第9話
*
意識が戻る。すぐに状況を把握するべく、適当に手を動かす。座位は保っている。背中には冷たい木の感触がある。どうやら昨晩はドアにもたれかかったまま眠ってしまったらしい。体を触った感じだとパジャマは着ている。お風呂に入っているかは不安だったが、そこは昨日の自分を信じることにした。立ち上がった私は手際よくハンガーにかかっていた制服へと着替える。
ドアを開けたとき、いい匂いがした。トーストだろうか。
「お母さん、おはよう」
「はくや――?」
母の声が枯れていた。カラオケに行って喉をつぶしたという二重先輩の声を連想させる。
「あれ? どうしたの、喉風邪?」
キッチンのほうでやかんが音を立てているが、母は気に留める様子はない。不気味な沈黙に、段々と私は不安になった。
「白夜!」突然、母が大きな声で名前を呼ぶ。「おはよう! すぐご飯準備するね」
急にスイッチが入ったかのように、母の声は普段のトーンに戻った。
母はあるときを境に根本的に、なにかが、変わった。いつからだろう。私の記憶が正しければ、ちょうど私の目が見えなくなった時期と合致する。
私が冬夏くんを苦手なのは、この母の雰囲気を思い出すからかもしれない。
つけっぱなしのテレビからニュースが流れている。通り魔事件の話題。訳知り顔のコメンテーターが議論している。なんとなく、犯人が捕まったら忘れ去られるんだろうなと頭によぎる。誰かの痛みが娯楽として消費されることに、私は胸が痛んだ。……もちろん怖いから早く逮捕されてほしいのだけれど。
母の朝食の手伝いをし、二人揃って食卓についた。十二時にバターを塗ったトースト、二時にコーヒーの入ったコップとシュガー、ミルク。いつもの配置だ。
「いただきます」
かじった瞬間にバターの甘さが口いっぱいに広がる。八枚切りより、分厚い六枚切りのトーストが好きなことを改めて実感する。コーヒーにシュガーを半分、ミルクを全量入れ、ティースプーンでかき混ぜる。
ゴールデンウィークの特集に切り替わったとき、ご飯終わりの目安のアラームが鳴る。ちょうどキッチンへと食器を下げ終え、端末のアラームを止める。そのまま歯を磨き終え、顔を洗って自室に戻る。化粧水や乳液、日焼け止めを塗りたくり、外出の準備ができた。今日の持ち物を確認していると、二回目のアラームが鳴る。机の上にあったボイスレコーダーをカバンへと入れる。基本的に定位置に物を置いているから、困ることはほとんどない。たまにずれていることはあるけど。
三度目のアラームを止め、私は玄関へ向かった。靴を履き終え、私は母へ声をかける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます