第5話

「――ですが、知らないんです。そんな人」

「へっ?」


 そんなわけがない。俺は日鞠さんに詰め寄った。


「赤の他人なんてこと絶対ない!」


 お互いに触れてしまいそうな距離だったが「近いです」の一言ともに、細腕で俺の肩を押した。たいした力ではないのによろめき、しりもちをついた。俺の異変を感じ取ったのか、日鞠さんは突き飛ばしたほうの腕で俺を引っ張り上げた。


「では、はっきりと言いましょう。私は、そんな人を知らないです」


 ――じゃあ、なんだってんだ、あいつは!

 怒鳴り散らしたい衝動を飲み込む。いよいよ本気で、十夜がドッペルゲンガーだとか幽霊だとかのおかしな可能性が首をもたげる。

 いや、半分ぐらい人間の理の外にいるようなヤツだったが、それは思考回路の話であって存在のことではない。


「ところで、冬夏くん」


 十夜の正体を考え込んでいる俺に、日鞠さんの声は響かない。

 だが、次の言葉は俺の意識を浮上させるには十分だった。


「どうして私の番号を知っていたんですか」


 舌打ちをする寸前で、思いとどまった。危ない。日鞠さんの連絡先は美術室の件で直接、十夜あいつから訊いたのだ。その交換条件として番号をもらったことは言わないこと、終わったら消去することを約束された。

 だが――あのとき、日鞠さんの端末を持っていたのはなぜだ?

 偶然持ってきてしまった? それなら早い段階で気づきそうだ。が、日鞠さんは端末自体に興味がない――授業中でも、休憩時間でも触っているところは見たことがない――のだろうし、十夜は美術室の件での連写を見るにそもそも所有していない可能性がある。

 日鞠さんの質問に対する答えは、これだ。


「クラスの人からもらったんだよ。連絡先」


 自然に嘘を吐いた。……ばれないように、と願いながら。


 兄さんが事件に巻き込まれてから、俺には何十と連絡が来た。

 布団にくるまって死んだ心でそれと向き合う。『だいじょうぶ?』『相談乗るよ』『また学校来てね』――ありきたりな励ましの言葉が羅列されたメッセージに、馬鹿丁寧に返事をする。

 そんな単純作業に疲れ切って、衝動的にメッセージアプリをアンインストールする。そこから憑りつかれたように一件また一件と、メールアドレスや電話番号を消していった。

 しかし、俺の指は「は行」で止まった。日鞠 白夜の電話番号だけを削除できなかった。

 彼女なら、という思いがあった。その持ち前の好奇心と推理力で、犯人を突き止めてくれるんじゃないかって期待した。

 十夜が足しげく通っていた喫茶店うちは現在進行形で閉店中だし、そもそも彼の目当ての店員がいない。


「ひとつ質問。仮に兄さんや日鞠さんが考えていた通り十夜が犯人だったとする。それは、正しいと思うか?」


 探偵は沈黙した。

 返事がないまま、中庭にたどり着く。色とりどりの花々が、日鞠の存在を強調する。奇跡的に花壇のほうを向き、難しい顔をしたまま薄い唇を開いた。


「今まで通りです。わからないのなら調べるべきです。そして、問えばよいのです」


 日鞠 白夜は、いつものセリフを口にした。


「なぜ、通り魔事件を起こしたのか」

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