第26話 花火の残像
「あーー美味い!
牛タン屋で飲んだビールの次に美味い!」
5秒ビールを流し込み、静香はジョッキを置いた。
「おい牛タンは?」
「ない」
「朝霧さん牛タンステーキ注文しましょう!」
俺は昨日、静香はついさっき出張から帰ってきた。
「相変わらずだね真田は~」
「ホント疲れた」
「岸田係長元気でした?」
「岸田係長?」
「誰よ、知らない」
「社食のメニュー担当の」
「知らんわ」
「あの人がTKGメニュー化してくれたんすよ!」
ここはいつもの駅前カワムラ。
ホームはやっぱ落ち着く。
「ところでさ」
「直で食うな、皿に取れ」
ふわふわ山芋焼きを、静香はとりわけ用のへらで行く。
「ササチー頼んでいいっすか?」
「聞いてんのあんたら」
「何を」
「下田、それ飲み込んでからお聞き
絶対吹き飛ばすから」
下田は唐揚げを口に入れたとこ。
「そんな重大発表なんすか?」
「おったまげるわよ」
「牛タンと舌でも絡めてきたのか」
「殺すよあんた」
もぐもぐもぐ
「はい!飲み込みました!」
「俺食ってるけど」
「朝霧はいい、アンタのことだから」
は?
「受付の優佳ちゃんと
ホテルまで行ってやらなかったらしいわね」
ブーーーーーー!
「なんであんたが吹くの!」
「汚いっす!」
ゲホゲホッ
「ホントに仕事残ってたの?深夜に」
「なんでもかんでもぺらぺら喋りやがって…!」
「お忙しいですね~こうくん」
「お陰様で」
「そんなにブラックじゃないわようち~」
ゴクゴクゴク
「すみませ~んおかわり」
「はい!」
「飲み過ぎてピーしなかったの?」
「静香さん公衆の面前っす」
「やきおに茶漬けも」
「あざっす!」
向かいの席から静香がメニューを没収する。
「据え膳拒否なんてね~」
「でもわかります!
自分あの優佳って人苦手っすね〜
笑い方が下品」
「ずばっと言ったな」
「お前さん、この結果わからないの?」
「へ?結果?」
ビールを飲み干す静香
なぜか決め顔
「マリアちゃんには下半身じゃなくて
心が反応してるってことでしょ
このいっぺん地獄に落ちたらいい適当男がさ
心が下半身に勝ったのよ」
「静香さん…」
「静香…」
「フフン」得意げ
「お前絶対男だよな?」
「同感っす」
綺麗な物に触れて
汚い物に触れられなくなった。
きっと
前者はあいつで
後者は俺自身だ。
あんなに後悔した夜は
初めてだった。
あの夜見上げた東京タワーが
やたら脳裏にうろついた。
.
七月も後半に入り、人の体温より熱いオフィス街は
「朝霧さん…あれは蜃気楼…
美女が俺を呼んでる…」
人に幻覚を見せた。
PPP
『コーラ』
またか。
「マリアちゃん?!」
「静香ちゃん」
会社の裏の駐車場で社用車を降り、自販機にスマホを当てると下田はアクエリアスを押した。
「あざーす」
駐車場から正面玄関に回るだけで汗が流れ、今買ったコーラもすぐに汗をかいた。
「お帰りコーラ」
「お前の血液そろそろコーラだろ?」
静香のデスクの端にコーラを置くと、静香はすかさずそれの下にハンカチを敷いた。
「すみませんね、気が利かなくて」
「すみませんね、嫌味っぽくて」
「姑にしたくないタイプだな」
ゴクゴクゴクゴク
「ぷはーー!生き返る!」
自分の分買うの忘れた。
「お兄さん一杯どうぞ」
静香がコーラを注ぐ。
「洗った?」
「乾いてたから大丈夫」
朝飲んだコーヒーカップ
「……」
カップに注がれたコーラは下田にやった。
「あ、そうだ朝霧」
「ん~?」
返事だけしてパソコン打ってたら画面の前にヒラっと
「これ朝霧んちの近くじゃない?」
チラシだった。
「さっき銀行でもらったんだけどね」
「あぁこれ…」
馬由が浜まつりか。
中学までだったこの祭りに行ったのは。
今の今まで思い出しもしなかった。
今静香に言われなかったら、この先思い出さなかったかもしれない。
「子供と年寄りしか行かないやつだ」
「でも花火上がるんでしょ?」
「花火は上がるけどな」
「行こうよ、休みじゃん土曜日」
今まで思い出しもしなかった地元の小さな祭りに、なぜか行ってもいいかなという気になった。
市内である大きな花火大会は、人の多さが嫌でいつも行かなかった。
去年誰と付き合ってたか覚えてないけど、花火を見に行きたいと言われ、俺は仕事だと言って断った。
花火はここからも見えるし、マンションからも見えた。
.
「まぁ久しぶりね~」
「この前カボチャいただきました!
美味しかった~」
静香は挨拶代わりにそんなことを言いつつ靴を脱ぎ、松野屋の水ようかんを渡した。
「あ、噂のアリス~可愛い~」
「こうくんも浴衣着るでしょ?」
「俺はいい」
「こうくんも着ようよ~」
顔が馬鹿にしてる。
和室には紺の女物の浴衣と、グレー?な男物の浴衣が掛けてあった。
「こんなのあった?」
「お父さんのよ、全然着ないけど」
「こんな綺麗なのお借りしていいんですか?」
「いいのよいいのよ
しまいっぱなしだから丁度良かったわ」
「少し食べていったら?
