き合いだして本当によくわかった。
だから
怒られてもいいから全部話した。
「え…」
「スミマセン!僕がちゃんとわかってやれなくて…」
「そんなこと?」
え?
「いや…
ダメになったのかもなとお母さんと話してたんだ
あんなにふさぎ込むから。
なんだ、なら良かった。
電話くらい出ればいいじゃないか。
スズは何を考えてるんだ…」
あれ?
呆れてる?
「ごめんね朝霧くん」
「え?」
「仕事大変なのに…
話したんだけどね。
朝霧くんの仕事は思うように休みは取れないから
仕事だと言ってるのを責めてはいけないって」
「いや…でも僕の言い方が悪かったし」
「ごめんね
やはりまだ理解できないのかもしれないな。
本当に申し訳ない」
「や、お父さんが謝らないで下さい!」
「懲りずに話してやってくれる?」
俺が悪かったんだ。
わかってたはずなのに。
スズが俺を拒否するときは
不安なんだ。
あんな風になってスズも不安だったんだ。
俺に嫌われたと思ってるんだよな。
「あ、お母さん?スズは?
うん……まだ拗ねてるのかまったく…」
お父さん電話で話し始めた。
「朝霧くん今日何時に帰れる?」
「え?えーー…22時くらいには」
「お母さん?
スズに朝霧くんちで待ってるように言って。
22時くらいに帰れるって。
え?全然、スズが話聞かないからだ。
別れてないし朝霧くんは別に怒ってもない」
何?
電話を切ると、お父さんはフルーツミックスを一口飲んだ。
「23時に迎えに行くから」
暗黒界に迷い込んでいた心の中がパッと晴れ渡った。
「ありがとうございます…!」
よかった
終わってなかった。
別にいい。
人の力を借りて、周りにどうにかしてもらわなきゃいけなくても。
格好良く愛を叫べなくていい。
スズがいてくれるならいいんだ。
臆病でかっこ悪くなってもいい。
「変なことはするなよ」
釘を刺して、お父さんはジュースを飲み干した。
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