お母さん
「では特別推薦で受験するということで
あちらにもお返事しますね」
夕日の差し込む教室はセピア色。
真ん中の机を向かい合わせにくっつけて、担任のおばちゃんはお母さんと話をした。
「よかったわね、青井」
「はい!」
「とは言っても、ちゃんと勉強はして
定期テストの点はキープするように」
「は~い
オールAが目標なんで~」
「その割に学年末は落としたじゃない」
旅行に浮かれすぎて散々だった学年末。
ま、こーきは塾の先生魂が燃えたぎって、四月最初の実力テストはオールAって豪語してるけどさ。
「お母様、鈴さんは二年生になって
急激に成績も上げてますし
音楽部の山根先生の話では
課外活動の記録も推薦にはかなり有利なようです」
「そうですか
先生方のお力添えのお陰です」
全てこーきのお陰だけどね。
こーきに出会って、私の運命は変わったんじゃないかって、恋愛に溺れる少女漫画の台詞みたいに軽いもんじゃなく、本当にそう思えた。
見えなかった未来への道が見えた。
こーきに出会ったことは、私の人生にすごくすごく大きな意味を持っていて
運命だと思わざるを得なかった。
校舎を出ると、運動場からソフト部の練習の声がして、テニスコートの方からも体育館の方からも練習をする部活動の音がする。
夕日のしずむ夕方の学校。
私はお母さんと下校する。
「車?」
「電車よ、お買い物して帰らないと」
「なーーんだ」
「真っ直ぐ帰るの?」
「だってもうこーきんち寄る時間ないもん
門限だしーー
いつになったら19時に戻るの?」
お母さんはクスクス笑う。
わざとらしく不満声で言ったからかな。
「いいじゃないの、早く帰ったら」
「え、嫌だし
こーきの家行きたい」
「どうせお仕事でいないでしょ?」
「いないけど行きたいの」
また笑う。
笑ってぽんぽんと撫でて。
お母さんは息をつく
あ~あって
プチトマトがコロコロ転がって床に落ちたときみたいに。
シュークリームが膨らまなかった時みたいに。
残念そうにがっかり。
「さ、早く帰ってお夕飯作らなきゃ」
「ハンバーグがいいな~」
「じゃあ挽肉ね、あとスープとサラダと」
「ポテサラ~」
駅まで来て、ついつい見上げてしまったマンション。
横でお母さんも同じように見上げた。
「18階なの、あの辺」
「嬉しそうね」
クスッと笑ってお母さんは地下のスーパーへ入っていく。
「ちょー眺めいいよ
花火もバッチリ見えるの」
「やぁね、花火はクラスのお友達と
見に行ったんじゃないの?」クスクス
「あ」
エレベーターを降りたとこでお母さんがカゴを取り、私がカートを引っこ抜くとそれに乗せた。
「お父さんは大根おろしね」
「私チーズがいい」
「はいはい」
大根をカゴに入れ、順番に一通り見ていくお母さんの半歩後でカートを押す。
「あ、クッキー食べたい」
「麻衣ちゃんの分は?」
お菓子は100円以下のを2つ。
いつからだったっけ、お買い物にはそんな約束があった。
「どれにしよっかな~
あ、お母さん118円!18円まけて!」
カートに手を掛けて、私がお菓子を選ぶのを待ってたお母さん。
いつもは早くしてよって、若干面倒くさそうな顔して待ってるのに。
「100円まででしょ」
微笑んでた。
その表情の中に
ほんのわずかな隙間に
切なく寂しい気持ちが見えた気がした。
なんだかわからないけど、それは私の胸を少しだけキュッと締め付けた。
家に着く頃にはもう日が暮れた。
「あーー重かった」
お母さんはドサッと買い物袋を置き、手を洗うとそのまま座って休憩することもなくエプロンをつけた。
「お母さん、何か手伝うよ」
「え」
そんな驚く?
「ホントに?
じゃあこっち来て」
あ、なんだ嬉しそう。
私がキッチンに行くと、お母さんはもう一枚エプロンを取り出し私に結びつけた。
「お肉こねる?」
「まずはみじん切りね~」
「げーータマネギか…」
台の上に年季の入った木のまな板。
そこに包丁を置き、ラップに包まったタマネギを置き
「よろしくね」
お母さんは横でお米を研ぎ始めた。
私が切る不格好で微塵じゃないタマネギ。
お母さんは涙を流す私を笑うけど、タマネギの出来栄えは笑わなかった。
「じゃあ次はジャガイモ剥いて」
「ジャガイモか~…」
ガタガタにジャガイモの身を削るのも、お母さんが笑うのはその下手くそぶりじゃなくて
「スズちゃん真剣~」アハハ
って、スマホで撮ったりした。
ボウルでお肉をこねこね
「うぇ~気持ちいい~」
「お肉で遊ばない」
指の間からウニって出てくるのが気持ちいい。
こね終わると、お母さんはボウルの中身をケーキを切るみたいに指で6等分にした。
「私のハートにする!」
大きなフライパンに並んだハンバーグは、ジュージュー美味しそうな音をたてる。
「いい音~」
「いい匂いじゃなくて?」
「こーきにも食べさせたいな~
私が作ったハンバーグ」
クスクスクスってお母さんが笑う。
「お弁当にして届けてあげたら?」
え
「え!いいのそんなことして!?」
考えもしなかった。
こーきにお弁当を作るなんて。
「朝から冷蔵庫に入れといたら
夕飯に食べれるじゃない」
なんか嬉しいーーー!
「スズちゃんの明日のお弁当は
ハンバーグ無しね」
「全然いい!」
わくわくした。
なんか彼女みたい!
「じゃあ明日は早く起きて
他のおかずも作りましょうね」
「うん!」
「もぉ…
朝霧さんのためなら早く起きれるのね」
「何作ろう~
お弁当だしね、卵焼きでしょ
コーンのやつでしょウインナーとあとは」
「スズちゃん、ほら焦げちゃうわよ
串刺してみて」
「はーい!」
「透明のお汁だったら焼けてるからね」
「うん」
「熱いから気をつけて」
そーっと竹串を刺してみる。
ぴゅっと飛び出る肉汁。
「透明だ!もういいよね!」
「ええ、もう大丈夫ね」
そう言ってお母さんは私の頭を撫でた。
急になんで?
ニコニコしてハンバーグ作ってたのに。
切なく
寂しそうに笑う。
「東京か…」
「お母さん…」
「あ……やだごめん違うのよ
スズちゃんが一人暮らしなんて
大丈夫かしらね~
ゴミ屋敷になるんじゃないかしら」
こんなお母さんの気持ちなんて考えなかった。
進路が見えて、思いもしなかった音大に、なにも考えずただ喜んでた。
「お母さん…」
抱きついてしまった私をお母さんは抱きしめる。
フワッとお母さんのいい匂いがした。
「スズちゃん楽しみね、東京」
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