第21話

 五月も下旬に差し掛かると、天気も外の匂いも、梅雨の気配が強く漂っていた。連日のしとしととした雨のせいで、廊下は湿っぽく滑りそうだった。梅雨入りが秒読みに迫った時期に、今年度二回目の学級委員会の定例会議が行われる。

 成宮 このみの件を境に通り魔は止んだ。

 しかし、まだ犯人は捕まっておらず、いつどこで背後から刺されるかわからない恐怖は継続していた。

 突き落とされた件は気持ちの整理がつかず、そして認めるのが恐ろしくて誰にも話せていない。不安と恐怖ばかりが募っていく。そのせいか、私の精神は不安定になっているらしい。

 それでも不思議と、学校に来ることは続けていた。……冬夏くんという頼もしい王子様ひとがいるからだろうか。


「吉永ー、俺まで巻き込むなよ」


 冬夏くんは冗談めかした声で、吉永さんに愚痴をこぼした。


「はは、ごめんごめん」


 慣れているのか、吉永さんは明るく調子で返した。

 前回の定例会議では冬夏くんと私が雑用を任されたが、今回は吉永さんが目をつられたのだ。そんな状態の吉永さんに声をかけられたのが、私達ということになる。

 気兼ねなく話せる相手を失った私は、隣を歩く女子生徒に声をかけた。


逢瀬おうせさん、手伝ってくれてありがとうございます」

「う、ううん」


 こわばった、ぎこちない声色で彼女は続ける。


「いいの、暇だったから」


 逢瀬さんは、学級委員ではない。

 前回の雑務のおかげで、同じ委員会に属する人の名前は把握している。冬夏くんにも確認しているから、これは確かだ。逢瀬さんは、吉永さんの付き添いらしい。これは本人の口からも吉永さんからの紹介でも聞いた。

 つまり、吉永さんは部外者に手伝いを頼んでいることになる。

 二人が友人同士ならそれも納得はいく。私と冬夏くんが助力を請われたように彼女もまた、ということだ。しかし、吉永さんは逢瀬さんを気に掛ける様子もなく、その反対も同じ。互いに向ける態度、声、行動から察するに。関係性は希薄だと考えられる。

 そうなると、なぜ吉永さんは逢瀬さんを連れてきたのか、という疑問が残る。

 妙な胸騒ぎを覚え、それをかき消すように私は声を張り上げた。


「冬夏くん。ほかに準備するものは、ありますか」

「これで全部だよ」


 前方から視聴覚室の扉を開ける音がした。あらかじめ冷房でも付けていたのか廊下よりも涼しく感じる。私は最後に扉をくぐり、ほかの委員の人がいつ来てもいいようにストッパーをかけた。


「さて」冬夏くんが言った。「なにからやるんだ?」

「そうだなぁ」


 のんびりとした口調で吉永さんが答える。


「任されたのは製本と会場の設営だったから……」


 吉永さん主導の元、役割の組み合わせを決めた。私は、資料の製本を担当することになった。机上に並べられた各ページを右から左へと取って、まとまったらホチキスで止める。

 長机や椅子を動かす金属音が視聴覚室に響く。会話もなく、各々が黙々と割り振られた仕事をこなしていた。


 ――ガチャン。


 遠くのほうから、重々しい音がした。私には、なにも見えない。けれど視聴覚室の扉が閉まったのだろうと直感した。なぜ、わざわざストッパーを外して扉を閉める必要があるのか。


「日鞠さん。動くな」


 冬夏くんの鋭い声に心臓が痛んだ。どうかしたのかと問いかけようとしたが、言葉が喉に張り付いて出てこない。それでも彼は、私の心を読んだかのように簡潔に状況を口にした。


「――吉永が、逢瀬さんの背後からナイフを突きつけている」


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