第26話

 *

 偶然にも、一番大きなライトが凄惨な現場を照らし出していた。

 逢瀬の首から赤い液体が勢いよく弧を描いて噴き出している。さながらスプリンクラーのように、鮮血が視聴覚室を、日鞠 白夜を染めていく。

 突然、日鞠は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


「日鞠さん!」


 ほとんど反射的に俺は名前を呼んだ。

 用が済んだと言わんばかりに、吉永さんは逢瀬さんを解放した。ごとり、と重々しい音とともに奇妙なポーズで床に伏せた。人間のひとりの生命が抜けて、空っぽになったからだが落ちたのだ。

 生理的な嫌悪感から、胃の中の内容物を床にぶちまけた。「きったな」と嘲る吉永の声がどこか遠くに聞こえる。

 俺は吉永を睨んだ。彼女は怯む様子もなく、ただただ口角を上げて立っていた。隙だらけな立ち姿で、俺という見世物を愉しんでいる。この場で自分が最も強いと確信している。そんなこと――


(死ぬほど、腹が立つ)


 気持ちを奮い立たせ、気を失った探偵の代わりに問いかける。


「長袖を着続けていたのは、四件目の傷?」

「そう」長袖をまくって絆創膏を取る。「気づかないものだね、皆」


 予想通り、切り傷があった。今更驚きもない。


「……着物を着ていたのは、十夜に罪をかぶせるため?」

「そんな大層なことは考えてないよ」


 くすり、と笑う。邪気のない、悪戯が成功した子どものような笑顔。


「嫌がらせ程度かな」

「どうして、三年前の事件を参考にしたんだ。あれは――」


 言いかけて、止まる。

 自分が巻き込まれた事件を、再演しようとする理由なんて碌なものではない。


「質問ばかりだなぁ。もう少し、自分で考えなよ。日鞠が言ってただろ、憶えてしまっていたから参考にしたんだ。でもまあ人数はあいつを上回ったから、僕のほうがもっとすごい」


 演説のように両手を広げ、成果をアピールする。生憎と冷め切った心には響かない。


「ふざけるな。人殺しにすごいもクソもねーよ」


 俺の反抗的な態度が気に食わなかったらしい。吉永は一瞬顔をしかめたが、気を取り直したかのように鼻歌混じりにこちらへ近寄ってくる。逃げようにも、膝が笑って動けない。怒った獣が静かに寄ってくるのを、待つしかできなかった。

 そのまま身構える隙もなく、顔を蹴られた。その反動で脳みそが揺れ、目の前に星が浮かぶ。俺は膝をついたが、それでもなお吉永を睨みつけた。

 彼女にはナイフがあるが、俺には武器もなにもない。好機を回ってくるまで、ただ耐えるしかない。糸口さえつかめれば反撃はできる。歯を食いしばり、感情を押さえつける。


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