第6話

 それが、私は知りたい。


「そもそもの話ですが」


 しんと静まり返った廊下に私の声が響く。


「どうして、黒戸さんの絵のみが出されていたのですか?」

「どうせ片付け忘れよ。あいつずぼらだし。……あら、よかったわね、日鞠さん。噂のご本人が登場よ」


 言われて気づいた。部室を入口を正面にした左側――部室棟の奥から、複数人の足音が聞こえてきた。その中の一人が黒戸 萌音だろうか。


「おやー?」のんびりとした声が私の耳に届く。「ギャラリーかな? こんにちは」


 声の方向に私は軽く会釈をした。


「中を見ていただいたほうが早いかと」

「なかぁ?」

「えっ、美術室の?」


 別の声がする、どちらも男の人だ。と、軽く袖を引っ張られる。誰だかは分からないが、退いたほうがいいということだろう。私はおとなしく力の方向に引っ張られた。


「うおっ! んだコレ!」

「わー、すごいなぁ」

「これはまた掃除が大変そうな」


 大声を上げた男性と、反対にけらけらと笑うハスキーボイスの人、声に呆れが混ざっている男性。三者三様のリアクションに私は必死に耳を澄ます。


「丹(たな)副部長。来たらこうなってました」

「おう」


 藤野さんの説明が終わるのが早すぎる。大声と威圧感のある男性は丹副部長らしい。


「黒戸くん。作品がペンキの海に落ちてる」

「見たら分かるよぉ」


 ハスキーボイスの彼が噂の黒戸さんらしい。それにしても「萌音」という名前の先入観から女子だと思っていたが、男子だった。一応で”さん”付けだったが、改めて”くん”付けでいいかもしれない。


「胡屋(ごや)部長補佐、朝の鍵は返却していましたよね」

「したよ。受付の紙にも書いた」


 最後の男性は部長補佐らしい。つまり、役職を持っている三人が一斉にやってきたことになる。まずは当事者の話を聞く必要がある。そう思って私が口を開いた瞬間、被さった声がした。


「ねぇ、とりあえず掃除しない?」


 うんざりした様子の藤野さんがそう提案したのだ。そんな時間だろうか? 小首をかしげる。


「またまた」


 あざけるように吉永さんが笑った。


「証拠隠滅しようとしてるんじゃないの?」

「なんですって?」

「まあまあ、落ち着いて」


 仲裁したのは春人さんだ。


「吉永が見たなら大丈夫。このままにしておくのもあれだし、片付けようか」

「冬夏が言うならいいけどさー」


 あっさりと吉永さんが引き下がった。私は春人さんに小声で問いかける。


「写真は撮っておかなくてもいいんですか?」

「ああ。……日鞠さんは、知らないんだっけ?」


 瞬間。人の体温を感じた。ふわりとシャンプーの匂いがする。

 春人さんが、近い。

 そう認識した瞬間、体温が上がった。


「吉永は瞬間記憶能力者なんだ。分からなかったら、後で検索してみて」

「わかっ、分かりました!」


 すぐに彼の気配が遠ざかる。


「ごめん、近かったよね」

「いえ」


 自分の声が想像以上に上ずっていたことに気づいた。


「こ、こちらこそごめんなさい」


 私たち二人の会話をよそに、お片付け計画は始まっていた。


「おねーさーん、モップってありますぁー?」

「ありますよ」


 これまで無言を貫いていた受付のお姉さんが頷く。


「すぐにお持ちします」

「よし、ここで会ったのも何かの縁、とは言わないけど時間があれば、君たちにも手伝ってほしい」


 胡屋先輩の言葉に、私は頷いた。他の二人も同様らしい。

 受付の方が持ってきてくださったモップを手に、私たちは各々役割分担をする。が、私は特にやることはない。「力仕事だし危ないから」と言われたが、それでは教室の中でモップを動かしている藤野さんは何なんだろう。もちろん、彼女は美術部員だし、物の配置が分かっているのだから掃除に参加するのは当然だ。

 頭ではそう理解していても、心はそうではなかった。暗い気持ちになる。目が見えなくたって、できることはある。それをこの場で声を大にして言える度胸はない。私は私のできることをしよう。


「自販機あるのかな」

「ありますよ、ご案内します」


 独り言に答えが返ってきてびっくりした。受付のお姉さんだ。


「はい。お願いします」

「承知しました、こちらです」


 と、私たちが美術室に背を向けた時だった。


「丹、うるさーい!」

「うるせえってしょうがねぇだろ」

「大丈夫ですか?」

「鼻がむずむずするぐらいだな」

「はは、カーテンと窓、開けようか。埃っぽいし、シンナーの臭いすごいから」

「藤野さん、この箱はどうする?」

「ああ、それは――置いておいて。向こうの床に散らばっているのをお願い」

「了解」

「ひーえーるー! 風邪ひくー」

「文句言ってないで手ぇ動かせバカ!」


 受付のお姉さんとともに、にぎやかな美術室に背を向ける。そこに混じれない一抹の寂しさを覚えながら。


 盛大なボリュームのくしゃみが聞こえた、しかも複数回。声からして丹先輩だろう。埃でも吸ったのだろうか? そんなことを考えながら私は受付のお姉さんとともに美術室を後にした。

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