整えられた家、感謝の気持ち
もうダメ…
「なに寝てんの」
ガッッ!
女が蹴るのは無しだと思う。
男女差別な話しではなく、物理的なヒールの形状の話し。
「5分でいい…」
応接室にこっそり隠れたつもりだったのに、静香に見つかってた。
椅子に座って机にうつ伏せたとこだった。
「眠いの?」
「眠い…」
「疲れたの?」
「疲れた…」
「スズちゃんに会いたいの?」
「会いたい…」
「抱きしめたいの?抱きしめられたいの?」
「どっちも…」
ん?
何を言わすんだこの女は
ピロロン
何の音だ
そこでやっと顔を上げた。
「素直に素だったわね~
精神状態よろしくないわね」
スマホを操作する静香が、ヒールを俺の座ってる椅子に上げたまま
「そーしんピっ!」
は?
「ちょ…待てお前何やってんだ!」
「スズちゃんとライン
こんだけ会えないとさ
不安になってるんじゃないかな~と思って。
自分で送らないでしょ?
さり気ない仕事してます写メ」
「そうだけど…別にスズ疑ったりしてねえし」
「疑ってないだろうけど安心材料よ」
静香のスマホの画面はもう既に既読。
今の動画はきっと見てしまった。
なんて言ったっけ俺…
「明日から名古屋だっけ」
「2泊名古屋からのロス」
「いいな~ロス
シンガポールと代わってよ」
「丸田さんとだろ?絶対いや」
「ねぇ彼女のこと聞かれたら教えていいの?」
「いるってことくらいは。
スズのことは教えんなよ」
「ラジャ」
静香が一緒にシンガポールに出張する丸田さんは、東京本社で一緒だった先輩で、俺は二度にわたってマジもんの告白をされた。
冴えない見た目
ふくよか過ぎる体
34才
処女ってうわさ。
知らぬ間に俺は彼女に優しくしたらしい。
飲み会の帰り道で、ぶつかりそうになった酔っ払いの集団から、腕をクイッと引き助けたとかなんとか。
記憶にはございません。
「さ…戻るか…」
「そうそう
YSKの田宮さんから電話あった」
「あぁ振り込みのことか、すぐ行く」
また、息つく暇も無いほど仕事に追われた。
仕事もたいして片付いてないのに、夜の接待の時間は無情にもやってきて、飲めもしない食べれもしない。
高級料亭での苦痛の時間を過ごした。
いつの間にか日付が変わってる。
そんな毎日だった。
スズに電話することも、ラインすることもままならない。
九月は毎年こうだ。
憂鬱ではあるけど、それを重く受け取ることもなかった。
なのに今年は勝手が違う。
スズの存在は俺を奮い立たせ頑張らせる
なんてことはなかった。
会えないつらさが、一層疲れに拍車をかけた。
エレベーターの中で寝そうだった。
ピコン
停止の音でハッと我に返る。
あー…水買ってくりゃよかった。
玄関の前でネクタイを緩め、ドアを開け電気を点け、靴を脱いだら靴下も一緒に脱ぎ、通り道の洗面所の洗濯機に廊下から靴下を投げる。
リビングの電気を点ける。
パッと明るくなった室内
「え?」
片付いた部屋の中に
綺麗に畳まれた洗濯物。
慌てて洗面所へ逆戻り。洗濯機の中は今投げ入れた靴下だけだった。
よく見たら洗面台の上も、キッチンも、机の下に落ちたままにしてた紙切れも、綺麗に片付いていた。
散らかった家に帰るのは憂鬱だったんだ。
「スズ…だよな」
スズ以外ここに入れる人間はいないし、今日頼んだクリーニングがキッチンカウンターにズラッと掛けられていた。
こんなにあったか
重かったよな。
「やべ…」
嬉しすぎる。
ホントに疲れが吹っ飛ぶくらい
思わず笑ってしまった。
よっしゃ
シャワーして仕事するか。
スズが畳んでくれた洗濯物からタオルとシャツとパンツを…
パンツ?
「……」
あーーーー!畳まれてる!
しまった…
パンツは新調してなかった…
汚れまくってるパンツは買ってなかった。
いや…
でもスズが洗ってくれから浄化されたかもしれない。
不浄なものが。
うん、きっとそうだ。
ポチっとパソコンの電源を入れる。
シャワー終わったらすぐ書類作れるように。
そのパソコンの画面の隅に
『大人になるまで待っててね』
チ、チ、チ、チ、チーーーーーーン
「えぇ!!」
↑そういう意味じゃ無い笑
大人になるまで…?
大人って何歳?
待つってどれのこと?
最後のアレだよな?
いや…だってこの前の拒否り具合からすると
キスか!キスのことか!
キスも大人になるまでおあずけか!!
抱きしめるとつい
口をつけそうになる
髪に額に頬に
それはたぶん口にするのとは違う。
エロさは無い愛でるだけの。
今のとこ、それしか求めてなかった。
それはたぶん癒やしで、陰りも曇りもない真っ新な恋。
それでよかった。
それでよかったし
スズのペースでよかった。
シャワー上がり、何か飲もうと思い冷蔵庫を開けると
あーー…もう
これ抱えて、クリーニング抱えて帰ってくるスズを想像したら泣きそうだ。
水にリポDにプリンにジュース。
重いもばかりいくつも。
「いただきます」
そんなことを心から呟いたのは久々だった。
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