第16話
*
「まずい」
「人の金で食べておいて出てくるのがそれか」
運転席に座る男は、そうぼやいた。
車内にはファストフード特有の脂っこい匂いが充満し、それが煙草臭さとかけあわさって、最悪の気分になっていた。
不思議なことにアキナシと食べたときにはもっと美味しく感じた。彼の手料理には劣るが、それなりの評価はしているつもりだった。それが今はどうだろう。口触りも、味も、匂いも、どれも気持ち悪くてしょうがない。包装紙を何度も確認したがあの日食べたものと同じだ。
西日が顔に当たり、思わず顔をしかめる。赤信号で停車したところで、男に無理矢理にハンバーガーを食べさせる。咀嚼して飲み込んだところで、間髪入れずにポテトを差し出す。今度は顔だけ背けられた。
「なあ」目だけを僕に向け、男は問う。「お前が犯人なのか?」
冗談めかした問いかけには答えず、黙って外を見た。
塩味のほとんどないぬるいポテトを口に運び、甘ったるいドリンクで流し込む。これで全部だ。紙類をぐしゃぐしゃに握りつぶしながら、雨の夜を再生した。
日課の散歩。ほんの気まぐれに、足を運んだ通りだった。
波紋のように広がっていく赤に倒れ伏す人物。あたかも見せつけるように、電柱の真下にいた。汚れるのも構わずに僕は血だまりの中に膝をつき、友人を抱き起した。雨のせいで冷え切った身体は脱力し、刺し傷からは延々と液体が溢れている。
「もう喋らないんだな、おまえ」
掠れた声で、僕は呟いた。
二度と僕に笑いかけもしないし、僕の名前も呼ばない。地面に水が吸収されるように、そのことが時間をかけて浸透していく。事実を認めると同時に、身体が締め付けられる。目の前がぼやける。顔を濡らす雨のせいではない。だって、温かいから。腕の中にいる男から流れていく血液のように。頬をつたった液体が、口に入る。
この雨が、残った彼の体温を奪わないように覆いかぶさった。それでも熱は消えていく。
――そのとき、なんの脈絡もなく白雪姫の話を思い出した。
かの寓話によれば死んだ女を蘇生させたのは、王子様の口づけだったらしい。僕は、震える指で唇をなぞった。それから頭を撫で前髪を退ける。その目を覆い、顔を近づける。
唇を、重ねた。
弾かれたように離れる。僕は髪をかき上げ、彼の顔を見る。一分前と変わらない。……こんなまじないをしたところで、結論は覆らない。頭では解っていたのに、心は受け入れられなかった。
シャワーのように降り注ぐ冷水のおかげか中身が、シンプルになった。
冷えた体を離す。僕も、もう彼と同じぐらいの温度になってしまった。血だまりの中に彼を下す。
「じゃあな」
別れの挨拶をする声は、自分でも驚くぐらいに静かで、優しいものだった。
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