第19話


 時間は昨日の夕方までさかのぼる。


 日鞠さんは「先輩」と口にした。


「先輩って」


 とりあえず、妹ではなさそうだ。が、候補が二人にしか絞られていない。


「どっちの?」

「黒須先輩です」


 予想外の返答に俺は飲んでいたコーラを吹き出した。

 ソファーから立ち上がった日鞠さんが「大丈夫ですか」と驚きながら店員――つまり母を呼ぶ。奥でテレビを見ていた母はあきれ顔をしながらおしぼりとお冷をくれた。数秒ほど咳き込んだのち、冷水を二口ほど飲んでようやく落ち着いた。

 若干、体に変な感じが残る。が、俺は話を進めた。


「いや、ちょっと待って。どういうこと?」

「動機から逆算したまでです」


 ――先輩のなりすましをする人間の、動機です。

 あの日の日鞠さんの言葉が脳裏に浮かぶ。


「説明しましょう」

「ぜひ」


 その言葉に俺は身を乗り出す。


「最初、私は二重先輩への嫌がらせだと思ったんです。優秀な生徒がホテル街にいる悪評を広め、精神的に追い詰めるためだと。双海先輩と二木先輩を犯人だと考えたときの動機ですね」

「俺はすごいしっくりくるんだけど。違うってことだよね」

「ええ。しかし『ホテル街で知らない男性といる』と『繁華街にいる』で、だいぶ印象が違うと思いませんか? しかも噂はホテル街から繁華街に段々と出現スポットがシフトしていっています。本当に嫌がらせであれば前者だけ続ければいいのです。

 仮にどちらも黒須先輩の仕業だとして、男性と一緒にいる――男性とともに行動するのは、ほぼ必然的に会話が発生します。それは先輩自身を危険にさらすことにつながります」


 知らない男とホテル街。黒須先輩が自身を男だと隠したまま乗り切れるとは到底思えない。


「ですから、私は『ホテル街の先輩』と『繁華街の先輩』は別物だと推測しました。そして、この場合は後者が黒須先輩です」

「前者は?」


 俺の質問に日鞠さんは黙り込んだ。しばらくして、口を開く。


「冬夏くんが想像している通りだと思います」

「無責任だった、ごめん」


 日鞠さんが妹の部分で『詳細を省きます』と言った個所。それが前者の要因なのだろう。


「ただ、その前者が動機だと私は感じました」

「え?」

「黒須先輩は、二重先輩の妹さんとは連絡先を交換するほどウマが合ったのです。そんなAさんを守る。そのために、二重先輩のドッペルゲンガーの噂を流したのでは、と。そして、Aさんのいるホテル街から目をそらさせるために黒須先輩自身も繁華街に現れたんです。最初、双海先輩が見た二重先輩の姿は”そういうこと”を目的とした妹さんだと思っています」

「妹を守る。それが動機だってこと?」

「はい。もちろん二重先輩自身にはその目的は共有されていません」

「声をかけられて逃げたのも当然だよな。男だし、声を聴かれたら一発でバレる」


 俺は息を吐いた。脂汗が額ににじんでいる。だんだんと具合が悪くなっている気がした。それでも、彼女といる時間を優先した。


「じゃあ、あの二人はなんで付き合ってるの?」

「二重先輩から告白した、と相原先輩はおっしゃっていました。おそらく二重先輩は、Aさんがホテル街でお金を稼いでいるのを知っています。そのため、Aさんをホテル街で見た黒須先輩を監視する、黒須先輩がOKした理由はAさんの動向を知るため、と考えました」

「恋愛的な意味ではなく、利害の一致ってこと」

「そこは分かりません」


 日鞠さんは力なく首を横に振った。


「ただ、黒須先輩は二重先輩をライバル視しつつも、尊敬していたことは確かです」

「そうだね」


 つまり、黒須先輩が二重先輩の妹を守るために噂話とカモフラージュのために自身も舞台に立った。

 そう彼女は推察した。たしかに黒須先輩なら背丈も一緒だし、演劇部に制服やウィッグもあるし、行動に起こすことは可能だ。

 ひとり納得していると、日鞠さんが言った。 


「ただ、物証がありません」


 彼女は唇を人差し指にあてて、首を傾げた。二重先輩の願いはドッペルゲンガーの噂を終わらせることだ。正直、暗記して応用すればいい学校の授業とは異なる分野は自信がない。

 ある程度の結論が出、俺たちはいったん会議を終了した。それぞれがそれぞれ注文したものを飲む。母の方を見、薬をとってほしいと念を送った。が、忙しなく働く母は気づかない。


「冬夏くん。具合が悪いのなら、終わりにしましょうか」


 ただでさえおかしな心臓が一瞬、締め付けられた。自分で言うのもおかしな話だが、弱みを隠すことに無駄にたけていた。だからバレないと思ったのに。


「なんで」

「いえ。なんとなく、普段の様子とは違うなと。いうなれば、勘ですね」


 よく気づいたなと感心してしまう。


「はは」


 乾いた笑いが口から出る。


「はーあ。バレちゃったか」

「はい。お大事になさってください」

「ありがとう。証拠の件については」

「誰か頼れる方が?」

「うん、”もう一人の冬夏くん”に相談してみるよ」


 俺は肩をすくめて、そう言った。

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