第2話(2)


「猫だよ」

「は」


 予想外の返答だったらしい。彼女の唇から言葉ではなく音が出た。


「五限目、体育のランニングでふと見たら、木から降りれなくなっている猫がいました。かわいそうでしょ?」

「はあ」

「それを助けた。シンプルな理由」


 日鞠さんはそれ以上、何も言わなかった。いや、言えなかった。安堵したが、俺もすぐに気を引き締めた。

 一段、一段と誰かが階段から上がってくる音がしたからだった。

 今日金曜日は委員会の月一定例会議――俺たち一年生にとっては初めてだが――の日。

 いつもより少し早めにホームルームが終わった俺と日鞠さんは、一足先に会議の会場である視聴覚室に向かった。

 が、ちょうど会場の設営をしていた先生に見つかり、雑務を押し付けられた。訂正、任せられた。その仕事は「会議に出席した人の名前を名簿と照らし合わせてチェックする」と「出席者に資料を渡す」ことだ。

 話し合いの結果、前者は俺、後者は日鞠さんになった。一応、彼女が資料を重ねて取り間違えないよう、俺が事前に縦横互い違いに積んでいる。

 視聴覚室は四階の階段を上がり切ったすぐのところにある。準備も終え、駄弁っていたところに足音が聞こえてきた。時刻は十五時五十分。会議の開始時刻は十六時ちょうどだから、そろそろ誰かしら来てもいい。

 委員会会長の二重ふたえ先輩とか。

 靴音が段々と近づいてくる。柱の奥から姿が見える。黒髪のポニーテール、ブランド物のカーディガン、着崩していない制服、三年生を表す赤いラインの上履き。間違いなく、二重先輩だ。

 が、いつもと違って今日は白いマスクをつけている。


「あれ? 二重先輩、風邪ですか?」


 俺の問いかけに、二重先輩は頷いた。それから、資料のほうを指さした。貰っていいか、という無言の問いかけだろうか。

 俺は日鞠さんの肩を軽くつついた。すぐに意図を察したらしく、二重先輩に資料を手渡す。普段の先輩ならここで俺や日鞠さんにねぎらいの言葉をかけたり、軽く雑談したりするところだ。けど、今日はその元気すらないらしい。軽く片手を挙げ、そのまま視聴覚室に入っていった。バタン、と扉が閉まる。


「先輩でも風邪ひくんだなぁ」

「人間ですから」


 びっくりするぐらいの正論だ。と、日鞠さんが欠伸をひとつする。どうやらお互い眠いらしい。

 しばらくは誰も来ないだろう。俺は眠気を追い払うように伸びをして、暇つぶしの問いかけをした。


「日鞠さんって、オカルト好き?」

「好みか否かの質問ですか」

「そう」

「面白いと思うというの感情が、好きに部類されるのであれば」

「それはなんとも言えないけど」


 俺は間をおいて本題に入った。


「二重先輩にドッペルゲンガーがいるって噂、知ってる?」


 ドッペルゲンガー。

 知人や友人など知り合いの前に現れる、もう一人の自分。他人ではなく自分自身の分身らしい。


「知っている人が対象ですか」


 聞いた途端形のよい眉をゆがめる。


「それは気持ちのいい話ではありませんね」

「それもそうか。じゃあ、この話はおしまいにする?」

「続けてください。気になります」

「ドッペルゲンガーが?」

「いえ、先輩のなりすましをする人間の」


 彼女はゆっくりと、こちらを向いた。


「――動機です」

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