第30話

「なにが……なにが、おまえを変えちまったんだ? 誰彼構わず、傷つけてただろ」

「おまえが獲物のせいだ」


 そういう意味では礼を言うよ、と皮肉げに口角を上げる。


(こいつ、今、なんて――?)

「他人と触れ合ってたら、いつの間にか護るものが増えた。僕がおまえに振るった暴力が、あいつに返ってきた、僕はあいつを護れなかった。それだけだ。――自分に返ってくる、か。言いえて妙だよ」


 その独白は降り積もる桜の花びらのように静かで、暖かく、穏やかだった。想い出に浸るように目をつむって、微笑んでいた。

 俺には、それが今にも泣きだす寸前の子どものように見えた。


「ふざけるな!」


 余韻を打ち消すように、獣が吠えた。


「おまえは、殺人鬼オレの最期にふさわしいんだ! 全部がデタラメな神様おまえになら殺されてもいいって、思ってたのに! 今のおまえは、だ!」


 叫号きょうごうを訊いた瞬間、十夜は瞼を持ち上げた。微睡から醒めたように、ゆっくりと。冷酷な視線を獣へと向ける。第三者の俺ですら身震いする殺気。それを殺人鬼は真正面から受け止めていた。


「なんだって、僕がおまえの自殺に付き合わなきゃならないんだ」


 吐き捨てるように十夜は言った。……自殺、だって? つまり十夜に殺してもらうことが目的? そんな、犯人吉永にとって都合のいい結末を迎えてたまるか。

 殴られ、刺されたせいでありとあらゆる箇所が痛む。それでも歯を食いしばった。体液でできた水たまりから、這いつくばるようにして脱したタイミングで「まあ、いいんだけどさ」と妙に明るい十夜の声が聞こえた。


「──僕は自分自身も、おまえも赦せない」

「――オレも、弱いおまえなんて必要ない」


 殺意を乗せた両者の言葉が、引き金になった。

 吉永は心底楽しそうに口角を吊り上げた、先に仕掛けた。物を蹴倒しながら、ジグザグに走りながら、距離を詰めていく。それでもなお十夜は動かない。そんな隙だらけの十夜を突き飛ばし、馬乗りになった。両足で十夜の腕を固め、動きを封じた。勝利を確信した吉永は下種な笑みを浮かべながら、十夜の眼前でナイフをきらめかす。

 吉永が笑っているのはわかる。自分より弱くなった人間を殺してしまえるから。


(じゃあ、あいつがのは?)


 十夜は無意識になのか、口角が上がっていた。

 嫌な予感がして、俺は再度四肢を動かす。身体を動かすたびに、痛みで気を失いそうになる。それでも、叫びたいことがあった。だが出力したい言葉がたくさんあって、喉に詰まって出てこない。

 十夜が死んでほしくない。

 日鞠に傷ついてほしくない。

 ――兄貴にうしなってほしくない。


 そこでやっと、どれを言えばいいのかを悟った。


「十夜ぁ!」


 俺の大声はうまいこと、ふたりの不意をつけたらしい。双方の動きが止まった隙に言葉をねじ込む。


「おまえは、兄貴の件で、ひとつ勘違いをしている!」


 息を吸いこみ、続けようとした口より速く、一直線にナイフが振り下ろされる。その先の展開が容易に読めてしまって、俺は反射的に目をつむってしまった。

 しかし、なんの音もしない。おそるおそる薄目を開ける。そこにあった光景は、凶器を持った吉永の腕を止める十夜の姿だった。吉永は驚いたように目を見張り、腕に血管を浮かせながら力を込めている。

 俺は、十夜の勘違いを口にした。

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