第5話


 *


 二階の居室スペースから降りてくると、目的の人物はすでにいた。

 二十時半。場所は俺の実家兼喫茶店。奥の角、いつものソファー席。そこに恰幅のよい男が座っていた。四十代ほどで、やや白髪交じりの頭をオールバックにしている。恰幅のよい体格に眉間に深く刻まれたしわも相まって威圧感がすごい。くたびれたスーツに履きつぶされた革靴。身にまとう物すべてに年季が入っている。

 革張りのソファーに深く腰掛け、男はアイスコーヒーを飲んでいた。こちらの姿に気が付いたらしく「おう」と片手を挙げる。マグカップを先にテーブルに置き、男の対面に座る。俺は湯気のたつコーヒーを一口飲んでから、小さい声で問うた。


「進展は」


 無言で首を横に振られた。ディナーの時間帯を超えた店内には客は自分たちを含め、片手で数える程度しかいない。ちょうど両親がいるキッチンからは柱で見えないから、いつもここで待ち合わせしている。


「今月で一件」


 不意に男――成澤なるさわさんが口を開く。


「先月に二件」

「もう三件目なんですね」


 思ったことをそのまま言うと、苛立ったようにドカッとソファーに座り直す。


「あなたたち警察がどうというわけでは」

「んなこったぁ、分かってる」


 語気を強められた。


「ただ、完全な目撃情報もお前さんの一件だけだ。防犯カメラには映らないし、足取りもつかめない。耳タコだろうが、もう一回聞くぜ」


 彼は体勢を前かがみにし、低い声で問うた。



「――本当に犯人は見てないんだな?」

「はい」



 嘘だ。

 俺は、十夜が犯行現場にいる姿を見ている。

 一か月たった今でも鮮明に、光景も、音も、空気も、すべて思い出せる。

 警察に事情聴取を受け「誰かの立ち去る足音は聞きました」とだけ答えた。しつこく、人を変えて、言葉を変えて何度も何度も「犯人の姿は見なかったか」と聞かれたが、俺は頑として、それ以上の情報は答えなかった。

 この嘘がバレたら何か罪に問われるのだろうか?

 ふーっ、と息を吐く音。そうしてお決まりの「何か思い出したら連絡しろ」の言葉。成澤さんは俺の事情聴取を担当した刑事だった。どうも俺と、俺の証言は重要なものと判断されているらしい。

 それを逆手に「何か思い出すかもしれない」と嘘を重ね、向こうはこちらの安全の確保と新たな証言を期待して、こうやって成澤さんの都合の良い日に会っている。定期報告会といったところだろうか。……今のところ何も成せてはいないが。


「一件目は商店街手前の住宅街、二件目は繁華街の裏路地」

「三件目は」


 ちらり、と成澤さんは俺の顔を見た。この件は俺自身が目撃しているのだから、よく覚えている。


「商店街付近の裏路地。そして犯行時刻はいずれも土日祝、あるいは平日の夜」


 沈黙が下りる。ぐい、とコップをもってストローを介さずに一気に飲む。半分ほど減ったところでグラスを置いた。


「これは独り言だが」


 相槌も打たず聞く。俺は頬杖をついて、窓の外を眺めた。


「俺は学生の犯行だと思っている」


 動揺を気取られないよう口の中の肉を噛んだ。

 三件目で、ようやく犯行のリズムが見えてきた。それが、土曜祝日か平日の夜か。俺も高校生だからわかる。平日の朝から夕方は学校があり、空く時間は夜から。土日祝は基本的に学校もない。アルバイトがあるなら話は別だが、犯行時間は学生の生活リズムとほとんど同じだ。

 十夜のことが頭をよぎる。どこの学校に通っているのだろうか。


「犯人は何を考えているんですかね」

「知らん」


 胸元のポケットから煙草を取り出した。が、テーブルに貼られた禁煙ステッカーに気づくと舌打ちをした。おとなしく手の中で回して遊んでいる。


「他人が何を考えているかなんて、分かるわけねぇだろ。ましてや通り魔だとな」

「そう、ですよね」


 十夜のことを思い浮かべる。やっぱりよく分からない。


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