第13話





 は、と体を起こす。素手で触ると、ごつごつと硬い――机だ。どうやら教室で寝ていたらしい。冷えた自分の身体をさする。体操着から着替えなければと立ち上がった。

 原因についてはわかっている。冬夏くんの「目が見えないから」の発言だ。彼のその言葉は確かに私の頭を殴ったし、気絶させるには十分だった。だが、それにしてもショックで寝込むなんて、自分の体ながらよく不明なことが多い。

 荷物を持って教室に戻った。いつものがやがやと好き勝手喋る声が、自動的に耳に入ってくる。女子の声もするし、知らない間に授業は終わったのだろう。


「日鞠さん」


 穏やかな声に、心臓が締め付けられた。


「大丈夫? 突然教室に戻るって走り出していったから」


 チクチクと息をするたびに肺が傷む。この人を醜いと疑ってしまうのが嫌だ、その声を聴きたくない。だけど反対に夜空に浮かぶ一つの星のように、きらめいている感情があった。彼といると呼吸がしやすい、だから一緒にいたい。

 矛盾した二つの感情が頭の中を苛む。割れてしまうのではないかと錯覚するぐらいに頭全体が痛む。脈打つ心臓と同期してズキン、ズキンと頭が締め付けられる。


(このままだと死んでしまいそう)


 身の危険を感じた私は、衝動的に言葉を吐き出した。


「もう私に話しかけないで、冬夏くん」


 背中に冷たい汗が伝わるのを感じる。


「……まあ十中八九、俺が悪い。だから、それが分かるまで謝れない。それは本当にごめん」


 そういうところだ。

 誠実で優しい側面を見れば見るほど、何も知らなければよかったと後悔が襲う。明日からは冬夏くんと挨拶も、雑談も、それこそ美術室の件だって話せなくなる。


 当然だ。だって、私がそう告げたのだから。


 ずしりと自身で放った言葉の重さが体にのしかかる。


(それは、すごく――)

「日鞠さん?」


 頬に生ぬるい液体が伝っていることに、彼の心配そうな声で気づいた。

 椅子から勢いよく立ち上がり、カバンを持つ。そのまま私は思い切り地面を蹴った。色んな物品に体をぶつけながら教室から出た。六限目開始のチャイムが鳴り響く。後ろから教師が呼び止める声がするが知ったこっちゃない。「早退します!」とだけ叫び、無人の廊下を全速力で駆け抜けた。

 息も絶え絶えになりながら、下駄箱にたどり着く。柱にもたれかかり、そのままずるずると座り込んだ。

 寂しい。

 自分から友人関係を終わらせておいて、そんな都合のよい感情を抱くなんて最低だ。ズキズキと痛む頭を拳で殴る。ぐわんと頭が揺れた。でも、気づいてしまった感情は消えない。今まで同い年の他人にそんなことを抱いたことはなかった。もっと一緒にいたいし、話したいことはたくさんある。

 それでも、離れたのは私だ。

 幸いなことにまだお互い学校にいる。今なら戻れる。でも、それで拒絶されたら? またさっきみたいに友人に「清々した」と話していたら? そう考えるとおなかの底から沸き上がった衝動のままに、来た道を引き返す気にはなれなかった。

 頭の中は、冬夏くんでいっぱいだ。

 ただひたすらに戻りたかった、何も知らない頃に。

 流れる涙をそのままに私は母に連絡を入れた。すぐに返信が来る。『待ってて』とだけ。理由については聞かれなかった。


(どうするのが正解だったんだろう)


 ひどくなってきた雨音を聞きながら、私は目を閉じた。

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