第31話

 *


「……いき、てる?」


 そんな、馬鹿な。だってあのとき彼はなにをしたって反応がなかった。だから死体だと思ったのだ、犯行現場で見た人間達の末路と同じように。

 倒れていた片割れが、長机やパイプ椅子を支えにし、上半身を起こした。眉間にしわを寄せ、額には欠陥が浮かんでいる。明らかに怒っていた。なんのために? ――僕の勘違いを否定するために。


「兄貴は! 手術も無事に終わって寝てるんだよ、こんの大馬鹿野郎っ!」


 今にも死にそうな、息も絶え絶えな人間が放ったパンチは僕の脳髄を揺さぶった。

 アキナシが殺されたのは三角吉永からの報復だ。そう、いつぞや彼女に振るった暴力が僕以外の人間に返ってきたのだと。しかも、よりにもよって僕にそう教えた当人へ。首を切らなかったのは当てつけで、ある種のメッセージを含んでいたのではと、そう深読みをしたのだ。

 まだ三角が僕に報復したのはわかる。僕がアキナシの隣にいたから、彼はターゲットにされた。通り魔事件が起こる中、出歩いた理由。きっと僕と同じで、死にたかったのだ。その正誤を確認するすべはない。彼は物言わぬむくろになったのだから。

 怒りの矛先は、彼を傷つけたふたりの人間に向けられた――自分自身と、殺人鬼に。ひとたび三角に暴力を振るえば無限に繰り返すだけだと悟ってから、相討ちを計画したのだ。

 だが、身内によればどうも眠っているというカタチで今も呼吸をしているらしい。


「そう……なのか」


 安堵を声に出した途端、腕の力が抜けた。支えを失って落下してくるナイフを、顔を左へ背けることで避けた。体勢を崩した無防備な体に蹴りを入れる。その反動を使って両腕両足に力を込め、全身をバネのように使ってその場を脱した。

 体を起こし、シンプルになった頭で、敵と向き合う。青みがかったウェーブの髪の毛、ハイライトのない黒い瞳、健康的に焼けた肌。顔のパーツは歪んでいてよくわからない。乱れた髪と髪の隙間から、薄気味悪い笑顔が覗く。吉永は再度、髪をかき上げた。殺人鬼だということを除けば、どこにでも在りそうな人間だった。

 僕は深呼吸をすると――三角に向かってナイフを投擲とうてきし、駆けだした。運よく当たればいいと放ったそれは、頭を抱えながらしゃがんだ三角に回避された。足もスピードも緩めず、ただ放たれた矢のように走る。狙うはひとり。眼前の敵を睨みつけながら、間合いを詰める。

 先ほどとは異なる僕の雰囲気に気圧されたのか一歩、殺人鬼は後退る。逃がすものか。距離にして二メートル。あとは走り幅跳びの要領で、跳び、茫然と立ち尽くす獲物に覆いかぶさるだけ。

 だが、獣は最後の抵抗を試みた。三角は血走った眼で、ナイフを僕の体めがけて突き出した。空中で上半身を捻り、避ける。

 無理な方向に体を捻ったせいで、脇腹が痛い。視界も変わった。眼球だけを動かし、索敵する。

 三角は腕を突き出したまま、前のめりになってバランスを崩している。互いに隙が多い体勢。動き始めが速いほうが――勝つ。

 そう確信し、僕は机に足裏がついた瞬間に蹴りだした。獲物に肉薄し、ナイフを持っているほうの手首をつかむ。そのまま三角の背中側へ回り込み、仕上げに内側へと捻った。人体の構造を無視した動きに逆らえず、三角はうめき声を上げながら膝を折った。

 殺人鬼の手からカランと乾いた音を立て、ナイフが滑り落ちる。

 施錠されていた視聴覚室の扉が開かれ、複数の足音がなだれ込んできた。同時に流れてきた外の生ぬるい空気が、血の臭いを浄化していく。


「は、はは、はははは……!」


 三角の笑い声が視聴覚室にこだまする。乾いた響きには、どんな感情(想い)が込められているのか。考えようとしてかぶりを振る。そんなもの言葉にしていないから、わからない。

 視線を感じ、目だけを動かす。三角が僕の顔を見上げていた。存在を振り払うように僕は顔を背けて、出口へと向かう。


「おまえも同類だろ」


 ぼそりと背後から聞こえた声を無視し、歩を進める。

 残念ながら、僕は意地でも道は踏み外さない。

 あいつになくて、僕にあるモノ。それは――


 *

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