第3話

 結論からいうと部室棟にたどり着いたのは十五時四十四分だった。当然のように藤野さんから小言を頂戴したが聞こえていないふりをした。白杖をつき、私は彼女の後についていく。

 待ち合わせ場所から右へ。小さな段差を降りると、ローファー越しにも地面が少し柔らかくなったのが分かった。奥へ進むにつれ、足に何かが掠める。こそばゆいそれが伸びきった雑草だと気づくと同時に、この地面が土であることも認識した。どうやら部室棟の裏側に連れていかれているらしい。道中、私と冬夏くんの距離感に対して、だらだらと愚痴をこぼしていた。私は放たれる矢と矢の合間を縫って問いかける。


「そういえば教科書、隠したのはあなたですか」

「なんのこと?」


 その声は堂々としていた。

 当人に気づかれたというのにうろたえる様子はない。”あなたへの嫌がらせはリンゴが木から落ちるのと同じ、この世の摂理です”と言わんばかりに落ち着いていた。呆れたと私は思う。


「こんないたずら、あなたにメリットはないと思うのですが。バレて冬夏くんに幻滅されたらどうするんですか」

「私が好いた彼は、こんなことで失望しないわ。優しいもの」


 これ以上の問答は時間の無駄だ。そう判断して、私は無言という返答をした。彼女もまたこれ以上話そうとはしなかった。

 時間にして六分ほどだろう。今まで足をくすぐってきた草や白杖から伝わってきた小石の感覚も、全部消えた。整備された場所に着いたのだ。


「ここは?」

「美術部の休憩スペースよ」


 頭の中で状況を整理する。部室棟の玄関から右にいった校舎裏、徒歩五か六分にこの空間はある。人気はない。そして、二人っきりで話をするために私は呼び出された。暴力でもふるわれるのかと思い、身構える。しかし藤野さんは何もしないどころか何もしてこなかった。

 いよいよ沈黙に耐え兼ね、私は話を切り出した。


「藤野さん。ご用件は」

「……嘘でしょ?」


 その声は、明らかに平静を失った声だった。何がと問いかける間もなく、風が目の前を通った。私は一歩、二歩と下がった。

目の前で、事態が急速に動いている。怖い。だから視覚以外の五感と頭を働かせる。

 体に触れるものに変わりは無い。私に直接危害が加えられているわけでも、近くに何かがあった訳では無い。ローファーが地面を駆け、何か物を引きずる音、次いで、

 ガシャン!

 勢いよく何かが割れる音がした。そして、左側から薄らと異臭がした。鍵の開閉音がしたかと思えばスライド音。

 ここから導き出される結論は、ひとつ。藤野さんが窓ガラスを割って、鍵を開けた。


(でも、なぜ?)


 私は白杖を左側にあてた、壁。おそらくこれは部室棟本体だ。

 つまり、藤野さんは『何か』に気づき、物を使って美術室の窓を割った。そう部室内に何かある、あの藤野さんが取り乱すような事象。好奇心が勝って白杖を動かすと、こつんと何かに当たった。触ると椅子なのが分かった。軽く足をかけてみるが、嫌な音はしない。体重をかけても大丈夫そうだ。慎重に乗る。椅子の上でしゃがんだ状態のまま、窓のサッシ部分に手を置き、体重をかけて体を持ち上げる。

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