第32話
*
状況を把握しようと息を吸い込んだら、アンモニア臭が鼻についた。
前方のドア以外をタイルの壁に囲まれている小さい空間。個室トイレ。
僕はドアを見た。ここのドアはスライド式の鍵を開ければいいらしい。鍵を横に滑らせ、前にドアを押そうとしても動かない。おそらく、ドアの前に重い物か何かが置いて動かせなくなっている。密閉の空間。僕は軽くめまいがした。どっかの誰かさんにも同じようなことをされたからだ。
それはそれとして、と制服のポケットにずっしりと沈んでいるボイスレコーダーを手に取った。再生する。あの子の声で美術室の件が録音されていた。始まりから終わりまで。――『犯人当てをしたいと思う』なんて、挑戦的な言葉で締めくくられていた。
端末に目を落とすと、時刻は十六時四十二分。
僕はトイレの後方の壁に手を置き、そこに体重を乗せる。それから利き足を浮かせ、ドアに当てて距離を確認した。大丈夫そうだ。思い切り聞き足に力を込めてから、体重移動でドアを蹴飛ばした。
派手な音が鳴る。二回目、三回目。コツをつかんで、四回目。鈍い音がしてドアがへこむ。非力な体で出せる精一杯の力をこめて、五回目。数センチだけドアが前に動いた。これだけ隙間ができれば、塞いでいた物体を退かすことができるだろう。
どうにかこうにか作り出した隙間から足を伸ばして、靴先に当たったものを蹴った。重い物が倒れる音、次いで水がトイレ内まで流れてきた。同時にドアを開けるとスムーズに開く。バケツに入った水とモップだったらしい。若干ズボンが濡れた。僕がやったことだけど無視してトイレから出た。とりあえず手に端末だけは握り締めておく。
「あ?」
「えっ」
トイレを出て右に曲がった廊下で、ばったりとハルナシと会った。驚いた顔と姿勢で止まっている。僕もここで会うとは思っていなかったよ。唖然とした顔にしわが刻まれる。イケメンが台無しだ。ついでにいえば僕も酷い顔をしていると思う。傍から見れば睨みあっているように勘違いされるだろう。とりあえず、握りこぶしを作る。軽めに殴った。……決して、アイツの言葉がよぎったわけじゃない。
「いったぁ! 何するんだよ!」
「うるさいな」
オーバーリアクションに顔をしかめる。
「白夜を傷つけておいて、よく僕の前に顔出せたな」
痛いところを突かれたと言わんばかりの顔をされる。沈黙。わざとらしい咳払いをしたのはハルナシだった。
「で、なんでおまえがここにいるんだ?」
「そういうおまえはどうしたんだ?」
「日鞠さんを探しに来た。事件の犯人がわかったから美術室に人を集めてくれって。そしたら当の本人が来ないから」
僕はため息をついた。そんなことをコイツに伝言したのか。それは閉じ込められるわけだ。
「とにかく。みんな集まってるから、日鞠さん呼んできてくれ」
行った直後、ハルナシの目が下に動く。そこで合点がいったように「あぁ」と手を打った。
「それ、日鞠さんのじゃん。そりゃ呼び出せないわな。どうすっかね」
「おまえがやればいいだろ」
「嘘だろ」口をあんぐりと開けている。「本気で言ってるのか」
「ほかに誰がいるんだよ」
「俺、犯人わかってないんだけど!?」
「おかしいな、話聞いたら見当つくんだけど」
「悪かったな」口をへの字に曲げる。「馬鹿で」
「すねるなよ、子どもか?」
「未成年だから子どもだよ。そんなことはどうでもいい。犯人は誰なんだ」
「ふーん」白んだ目で彼を見る。「言っていいの?」
「いや、やっぱなし!」あっさりと彼は撤回した。「自分で考える」
白夜のボイスレコーダーを手渡した。怪訝そうな顔をされたので、僕は答えてやった。
「犯人、当てたいんだろ」
「お、おお」金属の小さい棒を丁重に扱っている。少し滑稽だ。「サンキュー」
「それ貸すのに交換条件がある。おまえ、み――吉永の番号、持ってる?」
「持ってる。どした?」
「聞きたいことがある。電話かけて」
「いいけど、ちょっと待って」
ハルナシが端末を操作している間、僕はあくびをしながら辺りを見回した。夕日の強い光が廊下を染め上げている。運動部の掛け声が定期的に耳に入ってくる。うるさいなと窓の外を睨んだとき、タイミングよく端末が差し出される。それを拝借し、耳に当てる。数コール目で出た。
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