第18話

「吉永と何があったのか聞かないけどさ」


 アキナシは、メモ用紙から目を離してそんなことを言った。

 なんだかんだで三角と別れた後、僕たちはフードコートの冷ややかな視線から逃げ、地下の食品売り場のコーナーに来ていた。


「二度とあんなことしないで。次やったら、そうだな。うん、どうするか俺にも分からないから」


 人が、人を殴ったらいけない理由について、いまいちピンときていない。そんな言葉ひとつで、僕は変わらないし、変われない。

 反抗するように、彼から顔を背ける。

 お気楽な店内放送も、合間に流れる愉快な音楽も、試食の声かけも、全部が鬱陶しく、耳にまとわりつく。頭を満たしていく雑音が不快でしょうがない。嫌なのに入ってくる。

 ……なんで嫌なんだっけ?

 今まで考えなかったことを考える。「なぜ?」を求めるあの子のように。耳をふさげば、目を閉じれば、この不快感は消えるだろうか。どちらも実行してみたが、どうも違う。音が消えようが人が見えなくなろうが、嫌な気分はこびりついて離れない。けれど少し、本当に少しだけ緩和される。

 ようやく”目を閉じる”選択をした彼女の気持ちが解った。この世界が醜くて、不快で、絶望して、閉じたんだ。

 結局、嫌な理由は分からなかったけど、まもりたい少女の気持ちは解った。

 長く息を吐いた僕に、「十夜」と怪訝そうな声が僕の名前を呼ぶ。


「具合悪い?」

「まあ」

「そっか、気が付かなかったな。ごめん」


 眉を下げ、アキナシは心配そうな顔で見つめてきた。

 違う。そんな顔をさせたかったわけじゃない。


「僕が自分でお前に、ついてきたんだ。僕の選択だ。それ全部、自分のせいだと思うな。腹立つから」


 思いのままに言葉を叩きつけると、彼は目を丸くした。初めて見る顔に、反対に僕がびっくりした。


「な、なんだよ」思わずたじろぐ。「文句なら聞くけど」

「そうじゃないよ。嬉しいんだ。ありがとう、教えてくれて」


 告げた彼の頬は緩んでいる。経験したことのない衝撃に絶句する。目を閉じたり開いたりした後「あっそ」とだけ返した。


「次は何買うんだ。ほら、行くぞ」


 仕切り直すように早口で、アキナシの腕を引っ張る。カートとアキナシを押しながら、僕は言った。


「前提として僕は他人が嫌いだ。生まれてからずっと人が嫌いなんだよ。僕は」


 少し迷ったように間を開けてから、アキナシは自身を指さした。


「俺は?」

「嫌い」

「こうして言葉に出されるとショックだなぁ。……あ、レタス買うから止まって」


 『ショック』なんて口にしているが、口調も声色も普段通りだ。言われたとおりに立ち止まる。アキナシはレタスを吟味したあと、一つをかごに入れた。


「分かってただろ」

「おっしゃるとおりで」

「まあ、マイナス五ぐらいは好き」


 どういうことかと問いかけるようなを目を受け、続ける。


「等しく人間への感情がマイナス十から始まるとして、お前に抱くのはマイナス五」

「結構いい評価ってことかな。驚いた」

「そうなのか? お前はいいやつだ」


 僕のセリフにアキナシは呆れたように肩を縮めて落とした。なんとなく、こいつは褒められるのが好きじゃないんだなと感じた。一か月にも満たない関係性だし、人間に疎い僕でも勘づく。


「でも、”ことば”にしないと分からないって言ったのは、お前だ」


 ぎこちない動作で彼の首がこちらに向く。


「しょうがないから、お前が聞き飽きたって言ったって、言い続けてやるよ」


 僕は挑むように、アキナシをまっすぐに見据えて言った。


「――お前は、いい奴だって」


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