第33話

『冬夏? どうした?』


 明るい憎たらしい声。ふつふつと怒りが沸いてくるが、腹の底で鎮めながら僕は言った。


「元気だったか? クソ野郎」


 電話の向こうで、息を呑む音がした。


『どの面下げて――!』

「お互い、気分が悪いだろうから手短に用件を話す。おまえは答えるだけでいい。

 ひとつ、広まっていたペンキは満タンまで入っていそうな量だったか。

 ふたつ、ペンキは緑以外黒板のほうを向いていたか。

 みっつ、掃除している際に件の箱は動いたか。

 よっつ、上履きと靴の足跡はあったか。それはそれぞれ一種類か。

 いつつ、部屋に小窓は開いていたのは確かか。

 むっつ、受付の人が持ってきた鍵で美術室は開錠されたか、以上」

『……ひとつ、いいえ。

 ふたつ、はい。

 みっつ、はい。

 よっつ、はい。

 いつつ、はい。

 むっつ、はい。以上』


 迷いなくスラスラと出てくる回答に、不本意ながら舌を巻いた。事件自体からはかなりの時間が経過している。あいつの言うことは本当だったらしい。


「本当に、瞬間記憶能力なんだな」

『誰から聞いた。……いや、冬夏か』舌打ちをして、続けた。『そうだけど』


 鼻を鳴らした。僕の顔を見ても、なにひとつ取り乱さなかったくせに。腹の底にあるヘドロのようなものを、ぶちまけたかった。だけど頭に血が上っているせいか、うまいこと口が回らない。

 それが癪で僕は、なにも告げずに電話を切った。端末の画面を拭いて渡す。首をかしげながら彼が問いかけてきた。


「知り合い?」

「端末を叩きつけなかったのを褒めてくれ」


 これ以上話したくないと目と態度で訴えると、彼は瞬時に察した。


「じゃあ、俺は犯人がわかったらいくよ」

 言いながらスクールバックに手を突っ込み、有線のイヤフォンを取り出した。腸が引きずり出されているみたいだ。なんて考えていると「腕」と軽く小突かれた。包帯は絆創膏に変わっている。

 まくられていた袖を戻しつつ、観察を続ける彼に僕は言った。


「ああ、あとひとつ――」

 頼みごとをすると、不思議そうな顔をして了承した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る