最終話

「おまえがいる世界に、僕も生きていたい」


 胸に詰まっていた感情を吐露する。視界には飾り気のないスニーカーが映りこんでいた。


「でも無理なんだ」


 聞いているだろ、と声を絞り出す。彼は「うん」と頷いた。こちらが予想しているよりはるかに、あっさりと。

 頼んでおいて失礼な話だが、伝わっていなければいいと一瞬よぎってしまった。けれど、こうなっては仕方がない。殴られる寸前のような息苦しさを持ったまま、答えを待った。


「――でも、俺は十夜と一緒にいる」


 顔を上げ、彼の顔を観察する。その表情は、真剣そのものだった。その決断が上っ面だけでも、虚勢でもないことすぐに悟る。動揺を気取られぬよう、前髪をかき上げる。


「なん、で」

「あのね。嫌なことを嫌と言えって教えてくれたのは十夜じゃないか。それに今更、他人のフリをできるほどお互い器用じゃないだろう?」


 確かめられ、僕は黙り込んだ。肯定した僕に、彼は柔らかな笑みを浮かべた。


「じゃあできる限り、一緒に居よう。お互いがお互いいついなくなっても笑顔で振り返れるよう、ちゃんと想い出を作っていこう」


 言葉という弾丸は僕の脳みそを確実に貫いた。数歩、よろめく。


「どうして」


 問いかける声はかすれていた。


「そんなむごいことを言えるんだ」

「それは」


 彼は口ごもった。


「十夜が、納得できるかわからない。俺のエゴでもいいのなら」


 一も二もなく頷いた。返事を認めた彼は、何度か深呼吸をする。永遠にも感じる沈黙ののち、彼の瞳がまっすぐに僕を捉えた。




「きみが、好きだから」





 そう告げた頬は紅潮し、口元は緩やかに弧を描いていた。

 ざあっ、と春の風が背中を押す。花びらが踊るように舞い、僕の背後から抜けていく。

 アキナシは僕の正体を知っても隣にいるんだと決め、手を差し伸ばしてきた。

 あぁ――なんだって忘れていたんだろう。こいつが、すっごく、とんでもなく、最上級に馬鹿なんだってことを。


「笑わせるようなこと言ったつもりはないんですケドね」


 拗ねたような彼の言葉で、自分の口角が上がっていることに気づく。

 言葉のかわりに僕はアキナシの手を取って、自分のほうへ引っ張った。突然のことに体勢を崩した彼が、名前を呼んで抗議する。

 言われっぱなしは癪に触るから、反撃に出るとしよう。


「ちゃんと王子様のキスで目覚めたじゃないか、お姫様」


 アキナシは自身の身になにが起こったのかを悟るのに、たっぷり一分を有していた。ゆでられた蛸のように耳まで真っ赤にしながら、自由なほうの手で顔を覆う。そのリアクションに満足した僕は、彼の存在を確かめるように握りしめる手に力を入れる。

 変わってしまった僕に絶望した殺人鬼の評価はあたっている。

 僕はアキナシを傷つけたことへの罪と罰を背負い込んだ。だから人間に成れた。

 それと同時に、彼の存在自体が僕の弱点になった。けれど、この瑕(きず)が夜空に煌々と煌めく星のように僕の進むべき道を示している。獣ではなく、人間として生きていける。これが殺人鬼との決定的な差だ。

 空を見上げようとして――もったいないと思い直し、僕はこのどうしようもなく愛おしい男の顔を見据えながら僕は、確認する。


「それで? どう責任取ってくれるんだ?」

「きみの」


 覚悟を飲み込むように、アキナシの口調は重たかった。


「――きみを最期まで、離さない。そばにいる」


 僕達は互いの存在を確かめるように、互いの手をきつく、きつく握りしめ、並んで歩き出した。昼の並木通りに、二つの足音が重なり合う。


【了】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る