屋台じゃお腹いっぱいにならないでしょ?」
じゃあ着替える前に出せ。
冷蔵庫から出した缶ビールを静香に投げる。
「わ~美味しそう」
「どうぞ食べてね~」
「お父さんは?」
「仕事、もう帰ると思うんだけど」
「大根美味しい~」
「でしょ?それは昨日から炊いておいたの」
「道理で~しみしみ~」
「静香ちゃん今日は泊まって行くでしょ?
和室にお布団出しておくから
自由にしてちょうだいね」
「ありがとうございます!」
「実家だと思ってね
遠いと寂しいわよね」
静香に対してこの待遇なのは、ホントに実家が遠くて1人で可哀想って感じらしく、関係を怪しまれたり結婚を意識されたり、なんてことはなかった。
だからこの女は、こんな家にすんなりと入り込めた。
恐らく恋愛が絡むとそうはいかない。
可愛い俺にそんな感情があってはいけないから。
「ここでいい」
ちょうど赤信号に停まった。
「回って帰れよ
あっちもう通行止めなってるだろ」
「おばさまありがとうがざいました」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
車からサッと降りて歩道に上がり、静香は振り向いて手を振った。
「それを彼氏んちでやればいいじゃないか?」
「それが出来れば苦労しないわよバカね」
静香は大体彼氏の親に嫌われる。
見た目はきついし、ハッキリサバサバしてるからなのか。
家庭的な雰囲気は静香に一切望めない。
「あ、俺ビール」
「いいね~飲みながらの夏祭り」
生ビールを買い
焼き鳥を買い
「全然欲しくないのにクジ引きたい」
「あんなデカいの当たったらどうすんだよ」
「金魚釣っても困るしな~」
「俺あれ食いたい、カステラのちっこいやつ」
「あぁ人形焼きね、ホント甘党だね」
人形焼きを探しながら、人がごった返すメイン会場を歩き回る。
「足痛くなってきた~」
「だから靴履けって言っただろ」
あ、ちっこいカステラあった。
目的地を見つけ行こうとしたら、すぐ後ろを来てた静香がいない。
「静香どうした?」
「あ、うん」
何してんだ?
「行くぞ
人形焼きあっちにあっ…」
一歩静香の方に踏み出すと、静香の向こう側に浴衣を着た女の子が見えた。
それが誰なのか理解するのに
なぜか思考が止まり
「朝霧?どうかした?」
理解しても判断できない頭と
心
そんな顔で見ないでくれ
頭は真っ白なのに
心臓はあり得ないほど
騒ぎまくった。
何を言えばいいのかも
何か言うべきなのかも
わからない
この苦しさの名前さえわからない
顔を見た途端
苦しくなった。
「待て…」
突然走り出したあいつを、何も考えられない頭とは無関係に足は追いかけようとした。
なのに
「おい待てよ、何するつもりだよ
あんたに追いかける権利無いから」
そんな台詞を吐いて、クソガキな彼氏が追いかけて行ってしまった。
追いかけられない自分が
やっぱり汚く思えた。
「マリアちゃんよね?」
「8階から見るより生マリアちゃん可愛い~」
「あれが彼氏か、か~わいい~ね~」
「マリアちゃんが持ってたポケモンのやつ欲しいな」
「ねぇ朝霧」
「なんだよちょっと黙ってろよ!」
「認めるしかないんじゃないの?」
何を…
「そんな切ない顔しちゃって」
「その辺で待ってて」
人混みから外れた場所に、静香は俺を押し、どこか行ってしまった。
一口残ってた温いビールを流し込んでラインを開いた。
消さなきゃよかった。
今無性に読み返したくなった。
初めはホントに迷惑してたんだ。
痴漢騒ぎで会議に遅れそうになって、満員電車で助けたばかりに会社の真ん前であんな。
誕生日のことは魔が差したとしか思えないし、ラインを教えたのも気まぐれだった。
可愛いと思ったのは
どれが最初だっけ
ラインが面倒じゃないと思ったのは
どのあたりからだっけ
苦しくなったのは
いつからだった
「朝霧お待たせ~」
戻ってきた静香が持っていたのは、探し求めた人形焼き。
「帰ろっか」
「花火は?」
「あっちに上がるんでしょ?
歩きながら見えるじゃん」
もうじき上がる花火に合わせて、海沿いの道は人であふれ、歩道の塀には隙間無く人が座っていた。
前を歩く静香は、またコーラを飲んでいた。
ヒュウっと遠い海から音がする。
花火の上がる音だ。
パッと海を見る俺と静香の目の前に
ドンッと大きな花が咲いた。
「朝霧」
空を見たまま
次の花火が咲くのを待つ。
「マリアちゃんと見たかった?」
「そうだな…」
どんな顔して見てんだろう。
だけど俺は
果敢無く海に散りゆく
残像の方を追ってしまう
「彼氏がいてもね
気持ちを伝えるのは自由よ」
花火を嫌いになったりしないだろうか
「いっぺんフラれてみなさいよ」
「楽になるわよ、きっと」
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