第14話


 *

 日鞠 白夜はそれ以来、引きこもっている。

 彼女の部屋の前で立ち止まり、そのドアをなでた。ひんやりとした冷たい感覚が手のひら越しに伝わる。リビングに行くと、壁を思いっきり殴った。それでもまだ怒りは収まらない。痛む拳をさすりながら、わざと乱暴に椅子を引いた。そこに座り、天井を見上げる。

 原因は明らかにあの馬鹿の余計な一言だ。

 今日は休日。幸いなことに母は僕が目覚めるより先に仕事に出ていた。自由といえば聞こえはいい。が、今の今までこの家で決定権のなかった僕には、やりたいことすら思いつかなかった。

 この虚無な時間をどう過ごそう? リビングの壁時計を睨みつける。テーブルには「白夜へ」と彼女宛てのメモが置かれ、そこに現金五千円が添えられていた。

 喫茶店。

 ふと、その三文字が浮かぶ。五千円を手にし、僕は自室に駆け込んだ。クローゼットを乱雑に開ける。普段とは色違いの着物に選び、僕は弾んだ気持ちのままドアを閉める。なにを食べよう? そもそも今日、彼はいるだろうか?

 スニーカーに足を突っ込んで、かかとを入れる。玄関のドアを開けると雨の匂いがした。鍵をかける。そのまま誰かに追われることなく廊下を歩き、階段を下る。一階に降り立つと、連日の雨の影響か道にところどころに水たまりが見えた。

 もういくつか寝るとゴールデンウィークだ。が、この状況のまま突入したら大変なことになる。白夜には早いとこ元気になってほしい。濡れたアスファルトを歩きながら、今日、何度目かもわからないため息を吐き出した。


(僕になにができるんだろう?)


 ぐるぐると思考は巡る。だが、なにもできないという簡潔な答えに毎回至るのだ。

 エンジン音を響かせながら、目の前を車が通る。考えごとに気を取られていたせいで、よくわからない場所に出てきてしまった。どうも商店街の雰囲気とも違う。周りにはコンビニや交番など道が訊けそうな場所もない。二車線の道路と行き交う車と細い歩行者用の通路しかない。人もいない。いつもなら喜ばしいことだが、今日に限っては困った。


「十夜?」


 背後から声をかけられた。振り返ると本来、喫茶店で会うはずの人物が立っていた。七分丈のグレーのパーカー、ジーパン、スニーカーという普段通りの格好をしていた。


「驚いた、昼間から出かけてるなんて」

「人のことをなんだと」


 文句を言ってから、基本的には夜にしか出歩いていなかったことを思い出す。僕は口をへの字に曲げ、言った。


「ついてく」

「え? 別に、いいけど」


 困ったように彼は笑った。


「十夜も用事があったんじゃないの?」

「僕が外に出るのは、喫茶店に用があるときだよ。行きつく先は一緒だ」


 ぽかん、と口を半開きにしてアキナシは僕の顔をまじまじと見た。「なに」と不機嫌をあらわにすれば、彼はまばたきをして質問に答える。


「いや、なにかあったのかと思って」

「白夜が引きこもった」

「引きこもった? あぁ、だから学校休んでるのか。日鞠さん」


 アキナシは合点があったと言わんばかりに頷く。


「それで、どこに行くんだ?」

「とりあえず、買い物かな」

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